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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(19回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

3)コミュニケーション(その1)

 前回最後に述べましたように今回はコミュニケーションについて「これから起こるであろう変化」を見ていきますが、コミュニケーションについては色々な方向から捉えて行くことが必要だと思うので、1回で終わらないかも知れません。そして初めに、前回の「情報通信」に関する論考の延長戦上でコミュニケーションにも関係すると思われる、今話題の「ChatGPT」に代表される生成AIについて、ちょっと私見を述べてみたいと思います。

 生成AIは、ユーザーが作りたい文章やその他の成果物をコンピュータとの質問対話形式で作成してくれる人工頭脳ツールで、広い意味でひとつのプログラムソフトと呼んでいいのかと思います。簡単に使えてアウトプットさせる作成物が高水準であることから、急速に普及・活用が進んでいるようです。使った経験はなく全く専門知識もないのですが、アルゴリズムとプログラムの進化したひとつの形なのでしょうか。便利なツールとして使うにはよいかも知れません。作業効率を上げるような使い方は分かるとして、クリエイティブな活動そのものに使うのは、私達のクリエイティブビティを退化させることはないのかなと、自分としては今のところ積極的に使う気にはなりません。

 過大と課題と感じるのは、そこに使われているプログラムには製作者の意図を加えられるのではないかと思えることです。製作者が個人であっても、組織であっても、企業であっても、自分たちが有利な状況を生み出す意図を他者には分からない形で組み込むことが可能で、世界中で多くの人達が使うことでいつの間にか製作者にとって都合のいい世の中になって行ってしまう・・そんな危惧を感じます。繰り返しになりますが、製作者の意識が優越意識階層にあると、そういうことが起きかねないということです。製作者の意識が自立意識であれば、純粋に世のため人のために制作すると思うのですが、残念ながら今の世の中はまだそこから遠くかけ離れた状態だと思います。

 さて、対話型ということでChatGPTを使うことは一種のコミュニケーションかも知れませんが、自分なりにコミュニケーションの意味を考えると「何某かの媒体を通して行われる個体間の情報交換により、共通認識を形成すること」になります。

 先ず個体間の情報交換としているのは、コミュニケーションは人間に限ったものではなく、動物達でも行っているものですし、最近は植物間のコミュニケーションも明らかにされて来ています。(相手がコンピュータソフトなら、それとの情報交換になる訳ですね。) 私達人間にはコミュニケーションに使う媒体として言語が直ぐに思い浮かびますが、人間に於いても情報を得ることに言語が使われる割合は全体の7%に過ぎないと言われます。言語になる以前の視覚・聴覚・感覚で受け取る情報が大半だということで、それがコミュニケーションにもなっている訳です。身振り手振りでもコミュニケーションはできますし、阿吽の呼吸もコミュニケーションのひとつになりますね。

 動物に於いては、鳴き声の使い分けによるコミュニケーションの研究が進んで来ていますし、動作・身振り・スキンシップ・フェロモンなど、色々な方法によってコミュニケーションは行われています。植物ではホルモンのような分泌物や根のネットワークによるコミュニケーションの研究が進んでいるようです。

 図4は意識階層の説明のところで使った図ですが、潜在領域でも意識のコミュニケーションは行われていて、ここでのコミュニケーション媒体はクォンタム(量子・素粒子)になるのではないかということを示しています。これは全くの仮説ですが、量子もつれのような現象がかなり根底のところのコミュニケーションを支えているように思うのです。

 証明のできることではありませんが、次回思いつくことを少し取り上げて行きたいと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

https://note.com/qeharmony_627/n/n1c014e6dbe0c

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(18回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

2)情報通信

 「色々な分野で起こるであろう変化」の2回目は、「情報通信」の世界がこれからどうなって行くだろうかを少し考えてみたいと思います。

 私達が用いる西暦は、紀元前がBC、紀元後がADで表されますが、これはキリストの生誕以前と以後から来た略語です。インターネットが普及し始めたのは1990年代だと思いますが、未来の年表にはBI(Before Internet)、AI(After Internet)の区分が加わると言われることがあります。それくらいインターネットが私達人間社会に与えた影響が大きいと言えるでしょうか。

 私自身は90年代前半から電子メールを使い始めたのですが、海外事業に携わっていたので海外の複数の相手に瞬時にメールが送れる、資料のファイルも添付できるといった今はもう古く感じる機能で著しく業務効率が上がり、感激したものでした。

 2000年代前半に会社の事業部で未来プロジェクトを担当していたのですが、誰でもパソコンでテレビ会議に簡単に参加できるようになり、在宅勤務や最寄り駅のサテライトオフィスが普及する、と言うビジョンを描きました。何のことはない、今ではZOOMで簡単にできるようになりました。

 インターネットの普及によって、物流システムや金融システム、決済システムも大きく変わり、ブロックチェーンのようなシステムに乗り遅れた観のある日本は、色々なことが後手後手に回り、経済成長にも影響が出ている印象があります。

