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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(22回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

4)これからの組織

 コミュニケーションの在りようが変わって行くことで、組織の在り方も変化するはずです。社会の発展段階と共にこれまでも組織は進化してきたと思いますが、最新の組織形態のひとつであるティール組織を提唱しているフレデリック・ラルーは、社会の発展段階に合わせて組織が、衝動型→順応型→達成型→多元型と進化して来て、今最新の進化型であるティール組織に変わって行こうとしているとしています。

 衝動型は力の強いものがその力により構成員達を従えるオオカミの群のような組織で、ここに階級として絶対的なヒエラルキーが導入されると次の順応型になります。このヒエラルキー組織に各構成員の目標設定やそれに伴う実力主義・成果主義が導入されたのが次の達成型です。民間企業を見ていると、ワンマン社長をトップにしたヒエラルキーがイエスマンで固められた構造が続くことでもたらされる業績不振から、この順応型に進んだところが多いように思います。これに対して政治政党などは、未だに胡麻をするイエスマンで組織が固められる衝動型や順応型に見え、時代から大きく取り残された組織形態を呈しているように思えます。この後取り上げるティール組織は、意識が自立意識へと変容、成長することで形作られる自然発生的な組織だと思うのですが、この人間的意識の成長から、最も遠いところにいるのが政治家の人達のように見えます。残念なことです。

 達成型に話を戻しますが、極端な成果主義が組織に導入されると組織員の間の競争が激化し、心身に不調を来すメンバーが増え、その結果組織全体が疲弊するようなケースが眼立つようになります。日本でも2000年頃にこうした大企業が増えた記憶があります。一方で物資は満ち足りて昔に比べれば生活にゆとりのある人達も増えたことから、仕事に対する価値観が多様化し、それを受け入れる方向に進んだ組織が多元型でしょうか。組織内での権限移譲が図られ、個人、人間関係、ライフスタイルなどが尊重されるようになりました。

 そして、大きな時代転換に合わせて前回までに述べて来たようなコミュニケーションの在り方にも変化が進むことで、組織もこれまでのような枠組みに捉われない形に進化して行くものと思われます。そのひとつの象徴がティール組織ということになります。これは、きちっとした組織という形が、あるんだかないんだか分からないまま仕事がきちんと回っていくイメージでしょうか。繋がったメンバー間の暗黙の自発的連携で動いて行くイメージです。ですから生体機能型の組織とか、生態系のような組織と言っていいでしょう。

 さて、コロナ渦で一気に普及が進んだZOOMに代表されるオンラインのミーティングや集まりがあります。私も多用しています。こうした繋がり、活動から生まれるネットワークが色々な形で生まれる世の中になりました。こうしたネットワークが重なり合って多重に存在できて、それで世の中が回って行くのがこれからの時代のひとつの形でしょう。私が企業に勤めていた時代は、副業を持つということは就業規則で制限されていましたし、勝手に作った仕事への倫理観で自分から避けていたように思います。コロナによる在宅勤務で、こうした感覚は一段と変化したのではないでしょうか。リンダ・グラットンの「ワーク・シフト」や「ライフ・シフト」は、こうした変化の広がりを予見していたように思えます。

 こうした自然発生的なネットワークは、距離に関係なくエリアや国境を越えて生まれます。そして、大変重要なポイントになりますが、こうした新しいタイプの連携が、継続的に上手く機能するかどうかは、メンバーが自立意識に変容しているかどうかがキーになると思うのです。メンバーのマジョリティが優越意識階層にあると、自分が有利になりたいというメンバーの動きから起こる摩擦で、ティール型は機能しなくなるでしょう。こうした色々な変化変容が相補的にパラレルに進んでいく・・ そうした時代の転換を体験していく時期なのだと思います。量子もつれという現象は宇宙のベースであり常時起きている訳ですが、意識が自立するほどに自然にその法則に乗っかれるようになるのだと思います。だから必要なところで勝手に繋がって当たり前に上手く回るネットワークができて行きます。

 そして、ネットワークが当たり前のように国境を超えるようになると、今の国、国家というものに与えられている意味や機能、制度、国際関係などは大きく見直さざるを得なくなるでしょう。既存のルールに関係なく、自然にできる良いネットワークがどんどん増えてしまうからです。次回は国を一番の基準にして行われている現代の政治が、これからどうなって行くかを少し考えてみたいと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

https://note.com/qeharmony_627/n/n1c014e6dbe0c

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(21回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

3)コミュニケーション(その3)

 今回はコミュニケーションに起きる変化の3回目ですが、人間におけるクォンタム領域のコミュニケーションについて見て行きたいと思います。

 私達人間に於いてコミュニケーションと言えば言語によるものが直ぐに思い浮かびますが、メラビアンの法則によれば、言語情報が7%、言語以外の聴覚情報が38%、同じく視覚情報が55%のウェイトになると言われています。これは言語ではなくても聴覚で捉えられる音、視覚で捉えられる像になりますから、物質サイエンス的に証明できるタイプの話になります。例えば言葉をまだ使うことができない赤ちゃんであっても、周囲の人達と声や表情、しぐさでコミュニケーションしていることを疑う人はいないでしょう。こうしたコミュニケーションは大人になっても当たり前に使っているものです。例えば目くばせなど・・ そしてその比率が93%になります。

