に投稿 コメントを残す

『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(7回目)

1.今世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀ってどんな世の中? 

【パラダイムシフト】(その1)

 22世紀に向った時代・世の中の転換には、パラダイムのシフトが重要な要素になると思います。パラダイムという言葉を最初に使ったのは、科学史家のトーマス・クーンで科学用語として「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの」としています。20世紀中頃のことですが、その後「パラダイム」は広く拡大して使われるようになり、ものごとを捉える時のその「捉え方・考え方の枠組み」「その時代の規範となるような思想や価値観」を示す言葉として使われるようになっています。

 そして広い意味でいうパラダイムについて、世の中でそれが変わっていくことを「パラダイムシフト」と呼びます。この大きな意味でのパラダイムシフトが今起こっている最中だと思うのですが、300~400年前にも大きなパラダイムシフトがありました。その時のシフト期間はかなり長いものだったと思います。

 400年くらい前までの世の中というのは、人々が生きていく上でのその生き方、考え方、物事の見方のベースが、神様の教えとか、仏様の教えとか、王様が絶対的な権力を持っている王国であればその王様の御達しといった規範にありました。キリスト教の世界であれば聖書、イスラム教の国であればコーラン、仏教国であれば仏教経典になります。普段の生活、子供達への教育の中にそうした教えが息づいていました。それより前の時代のアニミズムやシャーマニズム、汎神論なども含めて、こうしたパラダイムをここでは「絶対者の規範」と呼ぶことにします。

 それが400年くらい前から起きたいくつかの事象によって、時間を掛けて変わって行くことになります。その代表的な事象は、コペルニクスの地動説、ガリレオ・ガリレイの黒点観測と宗教裁判、ニュートンの古典力学、デカルトの哲学、ダーウィンの進化論などです。神や仏の教えではなく、今日私達が言うところの「科学的に証明できるものが正しい」という考え方ですね。敢えて逆の言い方をすれば「証明できない神など存在しない」という見方に繋がります。こうした見方、考え方が私達の生活、生き方のベースになっているのが現代の世の中で、そのパラダイムを私は「物資サイエンス」と呼んでいますが、実証主義(パトリオティズム)の方がニュアンス的に当たっているかも知れません。

 ダーウィンの「種の起源」は160年くらい前の話ですから、世の中全体が変わって行くのに300年くらいの時間が掛かった訳ですが、現代の私達のほとんどが「物質科学的に証明できるものが正しい」という考えをベースに持って生きて、日々生活しているように思います。

 教育が完全にそうしたものになっていることが、私達の科学信仰とも言うべきパラダイムをより強固なものにしています。教育ですから教える内容が学問になる訳ですが、その系統を人文科学、社会科学、自然科学に分類する方法が浸透しています。人文科学の中には、文学や美術・音楽なども含まれる場合が多く、学問である以上科学という冠を被せる必要があるということなのでしょうか。挙句の果てに、音楽や美術でも答えの決まったペーパーテストをして点数を付けたりしています。こうしたことの根底に「物質サイエンス」パラダイムとしての唯物的な思想が流れているような気がしてなりません。

 学校教育のみならず、社会教育、家庭教育もそうなっている場合が多いですから、実生活の中で私達のものを見る、判断する基準が何でもこのパラダイムになっている、そんな世の中であることが、私達が物質的な満足感を得ることを目的化することを助長していないでしょうか。なんでもかんでも数値化してその数値を増やすことに喜びを感じる、その最たるものがお金で数値としてのお金を増やすことに生涯を費やす・・ 資本主義の発展などという言葉で多くの人達はそんな風に方向付けられている・・ その根底に「物質サイエンス」パラダイムがあるのだと思います。

 そうした時代が行き詰って来ているのか、時代転換の兆しを感じている方が増えているというのは本論の「はじめに」で述べた通りです。それはパラダイムがシフトしているということでもあると思うのですが、ではこれからの時代のパラダイムをどのように捉えたらいいのか? 次回からそんな話に入って行きたいと思います。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です