 こうしたツールとしての利便性の面だけでなく、インターネットによって人と人との距離感に色々な変化が生まれたと思います。ZOOMなどを使って海外の人との顔を見せながらの交流が当たり前になっていて、外国の人であっても翻訳ソフトを使うことでコミュニケーションがかなり簡単になっています。

 パラダイムのシフトに伴う技術革新も更に進むでしょうから、国境を越え、人種や民族を超え、世界の距離は縮まって行くでしょう。クォンタム領域に技術革新が進むと、情報機器と身体との融合のような世界ができてきて、いつ何処にいてもそのまま情報網に繫がれるような方向になるかも知れません。マルチ機能のスマホが今よりもっと体の一部に近い形で使えるイメージでしょうか。同時に新技術をハッキング、情報戦争などに利用する人達もいるでしょうから、技術革新に伴う善用と悪用のイタチごっこもまだまだ続いて行くことになるでしょう。

 もう一つ大きな問題があります。情報ネットワークで世界中が瞬時に繫がることが可能であることから、影響力の強いメディアが流す情報が世界を席巻することになります。発信者の意図が情報の形になって世界中に流され、それが繰り返されることで受け取る人々のものの見方、捉え方が方向付けられてしまうことが避けられません。意図的な情報操作、洗脳と言ってもいいことが公然と行われる可能性があり、実際にそうしたメディア活動に世界が支配されている面が否めません。

 本物とフェイクの見分けが全く付かない情報操作、AI技術の乱用、技術革新に伴って生じる新たなフィールド、新たな問題などに対して、「早急なルール作りが求められる。」と良く言われます。しかし、問題を起こす人達も、技術革新を進める人達も、ルールを作る人達も、みんながみんな優越意識階層にいたら、根本的な問題解決はあり得ません。優越意識階層の人達は、どうしても自分達が有利になること、自分達の金儲け、自分達の権力拡大に発想が直結してしまうのです。特に情報・メディアの世界は、既にそれがかなり深刻な状況に成っていると感じます。

 ここに於いても、どうしても意識の変容が求められます。みんなが自立意識に変容して行くことがこうした問題解決の必要条件であり、多くの人達の意識変容が実現できれば、それはほとんど十分条件になって行くものと思います。意識の変容だけが根本的な問題解決への道だと思うのです。

 そして、この意識変容はコミュニケーションのあり方も変えて行くと思うのですが、次回はその辺のところを考えてみたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(18回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

 これまで第1章の扱いで、「今 世の中で起きていること、進む方向」について色々な角度から見てきました。ここから第2章として「色々な分野で起こるであろう変化」として、変化の各論に入りたいと思います。色々な分野ということで、全方位的に述べる構えを見せながら、でも自分が思いつくとことを述べるところに落ち着くと思います。思いついた分野としては、科学、情報通信、コミュニケーション、組織体(国・社会・エリア・ネットワーク)、政治、経済、宗教、教育、健康(医療・薬事)などになります。

 これまで書いて来たものの繰り返しになる部分もあるかも知れませんが、これら分野について、新しいパラダイムへの転換をベースにした少し具体的な未来像を描けないものかと思います。順番は思いついたものからになるかも知れません。科学全般

)科学全般

 先ず科学全般がどのように変化して行くかから、考察を始めたいと思います。

 一言で言うと、パラダイムシフトとして散々言及してきたように、物質サイエンスからクォンタムサイエンスにベースが転換して行くのだと思います。物理学としてだけでなく、既に量子コンピュータや量子脳理論など、研究の始まっている分野は多いと思いますが、現状として物理学についても解明されているものが極々僅かであり、他の分野への応用となると更に限られた扱いになっているのが実情でしょう。特に量子もつれのような現象が、私達にどのような影響を及ぼしているのか全く分からない中で、それが存在のベースにある法則だとすれば、色々な分野の垣根を超えた捉え方が必要になると思います。現代は科学に於いても学問的な細分化が進んでいますが、分野をクロスオーバーさせたり、全体をホリスティックに見たりする学問領域が必須に思えます。ひとつひとつの現象や活動が、広い意味で周囲とどのような関わりがあり、どのような影響を与えているのかと言ったことが重要な視点になって、積極的に活用することも必要になります。

 そうした中で、これまでの科学の基本姿勢である、証明する、再現性を得るという考え方を、手放さざるを得なくなると思います。これはかなりの抵抗感を伴うことだと思いますが、量子・クォンタムを基本に研究を進めれば、必然的にそうなるのが本来の宇宙でしょう。これは、客観性重視・主観性重視の問題にもなりますが、私達はこうして生きて生活している限り、客観的な共通軸を持たざるを得ません。そして、科学というより「科学技術」という言葉で表現される世界が、客観性をベースにした発展を進めて行く領域になると思います。その世界では、証明、再現性は必須科目で、少しでも多く人達に共通の新しい価値あるものが提供できるように研究を進めることは重要だと思います。それは多分「科学技術」と呼ぶべきものでしょう。

 純粋な科学的探求は勿論進むでしょうが、全部正解、間違いなし、と言った世界観の宇宙の中にあっては、例えば科学と哲学の見分け付かなくなって行くような発展方向ではないかと思います。

