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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(8回目)

1.今世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀ってどんな世の中? 

【パラダイムシフト】(その2)

 本論のひとつのテーマをサステナビリティとしていますが、以前LOHASという言葉が話題になりました。LOHASはLifestyles of Health and Sustainabilityの頭文字ですが、オーガニックな食べ物、心と体のバランスを整える活動(ヨガ、瞑想)、代替医療を含む人間としての全体性を考えた医療、クリーンなエネルギーや資源の循環、そんなことを意識したライフスタイルを心掛けることでしょうか。いいコンセプトだと思ったのですが、言葉の使われ方が曖昧だったことや、直ぐに金儲けに結び付ける人達が雑多に参入したことなどもあって、言葉としてのLOHASは余り聞かれなくなりました。

 しかし、最近ライフスタイルとしては正にLOHASじゃないのと言う人達が急速に増えている気がします。殊にコロナ発生以降、都心を離れて地方に住み、こうしたライフスタイルを意識した生活を始められている方が多いのではないでしょうか。そう言う私も1年半ほど前から、生活のベースを東京から軽井沢の森の中に移したひとりです。 まだまだマジョリティではありませんが、こうした人達は、今この時代にどんなことを思ってライフスタイルを変え始めているのでしょうか。言葉にするのは難しいかも知れませんが、こうした変化からこの先の時代のパラダイムが考えられないものかと思います。

 こうした方向性を持つ人達の底流には、私達を取り巻く現象が単独の物質化学反応の集まりというだけでは説明できないものであり、もっと複合的な・生態系的なもの、肌で感じられるもの、目に見えないものを大切にしないといけない、そうした感覚が流れているように思えます。

 それをパラダイムとして捉えようとした時に、20世紀になった頃から探究が始まった量子力学、素粒子物理学の世界が思い浮かびます。世界を構成する最小単位と思っていた原子を物理学者が更に細かく内側を見に行ったら、原子は量子・素粒子というもので構成されていることがわかりました。このミクロな構成物を物理量として見ると量子になり、粒として捉えると素粒子という言葉が使われます。両者は同じものを捉えていると思うのですが、ここでは量子の英語であるクォンタムを使わせていただきます。そして、このクォンタムの性質、挙動がそれまでの原子や分子、それらから作られている物質とは、全くことなる不可思議なものだったのです。

 見ていない時は波として飛び回っているのに、観察しようと見に行くと突然粒になる。運動状態を捉えようとすると何処にあるのか分からなくなり、何処にあるのか見つけると運動状態が決められなくなる。素人が一般人に伝えようとすると、こんな感じになるでしょうか。私達が当然と思って捉えているモノに対する概念が通用しない掴みどころのないモノで、実は私達は出来ているのだと言うことになります。

 そして最近色々なところで引用される「量子もつれ」という性質があります。特殊な結晶を通過させるとひとつのクォンタムが2つに分かれるのですが、この2つのペアとしての性質が私達の常識的な理解を超えた挙動をすることが、実験によって明らかになっています。普段クォンタムは色々な動きを合わせ持って特定できない運動をしていますが、観察者が見るとその時に運動が決まる性質を持っています。回転運動を例にすれば、普段は上向き回転と下向き回転を合わせ持って特定できないものが、見に行くと突然回転の方向が決まった姿を現すという性質です。そして2つに分かれたペアのクォンタムが持つ「量子もつれ」とは、ペアの片方を観測してその回転方向が決まると、もう一方のクォンタムが同時に逆向きに回転する姿を現すと言うものです。それだけなく、このペアのクォンタム間に起こる現象は、ペアの距離をいくら離して行っても同時起きることが実験的に確認されています。地上と人工衛星の間でも実験は行われました。この現象は同時反応で、物理学的にこれ以上早い速度はないと言われる光速に縛られないことになります。

 日々新しい研究が進んでいる分野ですが、私はこうしたクォンタムの性質をこれからの時代のパラダイムに結び付けていきたいと思っています。「量子もつれ」を拡大解釈すれば、「みんな繋がっている。宇宙中と同時に連携して動く仕組を私達自身が無限に内包している。」ということになります。LOHASな人達は、知らず知らずにそれを感じ取って生きているのではないでしょうか。

 今回も難しい話になってしまいましたが、これくらいにして次回に続けたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(7回目)

1.今世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀ってどんな世の中? 

【パラダイムシフト】(その1)

 22世紀に向った時代・世の中の転換には、パラダイムのシフトが重要な要素になると思います。パラダイムという言葉を最初に使ったのは、科学史家のトーマス・クーンで科学用語として「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの」としています。20世紀中頃のことですが、その後「パラダイム」は広く拡大して使われるようになり、ものごとを捉える時のその「捉え方・考え方の枠組み」「その時代の規範となるような思想や価値観」を示す言葉として使われるようになっています。

 そして広い意味でいうパラダイムについて、世の中でそれが変わっていくことを「パラダイムシフト」と呼びます。この大きな意味でのパラダイムシフトが今起こっている最中だと思うのですが、300~400年前にも大きなパラダイムシフトがありました。その時のシフト期間はかなり長いものだったと思います。

 400年くらい前までの世の中というのは、人々が生きていく上でのその生き方、考え方、物事の見方のベースが、神様の教えとか、仏様の教えとか、王様が絶対的な権力を持っている王国であればその王様の御達しといった規範にありました。キリスト教の世界であれば聖書、イスラム教の国であればコーラン、仏教国であれば仏教経典になります。普段の生活、子供達への教育の中にそうした教えが息づいていました。それより前の時代のアニミズムやシャーマニズム、汎神論なども含めて、こうしたパラダイムをここでは「絶対者の規範」と呼ぶことにします。

 それが400年くらい前から起きたいくつかの事象によって、時間を掛けて変わって行くことになります。その代表的な事象は、コペルニクスの地動説、ガリレオ・ガリレイの黒点観測と宗教裁判、ニュートンの古典力学、デカルトの哲学、ダーウィンの進化論などです。神や仏の教えではなく、今日私達が言うところの「科学的に証明できるものが正しい」という考え方ですね。敢えて逆の言い方をすれば「証明できない神など存在しない」という見方に繋がります。こうした見方、考え方が私達の生活、生き方のベースになっているのが現代の世の中で、そのパラダイムを私は「物資サイエンス」と呼んでいますが、実証主義(パトリオティズム)の方がニュアンス的に当たっているかも知れません。

 ダーウィンの「種の起源」は160年くらい前の話ですから、世の中全体が変わって行くのに300年くらいの時間が掛かった訳ですが、現代の私達のほとんどが「物質科学的に証明できるものが正しい」という考えをベースに持って生きて、日々生活しているように思います。

 教育が完全にそうしたものになっていることが、私達の科学信仰とも言うべきパラダイムをより強固なものにしています。教育ですから教える内容が学問になる訳ですが、その系統を人文科学、社会科学、自然科学に分類する方法が浸透しています。人文科学の中には、文学や美術・音楽なども含まれる場合が多く、学問である以上科学という冠を被せる必要があるということなのでしょうか。挙句の果てに、音楽や美術でも答えの決まったペーパーテストをして点数を付けたりしています。こうしたことの根底に「物質サイエンス」パラダイムとしての唯物的な思想が流れているような気がしてなりません。

 学校教育のみならず、社会教育、家庭教育もそうなっている場合が多いですから、実生活の中で私達のものを見る、判断する基準が何でもこのパラダイムになっている、そんな世の中であることが、私達が物質的な満足感を得ることを目的化することを助長していないでしょうか。なんでもかんでも数値化してその数値を増やすことに喜びを感じる、その最たるものがお金で数値としてのお金を増やすことに生涯を費やす・・ 資本主義の発展などという言葉で多くの人達はそんな風に方向付けられている・・ その根底に「物質サイエンス」パラダイムがあるのだと思います。

 そうした時代が行き詰って来ているのか、時代転換の兆しを感じている方が増えているというのは本論の「はじめに」で述べた通りです。それはパラダイムがシフトしているということでもあると思うのですが、ではこれからの時代のパラダイムをどのように捉えたらいいのか? 次回からそんな話に入って行きたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(6回目)

1.今世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀ってどんな世の中? 

【意識の変容】(その4)

 現代社会は優越意識に支配されていると思うのですが、この意識は優劣、良し悪し、善悪、高低、正誤などの基準軸を持って何でも比較し、基本的に自分を上位に位置づけようとする意識です。正誤で言えば自分が正しく、正義と悪で言えば自分が正義であるということを前提にする意識になります。最近「風の時代」という言葉が良く使われますが、これまでの時代を「地の時代」とすれば、その時代を象徴する意識といえるでしょう。昭和的と言ってもいいかも知れません。

 私は昭和の時代に育った人間ですが、ひとつ年上に昨年凶弾に倒れた元総理大臣の阿部晋三さんがいます。私が図7の資料を作ったのは2021年の秋で、この資料を使って「時代の転換と意識の変容」という動画をYouTubeに公開したのは昨年4月でした。この時安倍さんはまだ生きていらっしゃったのですが、「地の時代」「優越意識」の象徴として描いてしまいました。国会で118回嘘をついても、嘘をついている自分こそ正しいと疑わないような意識です。

 これ以上安倍さんの批判は控えますが、現代人の70%くらいはこの優越意識を主に使って生きているように思います。残りの30%のほとんどがその前の段階である集団帰属意識中心に生きていて、これからの時代の意識となるべき自立意識で生きている人は、まだまだ僅かのようです。資料ではその象徴をオードリー・タンさんにしました。35歳の若さで台湾のデジタル担当大臣に抜擢されたオードリー・タンさんは、ご自身がトランスジェンダーです。「自由への手紙」という本のカバーにある「誰かが決めた正しさにはもう合わせなくていい」という言葉は、自立意識の象徴と言ってよく、 正しいとか正しくないとかいう基準そのものが無意味であり、みんなそのままでいいということですね。そのままの自分はみんなそれぞれ違う訳ですが、その違いを認めて違うままでいいという意識です。

 優越意識がマジョリティの時代が現代まで続いてきているが故に、今も地球上では「正しい」と「正しい」のぶつかり合いが絶えません。優越意識同士の戦いの土俵が、地球上の人間社会を覆っていると言っていいでしょう。

 戦争に於いても、お互いに自分達が正しい、自分達が正義と主張して戦う訳ですが、これを自立意識で見れば、それぞれが違う主張をしているだけということになります。注意したいのは、世の中を評論する評論家、批評家、専門家と呼ばれるような人達も、そのほとんどが優越意識を持って自分が正しいという前提で批評していることです。

 自立意識の人は、「私は私、あなたはあなた。そこにあるのは違いです。」という視点でものを見るので、「正しい」という主張のぶつかり合いは起きません。自立意識の人達の集まりの中では、争い事は起きないんです。自立意識を使っている状態と優越意識を使っている状態では、脳の使い方が違っているように思えます。これはまた章を改めて考えたいテーマになりますが、優越意識の人が自立意識を持つために初めにすることは、物事を俯瞰してみる努力をすることだと思います。俯瞰して見える見え方も当然人それぞれ、様々ですが、先ず俯瞰して見る努力をする、ここから始めることが大切だと思います。

 図9のように、優越意識同士のぶつかり合いの土俵である世界を俯瞰して見るとどのように見えるのか。メディアなどに流れる情報だけを鵜呑みにしないで、「優越意識→自立意識」という今時代に求められる変容を進めるために、先ずそこから始められないでしょうか。

 【意識の変容】の話が長くなりましたが、次回からは22世紀型社会に向って必要になる変化として、【パラダイムシフト】について見て行きたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(5回目)

1.今世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀ってどんな世の中? 

【意識の変容】(その3)

 今の世の中に求められる意識変容について、今回は顕在意識、潜在意識、深層意識という一般的に捉えられている意識階層とは、少し違った角度から意識階層を見て行きたいと思います。

 アブラハム・マズローは人間性心理学の祖とされますが、「欲求階層説」が大変有名です。私は文系理理系で言えば理系の人間なのですが、会社員時代に入社5年目くらいからマーケティングを担当するようになりました。少しは勉強しようと読んだマーケティングに本によくこのマズローの欲求階層説が引用されていました。当時から既に趣味的(?)に精神世界とか神秘思想といった類の本もたくさん読んでいましたが、こうした本の中にもマズローの欲求階層説を引用しているものがありました。図5に欲求階層説を示します。