 それとは別に、以心伝心、阿吽の呼吸、虫の知らせなど、五感を超えた領域で行われていると思える情報交換に、このように名前が付いて受け継がれているということは、多くの人がそうしたことを感じた経験があるということでしょう。こうした情報交流・コミュニケーションの媒体が量子(クォンタム)なのだろうと思うのですが、繰り返し述べて来ているように、量子もつれのような距離に関係なく2つの量子間に起こる同時反応はまだほとんど解明されておらず、それが私達の日頃の活動に持つ意味も全く分かりません。でも、以心伝心、阿吽の呼吸、虫の知らせなどのベースに量子もつれがあるとすれば、現象を単なる偶然として扱わずに済みませんか。

 これは人間の間だけの話ではなく、例えば私達の体の中には100兆匹とも言われる常在菌が存在していますが、私達はこうした体内の細菌達とも常時コミュニケーションしながら活動しているひとつの生態系ではないかと思います。そこには間違いなく共生関係があり、活動を共にしていると思えるのです。代謝やその他必要な生理機能を私達の体・神経系は体内細菌達とコミュニケーションしながら行っているものと思えますが、悪いものを食べてしまった時などに体と腸内細菌が連携して素早く下痢を起こして排出してしまうと言ったことも一例だと思います。私はいつも排便したときに、腸内細菌の死骸の塊でもある便に「ありがとう」と感謝してから水に流していますが、これをするだけで腸内細菌達と良好な関係が保てて、健康に大いに貢献してくれていると思っています。60代後半ですが、医者いらず薬いらずの生活を続けています。

 話は変わりますが、私には「光のことば」とか「宇宙語」と言われるライトランゲージをしゃべる能力があります。ライトランゲージは色々なものが持つ固有の波動を、人間が発声できる音に置き換えているものと思ってください。言葉に置き換えられる意味を持つものもありますし、エネルギー状態を整えるような効果を持つ波動である場合もあります。ライトランゲージを使って、生物、非生物を問わず様々なものとコミュニケーションすることも可能です。と言っても信じられない方が多いと思いますが、ここでも量子もつれによるクォンタム領域の情報伝達の可能性を考えれば、決して不思議なことではないと思います。本来クォンタムレベルのコミュニケーションには言葉も不要であり、今後は科学的な研究がそうした方向にも進んで行くことを期待するものです。

クォンタムレベルのコミュニケーションを日常的に使えるようになると私達の世界観が変わります。宇宙中とコミュニケーションしながら生きられるようになるからです。多くの人達がそれを体現できるようになることが、次の時代へのひとつのキーであるような気がします。

 誇大妄想と取られかねない話になり始めてしまったところで、次回はコミュニケーションに関連するテーマとして、組織の在り方がどうのように変わって行くのかを取り上げてみたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(20回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

3)コミュニケーション(その2)

 さて、今回はコミュニケーションに起こる変化の2回目として、動物達の不思議な生態について少し見て行きたいと思います。

 先ず、昆虫や爬虫類、両生類、魚類などによく見られる擬態や保護色です。例えばタコですが、海底を移動しながら瞬時に体の色や表面の形状を周囲に合わせて行きます。これは、周囲を目で見て、「ああ、ここは灰色とブルーと濃い茶色が混じった色で、ごつごつした岩場だ。」などと頭で判断してから指令を出して体内反応を起こし、周囲に体の色や形状を合わせて変えて行く・・ などという悠長なことをしているようには見えません。動きながらどんどん変わって行きます。仮説ですが、体表細胞の中の量子と周囲の外界を構成するものの中の量子がもつれ現象で同調して得られる情報が、自動的にと言っていい仕組みで体表の変化になってしまう生態を持っているのはないでしょうか。量子もつれを追跡するレベルに私達の科学はまだ達していないので証明が不可能な仮説ですが、こうしたことが起きているとすれば、これをクォンタムなコミュニケーションの一例にしていいのではないかと思います。

 もう一つ鳥や魚の群の行動があります。鳥や魚の群が瞬時に方向転換する様子やその映像をご覧になったことがあると思います。揃って泳いている多数の魚の群が、突然揃って向きを変える・・ 彼らはどんなコミュニケーションをしているのかと不思議に思いませんか。多くの個体数の群全体が一斉に方向を変えるので不思議なのですが、ひとつの研究結果として、

1.「衝突回避」仲間との距離が近い場合、ぶつからないように進行方向を変えようとする

2.「並走」仲間との距離がちょうど良い場合、距離を一定に保つために並走しようとする  (速度を合わせようとする)

3.「接近」仲間との距離が遠い場合、近づこうとする

の3つのプログラムがその動物種の脳の中にあれば、この群の動きが起きるとしているものがあります。コンピュータの画面上に魚の群を描いて一匹一匹にこのプログラムを組み込んで、どれか一匹を動かすと、本物の魚の群のような動きをするそうです。しかし、自然界では全く動きを確認できない位置関係にある魚同士が同じタイミングで動いている様子が見られることから、この3つのプログラムによるとする説に反対する研究者もいるようです。私はここでもクォンタムの同時連携があるように感じてしまいます。繋がって一緒に動く仕組みがあって、この繋がりをクォンタムコミュニケーションと言っていいのではないかと思います。