 やっていいこと、悪いことの判断基準とか倫理観が、高次の宇宙にゆだねられるような世界観にならないと、当面混乱は続くでしょう。例えば、遺伝子をいじくることへの是非、原子を壊す技術への是非、進化した機械に人間・生命を任せることへの是非、色々あると思いますが、私達の意識が優越意識から自立意識に変容して行けば、大半の問題は自ずと解決するように思います。

 これからの科学については、余り具体的なビジョンが描けないので、今回はこれくらいにします。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(17回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

4)今 世の中で起きていること(その3)

 今回は「今 世の中で起きていること」の3回目になりますが、スピリチュアルブームについて、感じるところを述べてみたいと思います。

 実感として今間違いなくスピリチュアル志向の人が増えている思といます。数値指標がないのですが、かなり増えているのではなでしょうか。その割にはメディアがあまり取り上げないなぁとも思います。物質サイエンス・パラダイムから見ると、まだ無視したい世界なのでしょうか。

 最近のブームの特徴として感じることは、圧倒的に女性が多いということです。年齢は様々ですね。「風の時代」などの捉え方からしても、これからは女性性や母性が表に出てくる時代であり、当然と言えば当然です。スピリチュアルブームのスピリチュアルって何なのかと改めて私なりに考えてみると、これまでの行き過ぎた物質サイエンス・パラダイムからの転換期に、物質(分子や原子)の法則を超えた目に見えない何かの存在を認めて、これを受け入れることでしょうか。この目に見えない存在が、私達より高次の存在であることが多く、それが神仏であったり、天使とか精霊とか妖精だったり、宇宙的な存在だったりするのだと思います。そして、従来の伝統的な宗教とか、集団組織型の新興宗教ともちょっと違って、もう少し軽いノリのもののように感じます。哲学者の島崎隆さんは、論文の中でスピリチュアルについて「個々人が何か目に見えない不思議なもの、超越的なものと、一定のリアリティをもってつながっているという感覚のこと」と書かれています。こんな感じでしょうかね。

 加えて私が結構好きな部類ですが、物質(分子や原子)よりミクロな量子論的物理学を追求するとスピリチュアルとの境界線が無くなってしまうような流れがあると思います。最先端の学者さんに多いパターンです。これまでこの小論の中で色々な角度から述べてきていることですが、今まだ物質サイエンスの考え方から抜けられない人達が、前時代の少数グループになって行く流れの過渡期なのでしょう。しかし、ある意味まだ時間のかかる過渡期であるために、スピリチュアルという言葉で雑多なものが扱われていて、その扱われ方に気になるケースも見られます。端的に言うと、パラダイムの転換に合わせて必要になる意識の変容がなされないまま、優越意識階層の人達がスピリチュアルに参入しているケースが多いため、スピリチュアルと言う衣を着て、周りと比べっこしながら金儲けをしたがる人達も見受けられ、それが結構多い気がします。

 かなりセンシティブな話になりますが、よく取り上げられる「引き寄せの法則」を例に、少し私見を述べたいと思います。スピリチュアル系の方は、潜在意識の活用法などもテーマにされることが多いですが、そのひとつに願望実現を目的にした「引き寄せの法則」があります。潜在領域の意識に達成したいことを意図として刻み込むことで、それが現実化すると言ったイメージでしょうか。量子レベルの法則を考えれば、これは当然起こりうることで、実際にそれを体験されている人も多く、その体験を踏まえて指導的な立場になっている方も多いでしょう。

 ちょっと考えてみたいテーマなので、かなり割り切って単純化した図34を書いてみました。本当はこんなに単純な話ではありませんが、単純化したこの図のポイントは、優越意識と自立意識に階層を分けてまとめているところです。図の中に「現生利益(げんせいりやく)」という言葉があります。現世利益は仏教用語で、信仰心をもって活動・修行などをした結果この世で得られるご利益・恵みと言った意味です。引き寄せの法則は、ミクロな物理法則に則っているために、そのポイントを外さなければ求めたものが何某かの形でこの世で得られることになります。引き寄せの法則による現世利益です。

 さて、スピリチュアル系の人は、魂が生まれ変わることも受け入れている方が多いと思います。それが一個魂の輪廻転生と見るにしても、魂がくっついたり別れたり、変容したりすることもあると捉えるにしても、生まれ変わりを繰り返すという変容を通して、私達は成長というベクトルを持ち続けるものだと思います。カルマ論の話は章を改めてしたいと思いますが、引き寄せの法則を下手に使うと、今回の生涯がそれでハッピーに過ごせたとしても、生まれ変わって行く魂の先の歩みに於いて、カルマとして解消しないとならないものを増やしてしまう可能性があると思うのです。現世利益として得られたものが、優越意識の人が他の人と比べっこしながら得た成果物である場合、それは今生で死ぬときに手放すものである場合が多いと思います。成果物は手放しますが、それをなした執着のようなメモリーがカルマと成って死んだ後も残ってしまうというイメージです。ケースバイケースであり単純ではありませんが、自分を優位に置きたがる優越意識階層の人がその願望に引き寄せの法則を使った場合、カルマを増やす可能性が出て来てしまうと思うのです。