 生理的欲求、安全・安定の欲求、社会的(帰属の)欲求、自尊の欲求(承認欲求)、自己実現の欲求がピラミッドのように階層をなしていて、上に行くほど上位の欲求になるという説になります。人間がこの階層に分かれているというより、皆が持っているこれらの欲求のどこを主にフォーカスしているかで生き方が分かれると言った感じでしょうか。同様の欲求を選択理論として体系化した心理学者のウィリアム・グラッサーは、階層性を否定しています。

 私はこの欲求階層説に接した時に、これはそのまま意識の階層になるのではないかと思いました。それを言葉にしたのが図の左側になります。生存意識、種族維持意識、集団帰属意識、優越意識、自立意識の5階層になります。生存意識と集団帰属意識は、自らが生きるために努力する、自分の種族を維持するために努力する、という全ての生物の本質とも言うべき本能になります。その本能も深層領域の意識と捉えていいと思っています。3番目の集団帰属意識は群を形成する動物特有のものと思っていましたが、最近の研究では植物にもこうした連携があることが分かって来ています。集団に与する活動を支えている意識ですね。

 4番目の優越意識と5番目の自立意識が本論で扱う意識変容の本丸になります。人間の様な高等動物では、その社会の中で優位なポジションを築くという意識が上位意識として出てきます。それが優越意識で、色々な関係性を比較した上で優劣などの序列の軸を持つことが前提になります。その軸は、優劣であったり、高低であったり、良し悪しであったり、善悪であったりするのですが、とにかく比べっこをして序列を作り、自分がその中で上昇して行くという志向性を持つ意識になります。

 優越意識が比べっことして高い低いという位置づけをしたり、善悪、正義と悪などの二極で世の中、物事を捉えたりするのに対して、5番目の自立意識では比べることによって認識される違いに優劣や高低や良し悪しを付けることなく、違いを違いとしてそのまま認める意識になります。二極に分かれているものを二極としてそのまま受け止めます。

 優越意識も自立意識も誰もが持っているものだと思いますが、この二つの意識には脳などの使い方も含めて大きな違いがあり、どちらにフォーカスを当てて生きているのかで、人々の人間性に階層を生んでしまうような違いを感じます。そして現代社会は、優越意識→自立意識の変容が求められる時代に入っていると思うのですが、次回は優越意識に支配されていると思われる今の時代を、もう少し掘り下げて見てみたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(4回目)

1.今世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀ってどんな世の中? (その3)

 意識の前提になる認識について述べてきましたが、意識の階層とこの認識との関係を関連する項目も含めて少し見ていきたいと思います。図4は、意識の階層と認識など関連する項目を整理した表になります。分類する意味で境界線を線引きして表にしていますが、明確に分けられるものではないことをお断りしておきます。

 ここでは意識の階層を、顕在意識、潜在意識、深層意識・集合無意識・超意識、普遍意識・純粋意識の4つの階層に分けています。それぞれの意識を細かく定義するのは難しいですが、最後の普遍意識・純粋意識は、人間としての個を超えたトランスパーソナルな領域の意識として位置付けています。集合無意識や超意識についても個を超えている面を持っていると思います。

 先ず、分かり易くするために目に見える部位から割り切って見れば、大脳新皮質が顕在意識の主な活動野になります。ここでは、脳の神経細胞間を神経伝達物質によって電荷などが伝えられることで、情報が伝わって行きます。そうした反応が複雑に形成されることで、認識が形成されるのだと思います。私達は限られた範囲の波長の光子(フォトン)の波動(電磁波)を視覚で捉えますが、顕在意識は基本的に物質(分子・原子)反応の世界の意識になります。この意識の活動として、知性、理性、思考、判断などが上げられます。私達がコントロールしながら行っている活動という面が強いです。

 チンパンジーやゴリラなどの高等な類人猿、イルカやクジラなどの高等な海洋哺乳類は、自覚する顕在意識をあるレベル持っているように思いますが証明はできません。私達人類の顕在意識が発達したことは、大脳新皮質にある言語野の発達と関係が深いように思えます。私達の言語コミュニケーション能力が著しく発達したことが、同時に自覚するという行為を言語表現できることになったことに深く関係しているのだと思います。