 加えてもう一つ、「働きアリの法則」があります。これは、働きアリの活動を良く観察していると、よく働くアリ20%、普通に働くアリ60%、怠けて働かないアリ20%に分かれると言うものです。そしてこの働きアリ達の一部をどんな比率でもいいから取り出して別の場所に移すと、その働きアリ達がまた、よく働くアリ20%、普通に働くアリ60%、怠けて働かないアリ20%に分かれるのです。彼らはどんなコミュニケーションをしているのでしょうか。「俺さっきまでたくさん働いてたから、今度はちょっと休ませてくれよ。」なんていう相談をしているとは到底思えません。何某か全体が連携してひとつになって活動する意識のようなものがあると思えてしまいます。その連携にクォンタムのレベルのコミュニケーションが存在しているのではないでしょうか。

 以上、少しだけ分かりやすい事例を上げてみましたが、私達は自分達の思考法でこうした現象について考えてしまいます。しかし、宇宙のベースに全く想像の及ばない仕組み・繋がりがあって、実はそれをベースに私達も当たり前に活動していると思うのです。その仕組み・繋がりのひとつをクォンタムコミュニケーションと呼べないかと思います。そして私達もその宇宙の仕組みの上に居る訳ですから、本来積極的に使う能力を持っているのだと思います。これは人間の脳である大脳新皮質による顕在レベルの認識機能では管轄外かも知れませんが、潜在的な意識の部分では当たり前に機能して使っているもののように思えます。そうなるとコミュニケーションのありようが相当変わってしまいます。これから量子の様々な研究が進むことで、こうした新しいコミュニケーションのありようがもっと目に見えて現れて来るのではないかと思いますが、みなさんはどう感じられるでしょうか。

 次回は人間に於いても、五感を超えたところでこうしたコミュニケーションが行われているのではないか、というところをもう少し考えて見たいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(19回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

3)コミュニケーション(その1)

 前回最後に述べましたように今回はコミュニケーションについて「これから起こるであろう変化」を見ていきますが、コミュニケーションについては色々な方向から捉えて行くことが必要だと思うので、1回で終わらないかも知れません。そして初めに、前回の「情報通信」に関する論考の延長戦上でコミュニケーションにも関係すると思われる、今話題の「ChatGPT」に代表される生成AIについて、ちょっと私見を述べてみたいと思います。

 生成AIは、ユーザーが作りたい文章やその他の成果物をコンピュータとの質問対話形式で作成してくれる人工頭脳ツールで、広い意味でひとつのプログラムソフトと呼んでいいのかと思います。簡単に使えてアウトプットさせる作成物が高水準であることから、急速に普及・活用が進んでいるようです。使った経験はなく全く専門知識もないのですが、アルゴリズムとプログラムの進化したひとつの形なのでしょうか。便利なツールとして使うにはよいかも知れません。作業効率を上げるような使い方は分かるとして、クリエイティブな活動そのものに使うのは、私達のクリエイティブビティを退化させることはないのかなと、自分としては今のところ積極的に使う気にはなりません。

 過大と課題と感じるのは、そこに使われているプログラムには製作者の意図を加えられるのではないかと思えることです。製作者が個人であっても、組織であっても、企業であっても、自分たちが有利な状況を生み出す意図を他者には分からない形で組み込むことが可能で、世界中で多くの人達が使うことでいつの間にか製作者にとって都合のいい世の中になって行ってしまう・・そんな危惧を感じます。繰り返しになりますが、製作者の意識が優越意識階層にあると、そういうことが起きかねないということです。製作者の意識が自立意識であれば、純粋に世のため人のために制作すると思うのですが、残念ながら今の世の中はまだそこから遠くかけ離れた状態だと思います。

 さて、対話型ということでChatGPTを使うことは一種のコミュニケーションかも知れませんが、自分なりにコミュニケーションの意味を考えると「何某かの媒体を通して行われる個体間の情報交換により、共通認識を形成すること」になります。

 先ず個体間の情報交換としているのは、コミュニケーションは人間に限ったものではなく、動物達でも行っているものですし、最近は植物間のコミュニケーションも明らかにされて来ています。(相手がコンピュータソフトなら、それとの情報交換になる訳ですね。) 私達人間にはコミュニケーションに使う媒体として言語が直ぐに思い浮かびますが、人間に於いても情報を得ることに言語が使われる割合は全体の7%に過ぎないと言われます。言語になる以前の視覚・聴覚・感覚で受け取る情報が大半だということで、それがコミュニケーションにもなっている訳です。身振り手振りでもコミュニケーションはできますし、阿吽の呼吸もコミュニケーションのひとつになりますね。

 動物に於いては、鳴き声の使い分けによるコミュニケーションの研究が進んで来ていますし、動作・身振り・スキンシップ・フェロモンなど、色々な方法によってコミュニケーションは行われています。植物ではホルモンのような分泌物や根のネットワークによるコミュニケーションの研究が進んでいるようです。