 図35は超ひも理論からカルマを説明しようとして以前作った図です。最も広義にカルマを捉えると、超ひも波動の干渉パターンになり、それがあるから存在が存在として認識されて存在することになります。干渉パターンが無ければエネルギー波動はあっても存在として認識できない状態で、存在が存在して行く究極のゴールがそこだと思います。言い換えればカルマを全部解いて行くということです。

 私達存在には毎瞬毎瞬次の瞬間に進む方向の自由度が与えられていますが、この自由度は極めて僅かで、自由に進めずに塞がれている方向がカルマになります。毎瞬毎瞬の自由度の選択次第でカルマは減り、自由度が上がって行きますが、選択を間違えると自由度が減る、カルマが増える方向に進むことになります。引き寄せの法則は、使い方を間違えるとカルマを増やすことになると思えてなりません。

 最近量子論から引き寄せの法則を語る人も増えていますが、確かに引き寄せの法則は量子レベルの物理法則としてドライに働くと思います。結果が伴うケースは多いでしょう。一方で意識の持ち方の世界は、生まれ変わりを超えたカルマにも成りうる訳です。引き寄せの法則そのものやそれを使うことが問題ではありません。それを使う意識が優越意識をベースにした欲望のレベルにあると、カルマを増やすことになりかねないということです。こうした点に触れていないケースが多く見受けられるので、これが最近のスピリチュアルブームの中で、ちょっと危惧する点です。今回の人生での価値観の問題であり、人それぞれでいいと思いますが、私は干渉パターンを減らして自由度を上げて行くことが、存在として存在して行く時の目指すべきベクトルだと思っています。意識の自立している人の場合は、引き寄せの対象・成果もこの方向に乗っかるケースが多いと感じられ、先ずは意識の自立を目指そう!と思う次第です。

 今回は大分辛口になりました。次回はどうなりますか。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(16回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

4)今 世の中で起きていること(その2)

 「今 世の中で起きていること」の2回目ですが、今回はこの3年間世界中を震撼してきたコロナについて少し考えてみたいと思います。全般個人的な見方になりますので、そのつもりで読んでいただきたく初めにお断りしておきます。

 先ず広域ウイルス感染というものは、地球上では時々起きるものと感じています。生物の固有種に対して起きる場合もあるだろうし、もう少し広い範囲に起きるケースもあるでしょう。今回のコロナウイルスの場合は、人類が感染対象だった訳ですが、鳥インフルエンザならこれが鳥になる訳ですね。

 そもそもウイルスとは完全な生物ではなく、半生物とか非生物とか言われたりします。一般に生物は自分で自分と同じ種族を増やしていく自己増殖することがその定義のひとつになりますが、これにはDNAとRNAという2種類の遺伝子を持って、情報をコピーしていく機能を自分の中に持っていることが必要です。ウイルスは、DNAかRNAのどちらか一方しか持っていないために、自己増殖できません。増殖するために他の生物の細胞に寄生して、その生物のDNAなりRNAを借りて自らの遺伝子をコピーして自分のコピーである子孫を増やしていく、そんな仕組みの「もの」です。

 こうしたウイルスが存在しているということは、自然界に於いてそれが必要だから存在していると思うのですが、これが広域に感染することで、私達生物の進化した遺伝情報を広域に拡散してその種族の進化を促進していく役割を担っているのではないでしょうか。ウイルスなしに進化情報がコピーされていくとしたら、生物進化にとてつもなく長い時間が掛かるため、地球の46億年という歴史の中で、私達のような高等な生物にまで進化が進むことは、確率的にありえないことのように思います。地球という生態系の中で、生物進化を促進し拡大する役割を担っている仕組みのひとつがウイルスだと思うのです。

 だから憎むべき敵ではなく、私達を支えてくれている大切な仲間だと思うべきなのですが、今回のコロナウイルスについて言えば、人工的に作られるプロセスの上に出来上がったもののようです。ウイルスを人工的に合成する技術は1990年代には相当確率されたようですが、その後も医学的にも生物学的にも研究は進み、加えて軍事兵器的な面からの研究も進んでいるようです。そうなると、必ずしも大切な仲間とは思えなくなってしまいますが、今回のウイルスは、アメリカか中国か・・どこかそういうところの研究施設から漏れ出てしまったものようです。それが意図的なものなのか、事故的なものなのか、一か所からなのか、複数のところからなのか、こうしたことは直接の関係者でないと分からないことだと思います。

 加えてワクチンの問題があります。mRNAワクチンについて言えば、ウイルス研究と合わせて大手製薬会社も参画する形で研究が進められていたと思うのですが、冷静に見ると、コロナにしても、ワクチンにしても世界中でその報道のされ方、促進のされ方が尋常ではなかった気がします。初めて使われるmRNAを使ったワクチンを、パンデミックという事態であることを理由に、こんな短期間の認可プロセスを持って世界中で接種しまくるという状況を生み出したことには、強力にそれを進める力が働いて、メディアが総動員されていたように感じます。