 顕在意識の大脳新皮質に対して、潜在意識の主な活動野は少し古い哺乳類の脳と言われる大脳辺縁系で、勿論単純に区分けできるのもではないでしょうから、大脳新皮質や脳幹も関わっているでしょう。認識やコミュニケーション媒体としては、顕在意識と同様に分子・原子も勿論あるでしょうが、ここでは後章で詳しく述べる「量子のもつれ(クォンタム・エンタングルメント)」のような現象が、潜在意識の活動のベースにあるように思えてなりません。現代科学では、まだまだ証明しようのないことです。よって、認識にしてもコミュニケーションにしても潜在意識の活動を支える媒体は量子・素粒子(クォンタム)が含まれます。正当な脳科学の立場からは異論があるかも知れませんが、まだ物理学の世界でも新しい事実がどんどん見つかってくる段階の量子もつれのような現象について、この領域で持つ役割が少しずつでも分かってくるのはまだまだこれからでしょう。よってここで述べている内容は直観によるものです。潜在意識は感情や感性、そしてこの直観にも結び付いていると思います。潜在意識には生まれてからの全ての記憶も残っているように思えます。

 更に深層意識の領域になると、より古い爬虫類の脳と言われる脳幹や身体全体が活動野になると思うのですが、私達が普段意識することなく動いている全ての身体活動、不随意機能などを支えているものと思われます。そして、この深層領域は、自分の外にある色々なものや生物たちとも量子のもつれ現象で連携して活動していることが、今後少しずつ分かってくるような気がしています。私達人間は、日常生活が極端に顕在意識の活動に偏っているのですが、他の生物達は当たり前のこととして潜在・深層領域の繋がりを使って生きているのではないでしょうか。

 現代社会に於いて私達は、その社会的活動のほとんどを顕在意識、大脳新皮質に頼った形で日々生活しているように思えます。そこには社会の体制に加え、乳幼児期から始まる教育全般も影響しているように思えます。そうしたことが、現代社会をひとつの時代の末期症状に導いているように思えてなりません。もっと潜在領域、深層領域まで脳全体を統合したような生き方が求められる時代に変わって行く必要があるでしょう。

  トランスパーソナルな普遍意識・純粋意識については、また章を替えて取り上げられればと思います。今回もまたややこしくなってしまいましたがこの辺にして、次回は別の見方で意識階層を捉えてみたいと思います。

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『22世紀型社会に向かって- 日本がそのモデルになって行く-』(3回目)

1)22世紀ってどんな世の中? (その2)

【パラダイムシフト】 物資サイエンス(科学信仰)→クォンタムサイエンス

【意識の変容】 優越意識→自立意識

【価値観の前提となる視点の変化】 客観性重視→主観性重視

というこれから進んで行くと思われる変化について、先ず「意識の変容」から見て行きたいと思います。

【意識の変容】

 意識について改めて考えると、なかなか捉えどころのないものです。言葉にすると「私達が直接的に心の現象として経験していることを自分で認識している状態」と言った感じでしょうか。どうしても認識するという行為があって、それを確認する、自覚するところから意識が生まれているように思えます。ここで確認するとか自覚するとか言う行為が必要ですが、それは自分で分かっているということであり、それが顕在化していることになります。ご存じのように意識には顕在意識があり、その下に自覚できない潜在意識があり、更にその下には深層意識、集合無意識と呼ばれるものがあると言われ、この辺りのところを整理する必要があります。「認識を自覚しているのが意識」だとすると、これは潜在意識、更にそれより下の意識には当てはまらない定義になります。

 顕在意識は意識全体の5%とか10%程度とよく言われます。私はもっと少ないのではないかと思うのですが、意識の相当な部分は潜在下にあるということです。自覚がない領域になるので、自覚がなくても認識はあるのかというと言葉の定義にもなり難しいですが、潜在意識と雖も何某かの認識がないと成立しないと思うんですね。顕在か潜在かは、自覚のあるなしがこの辺を分けるような気がします。そして、話をどんどん難しくしてしまうことになるのですが、意識の前に、認識というところから見て行きたいと思います。認識とは何んなんでしょうか。