 図4は意識階層の説明のところで使った図ですが、潜在領域でも意識のコミュニケーションは行われていて、ここでのコミュニケーション媒体はクォンタム(量子・素粒子)になるのではないかということを示しています。これは全くの仮説ですが、量子もつれのような現象がかなり根底のところのコミュニケーションを支えているように思うのです。

 証明のできることではありませんが、次回思いつくことを少し取り上げて行きたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(18回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

2)情報通信

 「色々な分野で起こるであろう変化」の2回目は、「情報通信」の世界がこれからどうなって行くだろうかを少し考えてみたいと思います。

 私達が用いる西暦は、紀元前がBC、紀元後がADで表されますが、これはキリストの生誕以前と以後から来た略語です。インターネットが普及し始めたのは1990年代だと思いますが、未来の年表にはBI(Before Internet)、AI(After Internet)の区分が加わると言われることがあります。それくらいインターネットが私達人間社会に与えた影響が大きいと言えるでしょうか。

 私自身は90年代前半から電子メールを使い始めたのですが、海外事業に携わっていたので海外の複数の相手に瞬時にメールが送れる、資料のファイルも添付できるといった今はもう古く感じる機能で著しく業務効率が上がり、感激したものでした。

 2000年代前半に会社の事業部で未来プロジェクトを担当していたのですが、誰でもパソコンでテレビ会議に簡単に参加できるようになり、在宅勤務や最寄り駅のサテライトオフィスが普及する、と言うビジョンを描きました。何のことはない、今ではZOOMで簡単にできるようになりました。

 インターネットの普及によって、物流システムや金融システム、決済システムも大きく変わり、ブロックチェーンのようなシステムに乗り遅れた観のある日本は、色々なことが後手後手に回り、経済成長にも影響が出ている印象があります。

 こうしたツールとしての利便性の面だけでなく、インターネットによって人と人との距離感に色々な変化が生まれたと思います。ZOOMなどを使って海外の人との顔を見せながらの交流が当たり前になっていて、外国の人であっても翻訳ソフトを使うことでコミュニケーションがかなり簡単になっています。

 パラダイムのシフトに伴う技術革新も更に進むでしょうから、国境を越え、人種や民族を超え、世界の距離は縮まって行くでしょう。クォンタム領域に技術革新が進むと、情報機器と身体との融合のような世界ができてきて、いつ何処にいてもそのまま情報網に繫がれるような方向になるかも知れません。マルチ機能のスマホが今よりもっと体の一部に近い形で使えるイメージでしょうか。同時に新技術をハッキング、情報戦争などに利用する人達もいるでしょうから、技術革新に伴う善用と悪用のイタチごっこもまだまだ続いて行くことになるでしょう。

 もう一つ大きな問題があります。情報ネットワークで世界中が瞬時に繫がることが可能であることから、影響力の強いメディアが流す情報が世界を席巻することになります。発信者の意図が情報の形になって世界中に流され、それが繰り返されることで受け取る人々のものの見方、捉え方が方向付けられてしまうことが避けられません。意図的な情報操作、洗脳と言ってもいいことが公然と行われる可能性があり、実際にそうしたメディア活動に世界が支配されている面が否めません。

 本物とフェイクの見分けが全く付かない情報操作、AI技術の乱用、技術革新に伴って生じる新たなフィールド、新たな問題などに対して、「早急なルール作りが求められる。」と良く言われます。しかし、問題を起こす人達も、技術革新を進める人達も、ルールを作る人達も、みんながみんな優越意識階層にいたら、根本的な問題解決はあり得ません。優越意識階層の人達は、どうしても自分達が有利になること、自分達の金儲け、自分達の権力拡大に発想が直結してしまうのです。特に情報・メディアの世界は、既にそれがかなり深刻な状況に成っていると感じます。

 ここに於いても、どうしても意識の変容が求められます。みんなが自立意識に変容して行くことがこうした問題解決の必要条件であり、多くの人達の意識変容が実現できれば、それはほとんど十分条件になって行くものと思います。意識の変容だけが根本的な問題解決への道だと思うのです。

 そして、この意識変容はコミュニケーションのあり方も変えて行くと思うのですが、次回はその辺のところを考えてみたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(18回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

 これまで第1章の扱いで、「今 世の中で起きていること、進む方向」について色々な角度から見てきました。ここから第2章として「色々な分野で起こるであろう変化」として、変化の各論に入りたいと思います。色々な分野ということで、全方位的に述べる構えを見せながら、でも自分が思いつくとことを述べるところに落ち着くと思います。思いついた分野としては、科学、情報通信、コミュニケーション、組織体(国・社会・エリア・ネットワーク)、政治、経済、宗教、教育、健康(医療・薬事)などになります。

 これまで書いて来たものの繰り返しになる部分もあるかも知れませんが、これら分野について、新しいパラダイムへの転換をベースにした少し具体的な未来像を描けないものかと思います。順番は思いついたものからになるかも知れません。科学全般

