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『軽井沢リトリートヒーリング・ツアー(トライアル)』

7月27日~29日に「軽井沢リトリートヒーリング・ツアー(トライアル)」を実施しました。参加ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

今回は初めてのトライアルであり、また参加いただいた皆様が色々スキルをお持ちだったので、軽井沢の森の中で色々なお試しヒーリングごっこ、大変楽しい3日間になりました。

この貴重な経験を踏まえ、今後『軽井沢リトリートヒーリング・ツアー』を、正式なメニューに加えたいと思っています。

中日に行った佐久市の新海三社神社の裏山にある古墳(御陵)の前では、シャーマン化した姿を見せてしまいました。

軽井沢をベースにした今後の自分の生き方、ヒーリング・サロンの展開を、色々練って行きたいものです。

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『クォンタム・コミュニケーション』

最近チャネリングメッセージをベースにしたコラムが増えてしまいましたが、クォンタム領域の理屈をこねくり回すのが好きな身としては、チャネリングという一種のコミュニケーションが、どんな原理で行われているのかを、少し考えてみたくなりました。

以前書いた論文「クォンタム・マネジメントのすすめ」の中のクォンタム・コミュニケーションの章で、「働きアリの法則」について書いたところを以下に転載します。

『「働きアリの法則」と言われるアリの生態があります。ひとつの巣に生息する働きアリを観察すると、良く働く働きあり、普通に働く働きアリ、ほとんど働かない働きアリの比率が、必ず2:4:2の比率になっているというものです。そしてこの働きアリ達の一部を取り出してべつの場所に移すと、また3種類の働きアリの比率が2:4:2に分かれるのですが、どのような組み合わせで働きアリを抜き出しても、結果は変わらないということです。そうだとしたら働きアリ達はどのようなコミュニケーションを複数集まった個体間で取っているのでしょうか。仮説ですが、視覚とか聴覚とか嗅覚とか触覚とかを超えたところで、距離の離れたところで連携する媒体によって、コミュニケーションに相当するものが行われる仕組みがあるのではないでしょうか。この媒体をクォンタムとすると、量子の相関・同調反応、クォンタム・トランスポーテーションと呼ばれるような現象を用いたコミュニケーションになります。心理学者のユングが示した集合無意識なども、このような原理の延長線上にあるものという気がします。

これは、関係性が付与された上で離れたところに存在するクォンタムの間で、ほぼ同時に起こるスピンなどの反応になります。離れた距離に関係なく、ほぼ同時に起こる作用です。このクォンタムの遠隔反応が、何かのコミュニケーションの媒体になっていると考えることはできないでしょうか。その前提で、関係性のあるクォンタムの繋がりをクォンタム・ネットワーク、クォンタム・ネットワークを介して行われるコミュニケーションをクォンタム・コミュニケーションと呼ぶことにします。

この働きアリで見られるコミュニケーションを、クォンタム・コミュニケーションと仮定すると、相当原始的な脳にこうした機能があるように思えます。或いは身体そのものが、個体を超えてクォンタム・コミュニケーションしているのかも知れません。クォンタムというスケール的に大変ミクロな媒体で行われる情報伝達であるため、情報量は大変大量なものが瞬時に伝達される仕組みに思えます。群れ全体がこのクォンタム・ネットワークで繋がっていて常時クォンタム・コミュニケーションが行われていると考えると、群全体がひとつの生命体のような活動になっていて、そこに意思があり、全体が機能しているということではないでしょうか。生物の世界ではこれがあたり前なのですが、大脳新皮質が発達した人類では、個の意識活動ばかりが認識される状態になっているのでしょう。』

クォンタムの中にはグラビトンのように余剰次元にまで飛び出しているものもあります。そうしたクォンタムがコミュニケーションの媒体になるとすれば、高次の宇宙の存在とも瞬時にクォンタムの波動交流ができることになります。こうしたクォンタム領域のコミュニケーションは、意識に上らないところでは、常時あたり前に行われているものだと思うのです。アリに限らず宇宙の中の存在は、あたり前にそれを行っているのだと思います。もしそうした波動交流の情報を、私たちが使う言葉に翻訳できる能力を持てれば、チャネリングは可能ということにならないでしょうか。それにはやはりコツを掴んで練習する必要があるのでしょうが、先ずは素直に受け入れ、信じることが大切なのだと思います。

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『新ガイドさん現る』

何日か前の午後、瞑想をしていたところ、今まで見たことのない人物(像)が出てきました。顔までかぶる白髪、痩せて背中の曲がった老人で、膝くらいの丈の白い着物(行着)をまとい、杖を持って、背中が曲がっているのに身軽にピョンピョン飛ぶように動き回ります。仙人というよりは行者さんのイメージでしょうか。

そして、「ずーっとそばにいたんじゃぞ。ずーっと見守っていたんじゃぞ。いつも一緒じゃぞ。」とおっしゃってきたのです。どちらさんが分かりませんが、私のガイドさんのひとりなのでしょう。

2日後に、チャネリングでインボケーション(招待)してみました。その時録音した今の私へのメッセージを紹介します。

「 馬鹿じゃのう。本当に。 機械に頼るからじゃ。

(録音を一回失敗したことを言っています。)

進め、進めと言ったんじゃ。進め!