 私はワクチン未接種ですが、今世界では超過死亡の問題が起きていて、日本でも深刻です。異常事態で深刻なのにメディアは積極的に取り上げません。超過死亡が起きている期間から、mRNAワクチンが原因かも知れないと考えて状況を分析することは当然なことだと思うのですが、表舞台ではこれが御法度扱いになっています。ストレートな表現を用いるとSNSからも削除されるようです。ここまで来ると強い悪意を感じてしまうのですが、皆様はいかがでしょうか。

 人類史を振り返ると、新種ウイルスによる感染症の拡大は変異体や免疫抗体の形成プロセスからか、大体3年で収束している事例が多いようです。今回のウイルスが人工的なものであったにしても、概ねそんな状況に成ってきていて、私は地球生態系の方が小賢しい人間達より圧倒的にキャパが大きい! なんて感じてしまします。

 今回は、かなりアンチテーゼの立場で書いて来ましたが、最後にジンテーゼ的なニュアンスに繋げれば、これから進んでいく大きな時代転換のための人類の意識変容には、これくらい大きな事象もその気づき促進に必要なのかも知れないということです。だからこうした現実を無駄にしないで、多くの人がここから気づきを得ることを願って、今回は終わりにしたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(15回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

4)今 世の中で起きていること(その1)

 前回最後に掲載した図30ですが、今色々な形で起きているテーゼとアンチテーゼの対立、二極の対立について見ていきたいと思います。

 800年周期、1,600年周期説で見れば、現代は西回り文明、西洋型文明が隆盛期から衰退期に入り、これから始まる東回り文明、東洋型文明が起こってくる端境期と言えます。しかし、これをそのままテーゼとアンチテーゼに当てはめることはできず、あくまでもこれから始まる東回り文明、東洋型文明は、ジンテーゼの位置に来るものと思えます。つまり、今起きているテーゼとアンチテーゼの二極の対立は、西回り文明、西洋型文明の流れの中でそれを衰退、終焉させるために起きているものであり、「地の時代」の中で起きていることと言ってもいいと思います。

 図に書いてあるグローバリズム、ナショナリズムの戦いについて説明すると、1200年から始まる西洋800年間の時代をそのコンセプトで表現すれば、「植民地主義」の時代だったと言えないでしょうか。その最後に出てきた植民地コンセプトがグローバリズムになるということだと思います。歴史的に見れば1400年代半ばから始まった大航海時代で植民地を拡大して行ったヨーロッパの勢力が、スペイン・ポルトガル・オランダからイギリスへと西回りに移り、長かったロンドンを中心にしたイギリス・大英帝国の時代から最後の20世紀後半は、世界の中心が更に大きく西に回ってアメリカに動きました。このアメリカをベースにして最後に行きついた植民地政策がグローバリズムであり、これに対立するナショナリズムを掲げる揺り戻し勢力との闘いで、西洋文明が終焉して行く流れになって行くように思えます。

 この話を聞いてみなさんはどう思うでしょうか? 目が点になる方も多いのではないでしょうか。現代社会の民主主義、資本主義、経済発展、経済成長と言った耳障りのいい言葉は、それを素晴らしいことと思い込ませて人々を被支配者の階層に隷属させるための道具のように思えて仕方ないのです。そしてこれを徹底的に浸透させるために一部の支配者階層によって管理されているのがメディアだと思います。洗脳するための道具と言ってもいいでしょう。これに気付いて対立するグループが、過激な活動を起こすケースが増えている昨今ではないでしょうか。

 何でも冷静に俯瞰して見る目を養って行くことが必要だと思うのですが、問題なのは、こうした問題に気づく人達のほとんどが、アンチテーゼに向かってしまうことです。これはやはり意識階層の問題だと考えられ、「地の時代」の象徴ともいえる「優越意識」にほとんどの人がいるために、比べっこして自分が正しい、相手が間違っているというポジションに自分を置いてしまうのでしょう。これではどうしても二極化の道を歩むことになってしまいます。

 ウクライナでの戦争に話を戻すと、プーチンがこの紛争に踏み切った背景は様々あると思います。そのひとつはグローバリズムの果ての姿となっている金融の問題です。第2次世界大戦終結間際の1944年にアメリカのブレトン・ウッズで開催された大戦後の国際通貨金融体制を話合う会議において、当時最も力を持つに至った国であるアメリカの米ドルを国際基軸通貨とするホワイト案が採択されました。このホワイト案では米ドルの価値を金で裏付ける金本位制が採用されました。その後敗戦国であったドイツや日本が経済発展する中で、金本位制が困難となったアメリカが1971年のニクソン・ショックによってこれを廃止し、その後基軸通貨米ドルは石油の決済通貨として基軸通貨の地位を存続して行くことになります。しかしその後石油の価値が変化して行く流れの中で、米ドルの価値を支えるものがアメリカという国の根拠のない信用以外の何物でもなくなって来ています。