)科学全般

 先ず科学全般がどのように変化して行くかから、考察を始めたいと思います。

 一言で言うと、パラダイムシフトとして散々言及してきたように、物質サイエンスからクォンタムサイエンスにベースが転換して行くのだと思います。物理学としてだけでなく、既に量子コンピュータや量子脳理論など、研究の始まっている分野は多いと思いますが、現状として物理学についても解明されているものが極々僅かであり、他の分野への応用となると更に限られた扱いになっているのが実情でしょう。特に量子もつれのような現象が、私達にどのような影響を及ぼしているのか全く分からない中で、それが存在のベースにある法則だとすれば、色々な分野の垣根を超えた捉え方が必要になると思います。現代は科学に於いても学問的な細分化が進んでいますが、分野をクロスオーバーさせたり、全体をホリスティックに見たりする学問領域が必須に思えます。ひとつひとつの現象や活動が、広い意味で周囲とどのような関わりがあり、どのような影響を与えているのかと言ったことが重要な視点になって、積極的に活用することも必要になります。

 そうした中で、これまでの科学の基本姿勢である、証明する、再現性を得るという考え方を、手放さざるを得なくなると思います。これはかなりの抵抗感を伴うことだと思いますが、量子・クォンタムを基本に研究を進めれば、必然的にそうなるのが本来の宇宙でしょう。これは、客観性重視・主観性重視の問題にもなりますが、私達はこうして生きて生活している限り、客観的な共通軸を持たざるを得ません。そして、科学というより「科学技術」という言葉で表現される世界が、客観性をベースにした発展を進めて行く領域になると思います。その世界では、証明、再現性は必須科目で、少しでも多く人達に共通の新しい価値あるものが提供できるように研究を進めることは重要だと思います。それは多分「科学技術」と呼ぶべきものでしょう。

 純粋な科学的探求は勿論進むでしょうが、全部正解、間違いなし、と言った世界観の宇宙の中にあっては、例えば科学と哲学の見分け付かなくなって行くような発展方向ではないかと思います。

 やっていいこと、悪いことの判断基準とか倫理観が、高次の宇宙にゆだねられるような世界観にならないと、当面混乱は続くでしょう。例えば、遺伝子をいじくることへの是非、原子を壊す技術への是非、進化した機械に人間・生命を任せることへの是非、色々あると思いますが、私達の意識が優越意識から自立意識に変容して行けば、大半の問題は自ずと解決するように思います。

 これからの科学については、余り具体的なビジョンが描けないので、今回はこれくらいにします。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(17回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

4)今 世の中で起きていること(その3)

 今回は「今 世の中で起きていること」の3回目になりますが、スピリチュアルブームについて、感じるところを述べてみたいと思います。

 実感として今間違いなくスピリチュアル志向の人が増えている思といます。数値指標がないのですが、かなり増えているのではなでしょうか。その割にはメディアがあまり取り上げないなぁとも思います。物質サイエンス・パラダイムから見ると、まだ無視したい世界なのでしょうか。

 最近のブームの特徴として感じることは、圧倒的に女性が多いということです。年齢は様々ですね。「風の時代」などの捉え方からしても、これからは女性性や母性が表に出てくる時代であり、当然と言えば当然です。スピリチュアルブームのスピリチュアルって何なのかと改めて私なりに考えてみると、これまでの行き過ぎた物質サイエンス・パラダイムからの転換期に、物質(分子や原子)の法則を超えた目に見えない何かの存在を認めて、これを受け入れることでしょうか。この目に見えない存在が、私達より高次の存在であることが多く、それが神仏であったり、天使とか精霊とか妖精だったり、宇宙的な存在だったりするのだと思います。そして、従来の伝統的な宗教とか、集団組織型の新興宗教ともちょっと違って、もう少し軽いノリのもののように感じます。哲学者の島崎隆さんは、論文の中でスピリチュアルについて「個々人が何か目に見えない不思議なもの、超越的なものと、一定のリアリティをもってつながっているという感覚のこと」と書かれています。こんな感じでしょうかね。

 加えて私が結構好きな部類ですが、物質(分子や原子)よりミクロな量子論的物理学を追求するとスピリチュアルとの境界線が無くなってしまうような流れがあると思います。最先端の学者さんに多いパターンです。これまでこの小論の中で色々な角度から述べてきていることですが、今まだ物質サイエンスの考え方から抜けられない人達が、前時代の少数グループになって行く流れの過渡期なのでしょう。しかし、ある意味まだ時間のかかる過渡期であるために、スピリチュアルという言葉で雑多なものが扱われていて、その扱われ方に気になるケースも見られます。端的に言うと、パラダイムの転換に合わせて必要になる意識の変容がなされないまま、優越意識階層の人達がスピリチュアルに参入しているケースが多いため、スピリチュアルと言う衣を着て、周りと比べっこしながら金儲けをしたがる人達も見受けられ、それが結構多い気がします。

 かなりセンシティブな話になりますが、よく取り上げられる「引き寄せの法則」を例に、少し私見を述べたいと思います。スピリチュアル系の方は、潜在意識の活用法などもテーマにされることが多いですが、そのひとつに願望実現を目的にした「引き寄せの法則」があります。潜在領域の意識に達成したいことを意図として刻み込むことで、それが現実化すると言ったイメージでしょうか。量子レベルの法則を考えれば、これは当然起こりうることで、実際にそれを体験されている人も多く、その体験を踏まえて指導的な立場になっている方も多いでしょう。