進むときどうする。どっちを見てる。前を見てる?

見えるか? 前が。

頭で考えるんじゃないぞ。すぐ前だけ見ろ。

でも、周りも見るんだ。感じるんだ。

進めばその先が見える。また進めばその先が見える。周りも見える。

だから、心配することないだろう。

考えないで進むんだ。見えるんだから。分かるんだから。

信じな。ね。

怖がんなくていいんだから。

進むなりに、進むなりに、見えてくるんじゃ。開けて来るんじゃ。

分かるだろ。

心配しない。気にしない。気にしない。

進めば見える。進めば開く。

進めば開く、進めば見える。

進む前に先を見ても見えないよ。

そういうこと。

今必要なことは、「営みの豊かさ」を感じること。

そういうことだ。

「営みの豊かさ」を感じなさい。

これも頭で見るもんじゃない。

体で感じるんだ。「営みの豊かさ」を。

毎瞬、毎瞬、みーんなそうやって成り立っている。繋がっている。

自分もその中にある。営みの中に自分もある。

それも感じるんだ。毎瞬、毎瞬、その豊かさを。

それがまだできないよなあ。

一番の課題じゃ。

チャンスはあるじゃない。周りにいっぱい。

自分も含めて、「営みの豊かさ」を、体全体で体感するんだよ。

毎瞬毎瞬・・ 

花が咲いている。鳥が鳴いている。蝶々が飛んでくる。

全部繋がっている。全部繋がっている。

自分も繋がっている。

それを、毎瞬毎瞬体で感じる。

理屈じゃあないから。

それを試しなさい。何回でも、何回でもね。

もう、後戻りはできないよ。ね。

自分の道だ。自分の人生だ。

ガンバッテネ。ね・・・ 」

一応名前も聞いてみました。そうしたら、

「名乗るほどの者でもないが、「知れずもん」とでも呼んでくれ。」

とのことでした。

「知れずもん」さん、どうぞよろしくお願いいたします。

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『人間関係にとらわれた時に』

ハイヤーセルフに、今の自分へのアドバイスを聞いてみました。自分軸、人との関係についていいアドバイスだと思いますので、みなさまにも紹介させていただきます。

「 これからのことを色々思っていると思うんだけれども、どういう風にしていくのかというのは、やっぱり、自分・・

風の時代になって自分軸、自分軸って言うけれども、どこまで自分軸が分かってる?

自分軸だから当然他の人達にはそれぞれの軸があるっていう訳だけど、実際何かやり取りしていると、そこから離れちゃうよね。自分軸から離れちゃう、他の人の自分軸をある意味無視してさあ、自分勝手に判断して、色々価値付けしちゃうっていうのかなあ。決めつけていくじゃない!?

やっぱりそこを離れるために必要なこと、それは・・ 少し焦点を遠くにずらして見てみる・・ っていうことなんけれども、そうすると、じーっと見てると霧が晴れるように、折り重なったひだみたいなものが、少し外れて、ひとつひとつがよく見えるし、その先にある奥の方まで、見渡せるようになる。

同じように、耳で聴いていることも、できるだけ遠ーくの方で何が聴こえる・・ みたいに意識を向けると、同時にいろんな音が聴こえてこないかなあ。

だからなんて言うか、捉われたみたいに、身近な人たちのことでイライラしたり・・ なんていう時には、視点を遠くにもっていく・・ 遠くに耳を澄ましていく・・ みたいなことを思い出してやってみること。

そこから、自分の焦点が・・ 外れる。外れると、いろいろな物が同時に捉えられる、同時に見えてくる、聴こえてくる、そういうことを体験できる・・ 試してみて欲しいなあ、それを。

少し焦点を遠くにずらして見る。視覚も聴覚もちょっと遠くにズラして、ちょっとじっとしていると、そうすると、いろんなものがそのまま見えたり、聴こえたりしてくるから・・

そこでちょっと、しばらくそれをそのまんま、落ち着て見ているといい・・ そんな感じだよ。」

まだちゃんと試せていませんが、試してみたいと思います。ハイヤーセルフのアドバイスに感謝です。