 通常私たちは五感を使って色々なもの・ことを認識しています。光や音の波動をキャッチしたり、嗅覚などでは動く物質をキャッチして認識は形成されますが、光の波動にしてもその主体は光子、つまり量子・素粒子のひとつです。量子・素粒子は認識の対象ですが、私には量子・素粒子を構成している超ひも理論に言う超ひもは、認識対象に成り得ないように思えます。波動には干渉という性質があって、これは同調して増幅したり相殺し合ったりする性質ですが、この干渉によってできる干渉パターンは、毎瞬毎瞬そのパターンが次の瞬間へと引き継がれていきます。パターンという形が継続することで初めて認識される対象になると思うのですが、最ミクロの超ひもが干渉を起こす前の波動の段階では、認識しようがないと思います。量子・素粒子(クォンタム)は、超ひもの波動の干渉によって形成されるそれぞれ個性あるパターンが、継続して存在しているものなのでしょう。個性あるパターンが継続するから認識対象になる訳です。

 一方認識する側の認識主体は、認識ができるという構造を有することになり、ある程度複雑な構造の干渉パターンが出来て、初めて認識が可能な存在になると思えます。それがどれくらい複雑な構造で、どんな次元に存在しているものから認識主体になるのか皆目見当がつかないのですが、何れにしても認識には波動の干渉によって生まれる認識対象と認識主体が必須ということになります。

 存在が生命体まで進化すると、間違いなく認識主体としての能力を持つことになると思うのですが、下等な生命体でも認識と言う能力は持っているはずであり、これは私達が思うところの自覚と言う行為がなくても認識は成立していると言いたい理由になります。ちょっと強引に結びつければ、下等な生命体でも深層意識、潜在意識に相当するものは持っている可能性があります。こうしたことをインスピレーションでまとめたのが図3になります。まだ出来立てで今後修正が入ると思いますが、この図の説明はどこか後の方の章で詳しく行うことにします。

 ということで、ややこしい話になってしまった今回はここまでにします。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(2回目)

1.今世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀ってどんな世の中? (その1)

成田悠輔さんの「22世紀の民主主義」を読みました。大変刺激的な本でした。確かに化石のように古くなっている選挙制度にのみ参政権が認められているような現在の民主主義は末期症状を呈しているいと言ってもよく、それが同じく危機に瀕している資本主義を巧妙に操っている人達によって利用されているようにも思えます。それに対して、アルゴリズムの手法で潜在的な民意を探り、それによって細部に渡る政策課題の抽出、その時点で望まれるように政策意思決定をして行くという構想は、今の世の中の進展スピードを考えると、夢物語とは思えない実感がありました。

ただ、22世紀の世の中の在りようを予測する論述という見方をした時に、同様に22世紀のタイムラインを描いてみようとする私とは、捉え方のベースが随分異なるものだとも感じました。歴史的な流れの中で、基本的な社会構造が流れの中の変化に沿って進む範囲で、新たに生まれてくるテクノロジーを用いて改革を進めて行くけれど、人間そのものの変化という視点を積極的に捉えない社会科学的な範疇で、成田さんは22世紀を捉えているように思えます。私にはそう思えたという感想です。

それに対して私の描く22世紀では、先ず私達人類の意識が変化していることが前提として求められます。この意識の変化は変容であり、成長や進化という言葉を使ってもいい変化になります。敢えて言えば、22世紀を描く視点がどちらかと言うと人文科学・自然科学的なアプローチになると言えるでしょうか。そして、その人間の意識の変化変容は、何千年に一度起きるかどうかという変化で、それによって起こる社会変化は、ある種の不連続感を伴うもののように思えるのです。それが、既に一部の人達には起き始めている・・

この22世紀型社会の前提として必要になってくるのは、意識の変容に加えて、パラダイムのシフトと、価値観の前提になる視点・捉え方の変化です。パラダイムは物質サイエンス、物質科学信仰から量子論をベースにするクォンタムサイエンスに、意識は優越意識から自立意識に、価値観の前提になる視点・捉え方は客観性重視から主観性重視に変化して行く、そんな大きな時代の転換が22世紀に向って進んで行くと思うのです。それぞれの変化変容は相補的であり、こうした変化が起こることが、私達地球人類が次の時代に進んで行く前提として求められると言ってもいいでしょう。