 加えて1973年に変動相場制に移行してから、お金でお金を売り買いして利益を上げる為替相場に金融派生商品が加わり、これにレバレッジと言うテコの原理を持ち込んだマネーゲーム市場が、商品やサービスを売り買いする実物市場の10倍以上に拡大してしまっているのが現在の金融経済の世界です。プーチンが仕掛けた紛争は、アメリカ主導で大きく膨らんでしまった実態のない経済を、もう一度実物経済に戻そうとする動きに見えます。日本ではあまり報道されませんが、BRICSに加え中東やアフリカ諸国に米ドル離れは加速しており、世界を二分する大きさになって来ています。現時点でこれはアンチテーゼと言えるでしょう。それは米ドル覇権を終了させようと動いている側も、自分たちが優勢になることを目指しているように思えるからです。

 こうした対立が戦争にまでなってしまうのは、テーゼ側が自分たちを守ることには手段を選ばないほどの重大危機になっているということです。今本当に問われるのは、こうした対立の先に、これからどういう金融経済システムをジンテーゼとして作っていくのかであり、それは金融経済だけでなく、国家というものの在り方の見直しにも繋がって行くことになるでしょう。

 今回は金融経済の話がかなり長くなってしまいました。もう一度視点を整理して、次回に続けたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(14回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

3)歴史の進み方

 これまで述べて来た時代の周期説には、何となくこれからの時代のありようが感じられると思うのですが、短い周期、長い周期が色々重なって大きな変わり目を迎えている今、そうしたものが統合されて色々な周期を踏まえた新しい時代が始まるのだと思います。

 これに対して、色々な意味で社会の専門家の立場で、現代社会の情勢から歴史的な考察も踏まえて、帰納法や演繹法で論理的にこれからの世の中を論じている方が多く見られます。肩書も立派な方が多く、それぞれの視点でなるほどと思われる説を展開されていて、その自説が正しいという自信に満ちている方多いように思います。しかし、今起きている時代転換は、短い周期だけでなく極めて長い周期の転換も同時進行しているために、論理的思考だけでは掴みようのない大きな変化が起きつつあると思えるのです。

 少し前にVUCAという言葉をよく耳にしましたが、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)という4つの単語の頭文字をとってVUCAワールド、もしくはVUCAの時代と言われ、目まぐるしく変転する予測困難な状況を意味します。そうした視点が出てくることも、これまでの歴史的検証を踏まえた未来予測と言ったやり方が困難な時代を迎えている証左だと思うのです。

 一方で歴史の進展を弁証法的に捉えるヘーゲルの歴史哲学は、振り返って見れば様々な歴史的な動きに当てはまるように思えます。弁証法とは、ひとつの命題(テーゼ)が主流になると、これに対立するする命題(アンチテーゼ)が生まれ、テーゼとアンチテーゼの間の対立・論争から新たな命題(ジンテーゼ)が形成されて行くというものです。これを歴史に当てはめると、ひとつの体制が続くとこれに対立する活動が生まれ、その対立を通して次なる新しい体制が生まれ、こうした動きが繰り返されて時代が進んで行くということになります。実際の歴史がこのように進んで来ている場合が多いと言えます。

 改めて今この時代に世の中で起きていることに目を向けると、色々な二極対立が思い浮かびます。例えば今ウクライナで起きている戦争を見ると、これまでの世界の主流である欧米的な価値観を更に広げようとする体制と、こうした世界観に反発する動きとの対立に思えます。前者がテーゼ、後者がアンチテーゼになるでしょう。特に第2次世界大戦後、そして東西冷戦終結後に続いてきた欧米型の世界展開であるグローバリズムの行き過ぎた弊害が地球規模で目立って来たことから、これに対立するアンチテーゼが出てきているのだと思います。

 図30に象徴的な部分を示したこの多岐にわたる現代社会のテーゼ・アンチテーゼの対立は、じっくり見て行く必要のあるテーマだと思うので、次回少し掘り下げたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(13回目)

『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(13回目)

2)時代の周期(その2)

 さて、「風の時代」と「水瓶座の時代」ということで、「風の時代」について言えば「地の時代」から移行して間もないと言うことになります。その時代特性は以前にも示した図6のように語ることができます。所有→共有、モノ・お金→情報・体験、学歴・地位・肩書→能力・できること、ヒエラルキー→フラット、努力・根性→得意・やりたい、知識・記憶→感性・直観、他人軸→自分軸、見えるもの→見えないもの・・ 何となく伝わると思いますが、既にこうした変化を何某か感じている方も多いでしょう。「地の時代」は、やはり私が育った昭和の価値観のような側面が強いと思うのですが、これからは風のエレメントということで、軽く固定されずに流動する感覚が社会の至るところに現れてくるものと思います。そして、それは前章で説明してきたパラダイムシフト、意識変容にも結び付いていて、客観性重視→主観性重視について言えば、他人軸→自分軸のニュアンスに近いものになります。

 水瓶座も風のエレメントですので、2,000年間という長いスパンで見ても、世の中の底流がこのような方向の時代になるということだと思います。「水瓶座の時代」は地球の歳差運動をベースにした時代変化になりますが、同じ歳差運動をベースにした時代周期説に800年説、1,600年説があります。歳差運動の周期25,772年を16等分すると1,611年になり、この約1,600年とその半分の800年が時代の周期の単位になるという説です。「文明周期800年説」を唱えているのは村山節さんですが、6,000年以上の人類史を均等に一直線上にプトッロした年表を作ったところ、800年毎に東洋の時代と西洋の時代が入れ替わっていることに気づいたと言うものです。図26に示した通りです。

