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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(38回目)

3.22世紀型社会への道

3) 今やるべきこと

【私のふりかえり】(その4)

 前回911(セプテンバーイレブン)後のブッシュ発言に強い違和感を覚えたと書きましたが、世界中で報復戦争など起こしたら憎しみの連鎖が深まるばかりと思ったからです。そして色々関連した本を読んだとことから、911が仕組まれたものとしか思えないようになりました。そうした点に本論では触れませんが、関連本を読み進める内に、例えば中丸薫さんの国際金融資本、闇の世界権力関連の本などもかなり読むようになりました。そして、そうした色々な読書を通して、いい世の中に向かうために、「これは間違っている!」「そっちが間違っている!」式の「こちらが正しい!」論を振りかざしていても同じような歴史を繰り返すだけ、という思いが強くなりました。【意識の変容】(その3)の項で述べた、20代後半にマズローの欲求階層説から発想した意識の階層で、「優越意識」から「自立意識」への変容が必要という私のものの見方の根幹をリマインドされた感じです。長いこと広い意味で海外駐在員の仕事中心に人生を送る期間が続きましたが、自分の人生の本質を見直すきっかけになったのが911であったような気がします。

 2004年の初めにタイ駐在を終えて日本に戻ることになり、本社事業部の要職に就きましたが、改めて自分が共感できる分野の本などをたくさん読む日々の中で、天外伺朗さんの「マネジメント革命」に感動し、同書で評価されていた「長老型マネジメント」を自分の組織マネジメントに適用しようと思いました。結果的には「長老型マネジメント」が単なる「放任主義」になっていたと思うのですが、部下達は動きやすかったのではないかと思います。しかし、当時比較的頻繁にあった幹部プレゼンの場で社長から「やる気が全然感じられない!」という叱責を受けることになりました。結果的にその半年後に降格され間接部門に異動になったのですが、異動後3年ほどして部門の人事を担当する立場になりました。入社以来ずっと広く「ものづくり」の仕事に携わってきましたが、初めて人の育成「ひとづくり」の仕事を担当することになりました。それが自分自身の本質的な部分に響いたのかその仕事にかなりのめり込みました。職場にメンター制度を導入するために私費でMGS(現MGSアカデミー)という大学院大学に通い、チーフエグゼクティブメンターという資格を取得し、更に初代MGS学長であられたハワイ大学名誉教授吉川宗男先生の指導の元で、修士号を取得する流れになりました。60歳で修士論文を書き、Intercultural Open University FoundationにてMaster of Arts in Mentoring Studies が認定されたのが61歳になった時でした。

 ほぼその同時期に37年間務めた花王株式会社を退職し、業界団体の一般社団法人 日本衛生材料工業連合会の事務所に役員として勤務することになりました。役員とは言っても実際は総務・事務全般を担当する中間管理職で、少人数の事務員には任せられない数々の膨大な業務を自らこなす激務でした。そして3年目に大変ストレスの溜まるプロジェクトを複数並行して進める状況の中で、胃に線種細胞が見つかりました。分かり易く言えば良性のがんです。なんで63歳にもなってこんなストレス漬けの生活をして、がんまで発症しないとならないのかを自問自答し、任期を2年残して退職することを決意しました。

 一方がんについては内視鏡手術を受ける手配を進めたのですが、同時に自分で治そうと思いがんを治す瞑想を毎朝続けました。2ヶ月後に手術準備のための再検査を受けたところ、内視鏡検査でがん細胞は見つかりませんでした。主治医に治ることがあるのか確認したところ、「それはありません。初めの人間ドックの検査が誤りだったのでしょう。」との回答でした。内心「自分で治したんだよ!」とほくそ笑みました。

 そして、64歳を迎えるところで40年ちょっと続けて来た真面目な勤め人生活に終止符を打ちましたが、止めてから暫くは妻に代わって専業主婦をしながら、整体治療院を開業する準備をしていました。その10年ほど前に簡単な代替医療の資格を取得していたのですが、改めて技術を磨くセミナーに通ったり、個人事業主の届け出をしたりしていました。これが2019年のことでしたが、そうこうしている内に2020年になりコロナパンデミックが襲ってきました。改めて自分の精神世界好き、スピリチュアルな一面に灯がともったのか、自分視点の「コロナ後の世界」というコラムをフェイスブックに連載し始めました。自宅待機期間中はユーチューブを見る時間が長くなり、その中でライトランゲージチャネラーのあまね理樺さんの動画に魅かれ、ZOOMでセッションを受けたり講座などに参加したりするようになりました。

 折しも「風の時代」への転換が叫ばれる中、残りの人生を自分が思うこれからの時代に焦点を合わせて生きて行こうと決め、現在は軽井沢にて「@コミュ」を主催し、ZOOMにて講座や個人セッションを行っています。20歳の時の至高体験以来、自分の二極性のどちらかと言うと隠れた一面であったスピリチュアルな面を全面に出して、残りの人生を生きて行こうと決意したのが2020年12月でした。

 【私のふりかえり】はこれくらいにして、次回からは【意識変容を進めるために】として、意識変容のための方法論を少し進めてみたいと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

https://note.com/qeharmony_627/n/n1c014e6dbe0c

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