 ちょっと考えてみたいテーマなので、かなり割り切って単純化した図34を書いてみました。本当はこんなに単純な話ではありませんが、単純化したこの図のポイントは、優越意識と自立意識に階層を分けてまとめているところです。図の中に「現生利益(げんせいりやく)」という言葉があります。現世利益は仏教用語で、信仰心をもって活動・修行などをした結果この世で得られるご利益・恵みと言った意味です。引き寄せの法則は、ミクロな物理法則に則っているために、そのポイントを外さなければ求めたものが何某かの形でこの世で得られることになります。引き寄せの法則による現世利益です。

 さて、スピリチュアル系の人は、魂が生まれ変わることも受け入れている方が多いと思います。それが一個魂の輪廻転生と見るにしても、魂がくっついたり別れたり、変容したりすることもあると捉えるにしても、生まれ変わりを繰り返すという変容を通して、私達は成長というベクトルを持ち続けるものだと思います。カルマ論の話は章を改めてしたいと思いますが、引き寄せの法則を下手に使うと、今回の生涯がそれでハッピーに過ごせたとしても、生まれ変わって行く魂の先の歩みに於いて、カルマとして解消しないとならないものを増やしてしまう可能性があると思うのです。現世利益として得られたものが、優越意識の人が他の人と比べっこしながら得た成果物である場合、それは今生で死ぬときに手放すものである場合が多いと思います。成果物は手放しますが、それをなした執着のようなメモリーがカルマと成って死んだ後も残ってしまうというイメージです。ケースバイケースであり単純ではありませんが、自分を優位に置きたがる優越意識階層の人がその願望に引き寄せの法則を使った場合、カルマを増やす可能性が出て来てしまうと思うのです。

 図35は超ひも理論からカルマを説明しようとして以前作った図です。最も広義にカルマを捉えると、超ひも波動の干渉パターンになり、それがあるから存在が存在として認識されて存在することになります。干渉パターンが無ければエネルギー波動はあっても存在として認識できない状態で、存在が存在して行く究極のゴールがそこだと思います。言い換えればカルマを全部解いて行くということです。

 私達存在には毎瞬毎瞬次の瞬間に進む方向の自由度が与えられていますが、この自由度は極めて僅かで、自由に進めずに塞がれている方向がカルマになります。毎瞬毎瞬の自由度の選択次第でカルマは減り、自由度が上がって行きますが、選択を間違えると自由度が減る、カルマが増える方向に進むことになります。引き寄せの法則は、使い方を間違えるとカルマを増やすことになると思えてなりません。

 最近量子論から引き寄せの法則を語る人も増えていますが、確かに引き寄せの法則は量子レベルの物理法則としてドライに働くと思います。結果が伴うケースは多いでしょう。一方で意識の持ち方の世界は、生まれ変わりを超えたカルマにも成りうる訳です。引き寄せの法則そのものやそれを使うことが問題ではありません。それを使う意識が優越意識をベースにした欲望のレベルにあると、カルマを増やすことになりかねないということです。こうした点に触れていないケースが多く見受けられるので、これが最近のスピリチュアルブームの中で、ちょっと危惧する点です。今回の人生での価値観の問題であり、人それぞれでいいと思いますが、私は干渉パターンを減らして自由度を上げて行くことが、存在として存在して行く時の目指すべきベクトルだと思っています。意識の自立している人の場合は、引き寄せの対象・成果もこの方向に乗っかるケースが多いと感じられ、先ずは意識の自立を目指そう!と思う次第です。

 今回は大分辛口になりました。次回はどうなりますか。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(16回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

4)今 世の中で起きていること(その2)

 「今 世の中で起きていること」の2回目ですが、今回はこの3年間世界中を震撼してきたコロナについて少し考えてみたいと思います。全般個人的な見方になりますので、そのつもりで読んでいただきたく初めにお断りしておきます。

 先ず広域ウイルス感染というものは、地球上では時々起きるものと感じています。生物の固有種に対して起きる場合もあるだろうし、もう少し広い範囲に起きるケースもあるでしょう。今回のコロナウイルスの場合は、人類が感染対象だった訳ですが、鳥インフルエンザならこれが鳥になる訳ですね。

 そもそもウイルスとは完全な生物ではなく、半生物とか非生物とか言われたりします。一般に生物は自分で自分と同じ種族を増やしていく自己増殖することがその定義のひとつになりますが、これにはDNAとRNAという2種類の遺伝子を持って、情報をコピーしていく機能を自分の中に持っていることが必要です。ウイルスは、DNAかRNAのどちらか一方しか持っていないために、自己増殖できません。増殖するために他の生物の細胞に寄生して、その生物のDNAなりRNAを借りて自らの遺伝子をコピーして自分のコピーである子孫を増やしていく、そんな仕組みの「もの」です。

 こうしたウイルスが存在しているということは、自然界に於いてそれが必要だから存在していると思うのですが、これが広域に感染することで、私達生物の進化した遺伝情報を広域に拡散してその種族の進化を促進していく役割を担っているのではないでしょうか。ウイルスなしに進化情報がコピーされていくとしたら、生物進化にとてつもなく長い時間が掛かるため、地球の46億年という歴史の中で、私達のような高等な生物にまで進化が進むことは、確率的にありえないことのように思います。地球という生態系の中で、生物進化を促進し拡大する役割を担っている仕組みのひとつがウイルスだと思うのです。