 同様の流れを歳差運動から読み解いているのが千賀一生さんの「ガイアの法則」になります。歳差運動一周の16分の1の約1,600年がひとつの文明のサイクルになるというもので、その1,600年間の前半の800年間が隆盛期、後半の800年間が衰退期になると言われています。そしてこの文明サイクルには、東回りの文明サイクルと西回りの文明サイクルがあって、ふたつのサイクルが800年ずれているために隆盛期だけ見ると、東回り文明と西回り文明が800年毎に入れ替わっていることになります。東回り周り文明を東洋の時代、西回り文明を西洋の時代とすると、村山先生の説に丁度符合します。そして千賀先生の「ガイアの法測」では、歳差運動一周の16分の1である1,600年毎の文明の中心地が、経度にして22.5度ずつ動いて行くのですが、この22.5度は1周360度の16分の1になります。そうした歳差運動に伴う文明推移の法則性を、歴史的検証を踏まえて説いています。東回りサイクルでは東に22.5度動き、西回りサイクルでは西に22.5度動いています。西暦1200年から2000年までの直近の800年間の隆盛期は西回り文明サイクル(西洋文明)で、その中心地は経度0度のロンドンでした。そして「ガイアの法則」に則れば、これからの800年は隆盛期が東回りの東洋の時代であり、その中心地は東経135度の日本の標準時、明石・淡路島の辺りになると予測されるのです。

 これは、宇宙の星々と歳差運動による地球との位置関係から来る、地球のエネルギー分布の変化によるだと思います。長い歴史が実際にそう動いて来ている以上、私達の人為的な活動でどうこうなるという話ではないと思うのです。東西で言えばこれからどんどん東洋の時代の色彩が強くなって行くと思うのですが、西洋の時代と東洋の時代を比較すると、丁度図6の「地の時代」「風の時代」の違いがしっくりくるように感じます。これは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に代表される一神教の世界観と、インド思想や仏教に代表される輪廻転生をベースにした世界観との違いのようにも感じられます。好むと好まざるとにかかわらず、宇宙の運航による星の位置関係や地球の回転運動によるガイアの法則から、こうした流れになって行くと考えることを、非科学的と言ってしまえるでしょうか。今の学校教育では非科学的と言って相手にしないかも知れませんが、私には、それは物質サイエンスという古いパラダイムにしがみついている現代教育の限界に思えます。色々な方向からいま世の中で起きていることを多角的に捉えて、総合的に、統合的にこれからの時代に向った活動を進めて行くことが求められていると思います。なかなか一般の人達には通じない話になっていますが、懲りずにこの先も続けたいと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

https://note.com/qeharmony_627/n/n1c014e6dbe0c

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(12回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

2)時代の周期(その1)

 22世紀型社会に向ってと言うことで、これまで22世紀までにどういった点が変わって行くのか、どのように変わって行く必要があるのかと言うことを3つの視点で述べてきました。ここで少し時代の周期という視点で現代という時代、これからの時代を見て行きたいと思います。

 時代の周期説というものが色々ありますが、それらには占星術的な星の運航に基づいているものが多いです。今一番耳にするのは「風の時代」でしょうか。これは、木星と土星が大接近するグレートコンジャンクションという天体現象が、黄道の12星座宮の内、地・水・火・風のどのエレメントの星座宮で起き続ける時期か、というところから来ています。牡羊座・獅子座・射手座が火のエレメント、牡牛座・乙女座・山羊座が地のエレメント、双子座・天秤座・水瓶座が風のエレメント、蟹座・蠍座・魚座が水のエレメントになりますが、これまで200年ほどの間ほとんど地のエネメントの星座宮で起きて来たグランドコンジャンクションが、2020年12月22日に水瓶座で起きて以降、これから240年間ほどは風の星座級で起き続けるため、「風の時代」に入ったと言われるものです。

 これとは別に現代は「水瓶座の時代」に入ったとも言われますが、これは全く別の天体現象をベースにしています。地球には歳差運動という回転があります。自転しながら太陽の周りを公転している地球が、この公転している黄道面に対して、毎日一周している自転の回転軸が、約23.4度傾いています。そしてこの回転軸が黄道面に対して自転・公転とは反対回りに極めてゆっくり回っているのですが、この回転運動を歳差運動と言います。コマが少し傾いて回っている時、その軸が回転とは反対方向にゆっくり回る現象と同じことが、地球でも起きているということです。そしてこの歳差運動で軸が1回転する周期は25,772年という長い時間になります。その昔、春分点を牡羊座0度として12等分された星座表で、この2,000年ちょっとの間、春分点は魚座にありました。2,000年ちょっとと言うのは、歳差運動周期の25,772年を12等分した約2,150年になります。春分点が魚座から水瓶座に移ったタイミングは色々説があるようですが、西暦2000年を少し過ぎた時期になり、「水瓶座の時代」に入ったと言われています。

