コロナ第3波と呼んでいいのか、また感染が広がっています。菅総理大臣が「コロナとの戦いに勝つ」みたいな言い方をしていましたが、もっとコロナを自然に受け止めないと、終息はなかなか見えてこない気がします。人為的な対抗をすればするほどそれを超える事態が続くのではないでしょうか。
さて、「これからの時代の生き方-10訓-」について、ひとつひとつ自分がどうしてそれを取り上げたのかを述べていきたいと思います。
1番目の『起こることはすべて自分にとって必要なことと思って生きる』ですが、その大前提として、自分は魂の生まれ変わりを当たり前の存在法則としています。生まれ変わりについての説明をここではいたしませんが、死生学研究で学位をお持ちの加藤直哉先生の著書『人は死んだらどうなるのか』(三和書房)を推薦図書として上げさせていただきます。(加藤先生は、西洋医学、東洋医学、心理学、催眠療法、補完代替医療をホリスティックに取り入れた「こもれびの診療所」の院長先生ですが、幸福の研究家、恋愛研究家、和食研究家など多彩な顔をお持ちで、自分とはメンター繋がりで交流させていただいております。)
魂の生まれ変わりを前提にするとその目的を問いたくなりますが、やはり魂は自らの成長のために生まれ変わるのだと思います。この世(現象界)に生れ落ちる時、魂はその軌跡の記憶を次なる成長の学習のために消されると言われます。一度無垢の状態に戻って生まれてくる訳です。それはこの世の物質的な法則の中で魂が成長を目指すことに必要なひとつのステップと言えますが、同時に自分が無垢の状態から今生の成長に必用な学習ができる環境をプログラムして生まれてきます。だから、「起きることはすべて自分にとって(魂の成長のために)必要なこと」な訳です。
実際には魂の軌跡を完全に忘れた状態でこの世で過ごすときに起きる出来事は、自分の思いとは独立したことと思える場合がほとんどです。私たちは、日々自分を取り巻く世界で起きる出来事を、自分と無関係の自分の以外の人やものによって起こされたことだったり、自分が少しだけ自分以外の人やものに係って起きたことだったり、と捉えてしまいます。でも、本当は自分が見るもの、聞くもの、感じるものすべて自分がプログラムしているものと思っていい訳ですが、その原理とか法則は、またの機会にしてここでは触れないことにします。
それでは何故『起こることはすべて自分にとって必要なことと思って生きる』ことが必要なのでしょうか。そのひとつのメリットですが、実際に起きることを必要なことと捉えるだけで、感情や心の乱れが、かなりコントロールできるようになります。怒りの感情にこれを使うとそのままアンガーマネジメントになります。
自分自身の例ですが、車のハンドルを握ると、結構自分の思い通りに運転してくれない周囲の車に腹を立てる方です。制限時速以下でノロノロ走る車が前にいたりすると、今ならあおり運転に分類されるかも知れないくらい、ぴったりくっついてプレッシャーを掛けたりしてきました。
でも、ここで「これは自分にとって必要なこと」と思えると、「ハイハイ、まっ いいか」と思えるようになります。
電車の中で隣にドスンと座った客がいきなり組んだ足をこっちに投げ出してきたりすると、「このやろ、はり倒したろか!」なんてよく思いますが、この時「これは自分にとって必要なこと」と思えると、「あんた、いい演技してくれてありがとう!」に変わります。
仕事キャンセルの3連発なんて時も、「ちょっとゆとりが必要なのかもしれない」と自分を顧みる余裕が生まれたりします。
これからの時代は、ひとことで言えば「自分軸で生きる時代」です。『起こることはすべて自分にとって必要なことと思って生きる』ことができると、気が付くと日々のブレ幅がぐっと減って、安定した毎日を送れるようになっているものです。
コロナパンデミックも、これからの時代を思うと、自分には必要なことに思えます。