 だから憎むべき敵ではなく、私達を支えてくれている大切な仲間だと思うべきなのですが、今回のコロナウイルスについて言えば、人工的に作られるプロセスの上に出来上がったもののようです。ウイルスを人工的に合成する技術は1990年代には相当確率されたようですが、その後も医学的にも生物学的にも研究は進み、加えて軍事兵器的な面からの研究も進んでいるようです。そうなると、必ずしも大切な仲間とは思えなくなってしまいますが、今回のウイルスは、アメリカか中国か・・どこかそういうところの研究施設から漏れ出てしまったものようです。それが意図的なものなのか、事故的なものなのか、一か所からなのか、複数のところからなのか、こうしたことは直接の関係者でないと分からないことだと思います。

 加えてワクチンの問題があります。mRNAワクチンについて言えば、ウイルス研究と合わせて大手製薬会社も参画する形で研究が進められていたと思うのですが、冷静に見ると、コロナにしても、ワクチンにしても世界中でその報道のされ方、促進のされ方が尋常ではなかった気がします。初めて使われるmRNAを使ったワクチンを、パンデミックという事態であることを理由に、こんな短期間の認可プロセスを持って世界中で接種しまくるという状況を生み出したことには、強力にそれを進める力が働いて、メディアが総動員されていたように感じます。

 私はワクチン未接種ですが、今世界では超過死亡の問題が起きていて、日本でも深刻です。異常事態で深刻なのにメディアは積極的に取り上げません。超過死亡が起きている期間から、mRNAワクチンが原因かも知れないと考えて状況を分析することは当然なことだと思うのですが、表舞台ではこれが御法度扱いになっています。ストレートな表現を用いるとSNSからも削除されるようです。ここまで来ると強い悪意を感じてしまうのですが、皆様はいかがでしょうか。

 人類史を振り返ると、新種ウイルスによる感染症の拡大は変異体や免疫抗体の形成プロセスからか、大体3年で収束している事例が多いようです。今回のウイルスが人工的なものであったにしても、概ねそんな状況に成ってきていて、私は地球生態系の方が小賢しい人間達より圧倒的にキャパが大きい! なんて感じてしまします。

 今回は、かなりアンチテーゼの立場で書いて来ましたが、最後にジンテーゼ的なニュアンスに繋げれば、これから進んでいく大きな時代転換のための人類の意識変容には、これくらい大きな事象もその気づき促進に必要なのかも知れないということです。だからこうした現実を無駄にしないで、多くの人がここから気づきを得ることを願って、今回は終わりにしたいと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

https://note.com/qeharmony_627/n/n1c014e6dbe0c

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(15回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

4)今 世の中で起きていること(その1)

 前回最後に掲載した図30ですが、今色々な形で起きているテーゼとアンチテーゼの対立、二極の対立について見ていきたいと思います。

 800年周期、1,600年周期説で見れば、現代は西回り文明、西洋型文明が隆盛期から衰退期に入り、これから始まる東回り文明、東洋型文明が起こってくる端境期と言えます。しかし、これをそのままテーゼとアンチテーゼに当てはめることはできず、あくまでもこれから始まる東回り文明、東洋型文明は、ジンテーゼの位置に来るものと思えます。つまり、今起きているテーゼとアンチテーゼの二極の対立は、西回り文明、西洋型文明の流れの中でそれを衰退、終焉させるために起きているものであり、「地の時代」の中で起きていることと言ってもいいと思います。

 図に書いてあるグローバリズム、ナショナリズムの戦いについて説明すると、1200年から始まる西洋800年間の時代をそのコンセプトで表現すれば、「植民地主義」の時代だったと言えないでしょうか。その最後に出てきた植民地コンセプトがグローバリズムになるということだと思います。歴史的に見れば1400年代半ばから始まった大航海時代で植民地を拡大して行ったヨーロッパの勢力が、スペイン・ポルトガル・オランダからイギリスへと西回りに移り、長かったロンドンを中心にしたイギリス・大英帝国の時代から最後の20世紀後半は、世界の中心が更に大きく西に回ってアメリカに動きました。このアメリカをベースにして最後に行きついた植民地政策がグローバリズムであり、これに対立するナショナリズムを掲げる揺り戻し勢力との闘いで、西洋文明が終焉して行く流れになって行くように思えます。

 この話を聞いてみなさんはどう思うでしょうか? 目が点になる方も多いのではないでしょうか。現代社会の民主主義、資本主義、経済発展、経済成長と言った耳障りのいい言葉は、それを素晴らしいことと思い込ませて人々を被支配者の階層に隷属させるための道具のように思えて仕方ないのです。そしてこれを徹底的に浸透させるために一部の支配者階層によって管理されているのがメディアだと思います。洗脳するための道具と言ってもいいでしょう。これに気付いて対立するグループが、過激な活動を起こすケースが増えている昨今ではないでしょうか。

