小学校低学年の頃、画家だった叔父に「大人になったら何に成りたい?」と聞かれたことがあります。自分が何て答えたかは記憶にないのですが、叔父は自由人に成りたかったんだと話してくれました。古代ギリシャには自由人という人達がいて、やりたい時にやりたいことをやって暮らしていたということでした。食べたい時に食べ、寝たい時に寝、散歩したい時に散歩する・・ それがどのくらい成りたい理想なのか、その時はよく分かりませんでした。
今軽井沢で一人で生活するようになって、そんな自由人のような暮らし方を求めているのかも知れません。一人で過ごす時間の中で、実際誰も自分に制限を加える環境ではなく、何をするのも自由です。それなのに、ふと気が付くと人のことを気にして行動しようとしているんですね。持って生まれた性格と生まれてからここまで生きてきた中で染みついた癖でしょうか。ちょっと悲しいものがあります。
どうしたものかねぇ~と思っていたら、朝の瞑想の時にメッセージが降りました。
『 色々なこと、周囲の人のことを気にする。
気にするということを、もっと深く見てみよう。
自分の中に気にする対象があることを知っているだろう。
気にする対象に勝手にしているだけ。
全部自分の中で起こっている。
ではどうするか?
一度目をつぶる。
気になる対象とのラインを自分の中でシャットする。
自分の中で自分の中にある気になる対象をシャットする。
シャットして残った自分を深く見つめる。
そうすると・・
自分の中にある対象ではなく、本当の客体の対象との関係が見えないか。
自分だけを深く見つめていると、本当の客体の対象の思いが伝わってこないか。
これはかなり微妙な感覚かも知れない。
これは全てが繋がった関係性の中で、主体と客体が統合する感覚だ。
自分という広がりの中にある、自分の中の対象との繋がりとは一線を画するものだ。
そこが分かれば、対象・客体との本当の繋がりを、気にすることはなくなるだろう。
だからその対象・客体との本当の繋がりが分かったら、その繋がりに感謝する。
本当の感謝!
それが分かるだろう。 』
-ハイヤーセルフより-
これは相当難しい感覚です。
このメッセージが浮かんできている間はそんな気になっていましたが、後になるとその感覚が蘇りません。
取り敢えず、人のことや出来事が気になっている自分に気づいたら、それをシャットする意識になることは、繰り返し繰り返しやってみようと思います。