3.22世紀型社会への道
3)今やるべきこと
さて、『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』ですが、ここからは「今やるべきこと」をまとめて行きたいと思います。その前に少し趣向を変えて【私のふりかえり】として、私塚田晃が何故今このような文章を書くに至っているのか、少し自伝的なものを書いてみたくなりました。トーンが大分変りますが、何回かお付き合いください。
【私のふりかえり】(その1)
私は昭和30年、1955年の生まれです。もの心ついた3,4歳の頃は、戦争、敗戦が少し遠くなったとは言え、まだまだ人々の話題に上る時代でした。当時ひとりで遊んでいる時間が長かった気がします。「ハネジン(羽人)」と名付けた少し年上の存在がいました。現実の存在ではありません。強くて、上の方から見守ってくれているスーパーマン的な存在でした。声には出さずに毎日会話をしていたような記憶があります。それから、良くうつ伏せに寝て、腕の上に目を押し付けるようにしていました。そうすると色々な光が見えて来て、「ドクガンソウケムリ」と名付けた黄土色の縞模様の煙がもくもく沸いて来て、その切れ目からネオンのような光が見えてくるのを、眼球をできるだけ動かさないようにして見ていました。懲りずにやっていました。また夜寝床に入ってから寝付く前のウトウトしている時に、空を飛んでいる夢を見ました。いつも同じ低いビル街や川の上を飛んで行って、最後に摩天楼の交差点の上空で飛ぶのを止め、ゆらゆら下に落ちていくのでした。地上近くになると車が行き交う中をゆっくり落ちて、突然ドスンという衝撃と共に目が覚めました。これらは年齢が進めば不思議に思えることですが、当時は普通に、当たり前に思っていました。
2年保育の幼稚園に入ったのですが、暫くして6人毎のグループに席が分けられ、同じグループにいた気の強い女の子に私一人だけいじめられました。「この子イヤだから、みんなでそっぽ向きましょう。」みたいな感じで除け者にされたんですね。気の弱かった私は幼稚園に行くのが嫌になり、母親にこのことを相談すべきかどうかで悩み、最終的に母に打ち明けて母が幼稚園の先生に話してくれ、周に2,3回はグループ席ではないレイアウトになりました。そういう日は救われた気分になりました。これは60年以上前の話ですが、ギリギリ不登園にはなりませんでした。68歳になった今、当時を総括すると自分が普通に人に馴染めない何かを持っていたのかも知れません。
小学校に上がる前年の年末にそれまで住んでいた中野区の借家から、小平市(当時はまだ町だった)に引っ越しました。3学期は幼稚園に通わずに過ごせたことが嬉しかったのを覚えています。その頃の小平は見渡す限り一面の畑で道はほとんど砂利道、その名の通り平らな土地なので、遠くに雪を被った秩父連山が綺麗に見える世界でした。
小学校に上がって初めの内は、人見知りしてモジモジしていたと思うのですが、慣れて来るとハキハキよく発言をし、学級委員に選ばれました。勉強がピカイチできた訳ではありませんが、できるように見えたようです。分け隔てなくクラスのみんなと友達になり楽しい学校生活で、家に帰れば異学年交じり合って三角ベース野球をやっていました。小学校高学年になると野球がサッカーに変わっていました。
小学校3年の時に第18回オリンピックが東京で開催され、毎日テレビに見入りました。前半は金メダルを5つ取ったレスリングに憧れ、後半は同じく金メダルを5つ取った体操に憧れ、「体操の選手になってオリンピックに出るんだ!」と思ったものです。そして、閉会式で聖火が消えて行くシーンにオリンピックが終わっちゃうんだ!と悲しくなり、涙を流したところを家族に笑われたのを覚えています。
小学校1年の時から毎年学級委員をやり、6年の時は児童会長になりました。それほど勉強ができないのに何故か学級委員に選ばれてしまうことは、中学1年の上期まで続きました。その中1の時に「もうこういうのやだな。」と思い、それ以降クラスの代表になることはパッタリ無くなったのですが、何故そんな風に思ったのかが思い出せません。
身体能力、運動神経が良かった訳ではありませんがスポーツが好きで、中学ではサッカー部、高校では卓球部に所属しました。大して上達はしませんでしたが、球感のようなものが育ったようで、大学ではゴルフ部の主将を務め、ゴルフだけはかなりのレベルに上達したと思っています。もう随分やっていませんが・・・
今回は息抜きのような回顧録になってしまいましたがこの辺にして、次回は学生の頃の精神面を少し掘り起こしてみたいと思います。
※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。