次回から、ひとつひとつその中身を見て行こうと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』

「年明けから少し経ちましたが、昨年を振り返るとYouTubeを始め動画を10数本アップした年でした。視聴は全く上がりませんが、自分の思いをかなり述べられ、動画に合わせたPPTの資料もかなり出来て、改めて自分がこれからの時代に思うところが良く整理できたと思います。

今年は、チャネリングやカードからのメッセージを踏まえて文字化を進めようと思います。動画でも使った『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』という大きなテーマで、折々文章を書いて行こうと思います。先ずは「はじめに」ですが、今思っている全体の概要になります。書いている内に色々変化して行くと思いますが、よろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。」

はじめに

 今時代が転換期にあると感じている方は多いと思います。かなりの比率になるのではないでしょうか。その感じ方は様々で、人の数だけあるのだと思いますが、時代の転換にも色々な側面、周期があり、それをどのように捉えるかで、様々な見方が出てくるのでしょう。

 私の場合は、1980年代くらいから、この時代の転換を感じていました。と同時になかなか進まないなぁと思いながら、最近まで長い人生を歩んで来た気がします。そして、60代後半になった今、かなりこのスピードが上がって来たことを実感している昨今です。

 最近サステナビリティ(Sustainability)がテーマとして取り上げられることが増えていますが、日本語の訳としては持続可能性という言葉が出てきます。これは世の中全般を持続させて行くことのように思えます。このまま行くと世の中、特に地球上の人間社会が持続できなくなるのではないかという危機感が多くの人達に共有されており、こうしたテーマが取り上げられるのでしょう。そして、頻繁に耳にする言葉にSDGsがあります。Sustainable Development Goalsの略ですが、2015年9月に国連で採択された「持続可能な開発目標」で、「17の目標」と「169のターゲット」からなります。

開発目標となっているからなのでしょうか、17の目標の8番目には「経済成長も」というテーマが掲げられています。そしてよく示されるロゴポスターには、右肩上がりのグラフが描かれています。しかし私は、本当に宇宙レベルで恒久的なサステナビリティを考えた場合、経済成長というのは相容れないテーマなのではないかと思ってしまいます。50年とか100年とかタームを限れば、サステナビリティと経済成長を両立させることは可能かも知れません。しかしサステナビリティに問われるのは恒久性です。それと経済成長が両立するというビジョンが、私にはどうしても持てません。みなさんはいかがでしょうか。

宇宙は全体がバランスしています。どこかでプラスのエネルギーが大きくなれば、それに対応してどこかでマイナスのエネルギーが大きくなっている、これは宇宙のベースであり、そこから外れようのない法則です。陰陽がバランスしていると言い換えてもいいです。経済という活動が一方通行に拡大するというのであれば、それに見合った負のエネルギー活動がどこかでバランスすべく起きていることになり、こうした流れが永遠に続くことはありえないことでしょう。経済成長を語るなら、それに合わせて恒久性を内包したサステナビリティという言葉は使えないはずなのです。

本論は「22世紀型社会に向って」というテーマで、それが少しでもサステナブルな世の中の形に近づくことを目標に進めて行くつもりです。色々な意味で息詰まり感のある今だからこそ、色々な角度から論じて行ければと思います。

 さて、みなさんは今の日本という国をどう思っているでしょうか。それこそ1980年代には、Japan as Number Oneと言われ、当時海外事業に携わっていた私は、Yenの強さを実感したものです。第2次世界大戦後著しい経済発展を遂げた日本は、欧米先進国の仲間入りを果たし、特に物づくり・技術の面では世界をリードする国になった実感があります。それが今でも続いているという思いから抜けられていない人も多いのではないでしょうか。

 しかしバブルが崩壊し、インターネットが普及する時代になって以降、欧米各国に加え、それまでの開発途上国を含む世界各国が経済成長を果たす中で、日本経済は失速横ばい、世界に取り残された観があります。技術や学術面でも世界のトップクラスだったのに、色々な指標に見る日本の順位はどんどん下がっています。そうした実感を持てない日本人も多いかも知れませんが、日本の行く末に不安を感じている方も多いでしょう。