 占星術ではこうした星の位置関係を読み解きする訳ですが、そのベースは統計的な経験則から来ているように考えられます。複雑な星の位置関係というのは、分かり易く見てもその重力の影響を地球が受けていると思えるのですが、クォンタムサイエンスというパラダイムに則れば、重力、そして量子のもつれは私達の身体にも、意識にも、地球の自然にも、社会にも影響を及ぼしていても不思議ではありません。不思議ではありませんが、残念ながら現代の科学水準ではまだ解明できない領域になります。

 重力について言えば、物理学で扱う力の中で、最も解明が遅れている力になります。それは、物理学で扱う4つの力、「強い力」「電磁力」「弱い力」「重力」の中で、「重力」が桁外れに弱い力であることに関係しています。量子論では、重力を伝達する素粒子をグラビトンと呼んでいます。最近のブレーン宇宙論、多元宇宙論などでは、この重力を伝えるグラビトンは、私達の3次元宇宙(4次元時空体)を飛び出して5次元を介してパラレル宇宙を行き来しているように語られます。グラビトン(重力)の本体が私達の宇宙より高次の次元にあるから、私達の宇宙では極端に弱い力になっているのでしょうか。こうした高次から来るものも含めた重力がもたらす影響を、複雑な星の位置関係がひとつの指標となって読み取れる部分があるのかも知れません。その星達の運航は色々な回転運動の組み合わせであるため、色々な周期・サイクルが時代の推移に反映されることがあるのでしょう。今後クォンタムサイエンスが進化することで、私達全ての存在のありようについて、もっともっと深い読み解きができるようになることを期待しています。

 今回も少し分かり難い話になってきたのでこの辺にして、次回また続けたいと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(11回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀に向って変えて行くこと

【価値観の前提となる視点の変化】(その2)

 私達は普段ものごとを捉える時に、自分の方から捉えています。当たり前ですが少し広げて言えば、人間である私達は人間として捉えて世界はこうなんだと思い込んで生きています。更に拡大して、世界は私が見ている通り、これが世界なんだ、そう思うことに疑いを持ちません。それでいいんですげれど、それは主観的世界だという自覚を持つことが大切です。ほとんどの人が普段この自覚を持っていません。本当は主観的に世界を見ていることをベースにして、その上で人とコミュニケーション、意思疎通するための共有概念を作って行く、そうであるべきだと思います。

 多くの人達が存在する社会において、客観的と思える共通の軸が存在することによって、私達は他者との円滑な関係性を築き易くなります。だから現在の人間社会では、客観的と思える共通の軸があるのだと思い込むようにするための社会体制や教育体系ができ上っています。前回、法律のことを「客観性の取り決めの最たるもの」と表現しましたが、あくまでも取り決めとして客観性を作っている訳です。しかしこれは万人に通用する客観性ではありません。それが証拠には、政治の世界などを見ていても法解釈の争いが絶えない訳です。

 優越意識階層に人がいる限り、個人にせよ、グループにせよ、国にせよ、自分達を正当化する基準を作る努力を重ねることになります。そしてこの基準が通じ合わないもの達の間には争いが生まれます。実際に世界では正当性を主張し合う戦争が起きています。本当は主観でしかないものを客観と思い込んで、影響の及ぶ範囲を広げて行こうとする社会システムができ上っているからです。

 だから、それぞれがバラバラと作った本当は客観的とは言えない客観的基準を、全て冷静に包括的に俯瞰して見る姿勢が必要です。これが自立意識への変容のはじめの一歩です。そしてこれができた時、みんながお互いの主観性を認め合える世界が生まれるのです。

 「世界とは、外にある原型を自分が捉えて自分の中に描いているもの」、それをどこまで深く納得できるか・・ それがその人の存在性を示すレベル感になります。この視点を多くの人に浸透させるには、現代の教育を相当見直す必要があります。それを進めるリーダーが現れて教育改革が段階的に進むとして、社会全体に自立意識が浸透するには2~3世代入れ替わるくらいの時間が必要でしょう。こうした社会の実現が22世紀になると言っている所以です。例えば、不登校の子供が増えることなどが起こるべくして起きている状況に問題意識を持って、新しいタイプの教育活動を始められている方々は確実に増えているようです。でも、こうした動きが教育制度という形になるまでには、まだまだ時間が掛かると思うのです。

 その間、既に大人と言える年齢になっている人達は、意識を自立させるために何事よらず俯瞰してみる視点を持つ努力をして行く・・ そこから始めることはできないでしょうか。その時私達は判断の基準をどこに求めたらいいでしょうか。次元を超えた宇宙に求めるのはどうでしょうか。私達から世界や宇宙を見るのではなく、宇宙から見たら私達はどんなふうに見えるのか? あるいはクォンタムから見たら、「超ひも」から見たら私達はどのように見えるのか? そんなふうに想いを廻らす。そんな時間を持つことも、時にはあってもよいのではないでしょうか。

 大分話が飛躍して、書いている本人にも分かり難い文章になってしまいました。今回はこの辺にいたします。