 何でも冷静に俯瞰して見る目を養って行くことが必要だと思うのですが、問題なのは、こうした問題に気づく人達のほとんどが、アンチテーゼに向かってしまうことです。これはやはり意識階層の問題だと考えられ、「地の時代」の象徴ともいえる「優越意識」にほとんどの人がいるために、比べっこして自分が正しい、相手が間違っているというポジションに自分を置いてしまうのでしょう。これではどうしても二極化の道を歩むことになってしまいます。

 ウクライナでの戦争に話を戻すと、プーチンがこの紛争に踏み切った背景は様々あると思います。そのひとつはグローバリズムの果ての姿となっている金融の問題です。第2次世界大戦終結間際の1944年にアメリカのブレトン・ウッズで開催された大戦後の国際通貨金融体制を話合う会議において、当時最も力を持つに至った国であるアメリカの米ドルを国際基軸通貨とするホワイト案が採択されました。このホワイト案では米ドルの価値を金で裏付ける金本位制が採用されました。その後敗戦国であったドイツや日本が経済発展する中で、金本位制が困難となったアメリカが1971年のニクソン・ショックによってこれを廃止し、その後基軸通貨米ドルは石油の決済通貨として基軸通貨の地位を存続して行くことになります。しかしその後石油の価値が変化して行く流れの中で、米ドルの価値を支えるものがアメリカという国の根拠のない信用以外の何物でもなくなって来ています。

 加えて1973年に変動相場制に移行してから、お金でお金を売り買いして利益を上げる為替相場に金融派生商品が加わり、これにレバレッジと言うテコの原理を持ち込んだマネーゲーム市場が、商品やサービスを売り買いする実物市場の10倍以上に拡大してしまっているのが現在の金融経済の世界です。プーチンが仕掛けた紛争は、アメリカ主導で大きく膨らんでしまった実態のない経済を、もう一度実物経済に戻そうとする動きに見えます。日本ではあまり報道されませんが、BRICSに加え中東やアフリカ諸国に米ドル離れは加速しており、世界を二分する大きさになって来ています。現時点でこれはアンチテーゼと言えるでしょう。それは米ドル覇権を終了させようと動いている側も、自分たちが優勢になることを目指しているように思えるからです。

 こうした対立が戦争にまでなってしまうのは、テーゼ側が自分たちを守ることには手段を選ばないほどの重大危機になっているということです。今本当に問われるのは、こうした対立の先に、これからどういう金融経済システムをジンテーゼとして作っていくのかであり、それは金融経済だけでなく、国家というものの在り方の見直しにも繋がって行くことになるでしょう。

 今回は金融経済の話がかなり長くなってしまいました。もう一度視点を整理して、次回に続けたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(14回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

3)歴史の進み方

 これまで述べて来た時代の周期説には、何となくこれからの時代のありようが感じられると思うのですが、短い周期、長い周期が色々重なって大きな変わり目を迎えている今、そうしたものが統合されて色々な周期を踏まえた新しい時代が始まるのだと思います。

 これに対して、色々な意味で社会の専門家の立場で、現代社会の情勢から歴史的な考察も踏まえて、帰納法や演繹法で論理的にこれからの世の中を論じている方が多く見られます。肩書も立派な方が多く、それぞれの視点でなるほどと思われる説を展開されていて、その自説が正しいという自信に満ちている方多いように思います。しかし、今起きている時代転換は、短い周期だけでなく極めて長い周期の転換も同時進行しているために、論理的思考だけでは掴みようのない大きな変化が起きつつあると思えるのです。

 少し前にVUCAという言葉をよく耳にしましたが、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)という4つの単語の頭文字をとってVUCAワールド、もしくはVUCAの時代と言われ、目まぐるしく変転する予測困難な状況を意味します。そうした視点が出てくることも、これまでの歴史的検証を踏まえた未来予測と言ったやり方が困難な時代を迎えている証左だと思うのです。

 一方で歴史の進展を弁証法的に捉えるヘーゲルの歴史哲学は、振り返って見れば様々な歴史的な動きに当てはまるように思えます。弁証法とは、ひとつの命題(テーゼ)が主流になると、これに対立するする命題(アンチテーゼ)が生まれ、テーゼとアンチテーゼの間の対立・論争から新たな命題(ジンテーゼ)が形成されて行くというものです。これを歴史に当てはめると、ひとつの体制が続くとこれに対立する活動が生まれ、その対立を通して次なる新しい体制が生まれ、こうした動きが繰り返されて時代が進んで行くということになります。実際の歴史がこのように進んで来ている場合が多いと言えます。

 改めて今この時代に世の中で起きていることに目を向けると、色々な二極対立が思い浮かびます。例えば今ウクライナで起きている戦争を見ると、これまでの世界の主流である欧米的な価値観を更に広げようとする体制と、こうした世界観に反発する動きとの対立に思えます。前者がテーゼ、後者がアンチテーゼになるでしょう。特に第2次世界大戦後、そして東西冷戦終結後に続いてきた欧米型の世界展開であるグローバリズムの行き過ぎた弊害が地球規模で目立って来たことから、これに対立するアンチテーゼが出てきているのだと思います。

 図30に象徴的な部分を示したこの多岐にわたる現代社会のテーゼ・アンチテーゼの対立は、じっくり見て行く必要のあるテーマだと思うので、次回少し掘り下げたいと思います。

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