 本論は、そんな日本が22世紀に向って世界のモデルになって行くという大胆な仮説になります。そして、そのひとつのキーワードがサステナビリティです。恒久的なサステナビリティを目指すなら、経済成長という考え方は廃絶されるべきです。経済が成長しないまま社会が持続している今の日本に、サステナブルな社会に求められる仕組みが潜んでいるのかも知れません。今日本では低金利政策を継続していますが、本当にサステナブルな世の中を作るには、置いてあるものが勝手に増えて行くという、宇宙法則に相容れない金利という仕組みも無くすべきです。理由は?ですが、今日銀は正に低金利政策を継続しています。加えて、今日本は少子高齢化でも世界の先頭を走っていますが、この先いずれ日本の人口は縮小均衡状態になり、これはサステナビリティという視点に立つと、理想的な状態を生むように思えます。そこにソフトランディングすることが肝要です。

 明治、大正、昭和という時代の体制、やり方から抜け出せずに、旧態依然とした政策や行政活動を固守しようとする今の日本の政治家や行政関係者、金融関係者のやっていることが、22世紀に向って世界のモデルになるという皮肉な好結果を生む、そこに宇宙の大いなる采配を見る、そんな風に思ってしまうのはまだ私ひとりかも知れません。

 宇宙を味方に共感してくださる方を増やすべく、これから試論を進めようと思います。22世紀型などと言わずに、時代がいい方向に転換するスピードを少しでも上げられないかと思う次第です。

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『ヒーリング アース朝瞑想会』のご案内

「QEハーモニー」及び「これから塾」では、月~土曜日の毎朝7時から、ライトランゲージによるヒーリング アース朝瞑想会を開催しています。

今年9月に訪れた出羽三山神社で降りたメッセージ「ヒーリング アース:地球を癒す」を、いくつか実践していることのひとつになります。

《流れ》

・簡単なフォームアップ体操

・瞑想開始

・祝詞奏上

ライトランゲージ ヒーリング瞑想

・瞑想

・瞑想終了

7時~40分程度

  • 3回まで体験参加可。継続する場合は、会費が ¥2,000/月、¥5,000/3ヶ月

「ライトランゲージ ヒーリング瞑想」では、高次の存在を召喚して、そのライトランゲージ波動で参加者のエネルギー循環を即します。

デモ動画をご参照ください。

体験してみたい方は、

メール atsukada12@gmail.com 

Facebook https://www.facebook.com/akimitsu.tsukada  のMesseger

にご連絡いただけたら、ZOOMのIDをご連絡いたします。

是非一度体験してみてください。

#ヒーリング #遠隔ヒーリング #カウンセリング #スピリチュアル #ライトランゲージ #ストレス #トラウマ #軽井沢 #ヒーリングアース #これから塾 #パラダイム #人生相談 #人間関係

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『 「これからの時代の生き方-10訓-」の動画を始めます』

2年ちょっと前に整体院を開業した時にこのホームページを作り、同時に「これから塾」を開塾してコラムを配信し始めました。その頃「これからの時代の生き方-10訓-」をテーマにしてコラムを書いていましたが、この2年の間にも色々世の中の変化は大きく、改めて10訓を少し見直し、ひとつひとつ動画でお話しできないかと思います。

《これからの時代の生き方 -10訓-》

 1) 起こることすべて自分にとって必要なことと思って生きる

 2) 焦らずゆったりマイペースで生きる

 3) 周囲を意識して頑張るのではなく、自分が楽しいことに注力する

   4) 既存の知識に捕らわれず、内側から湧いてくる気づきを優先する

 5) 気がついたときに、その気がついたことをする

 6) 自然や周囲の環境を観察し、メッセージを受け取る

 7) 何かをしているときは、そのしていることになりきる

 8) 自分を内省して出てきたものを、素直に表現する

 9) 原子や分子よりもミクロなクォンタムを基本に生きる

10) クォンタム・エネルギーが喜ぶように生きる

そのイントロダクションとして、10訓全体をご紹介する動画をYouTubeにアップしました。

ご覧いただけると嬉しいです。

「これから塾」ではこれまでに動画を13本公開しています。ゆっくり目にしゃべっているので、倍速で見ていただくと丁度いいです。

https://www.youtube.com/channel/UCUxZgW-OeIoqT1m98J0j5MQ

Facebook、Instagramには、「地球を癒し癒される Light Language Healing Earth」 をテーマにした短い動画を軽井沢からお届けしています。

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