3.22世紀型社会への道
第3章は「22世紀型社会への道」として、22世紀の世の中をイメージして見たり、日本がこれからそのモデルになっていく可能性を考えたり、今を生きる私達がどのようにして行けばいいのかなどを紹介して行きたいと思います。
先ずは22世紀の世の中をイメージしてみます。
1)22世紀夢想
「水瓶座の時代」や1600年周期説など歳差運動周期から考えると、これから千年以上続く時代の長期サイクルは、縄文時代とかレムリアやムーの時代の特性が蘇ってくる面が強いと感じます。これまでの時代のように物質的繁栄を求め、そのためには収奪も厭わないという意識感覚が後退して、全体の調和・統合を図る意識が当たり前になって行くと思います。ただそれは何千年か昔の世の中の姿に戻るというのではなく、これまでの何千年かの時代、特にここ百年2百年の物質文明の急激な発展を踏まえ、それを超えて行く姿になるでしょう。自立意識への変容が新しい時代の前提になりますが、自分を優位にする奪い合いの争いが激減することから経済的な発展という考え方が薄れ、普通にサステナブルな時代になって行くだろうと思います。
多様な生き方を認め合う中で、共通項の多い人達が自然にコミュニティを形成する場合が多いでしょう。LOHASな人達のコミュニティは増えると思いますが、一方でバーチャルな世界で先進性を求め続けて行く人達の集まりもあるでしょう。フリーエネルギーが実用化されていて、AI、ロボットが自らを管理しながらエネルギー、インフラ、生活必需品を作り出す産業体制が整って行きます。自分にカスタマイズされたものが欲しい場合は、進化した3Dプリンターなどで手軽に作れるようになっています。人の移動も物流もドローンが主流で、衛星システムで目的地への移動がトラブルなく行われているでしょう。
生活の充足感が当たり前に得られることから、誰も金儲けをする必要は無く、経済という言葉がほとんど使われなくなっているでしょう。お金は価値を交換する際の手段になりますが、その意味も薄れて行くように思います。労働と言われるものをAI、ロボットが自己制御しながらやってくれることから、普通に生きて行くためにあくせく働く必要がなくなり、やりたいこと、楽しいこと、ワクワクすること、創造的なことをすることが当たり前になっています。多くの人が自立意識になることの延長線上で、高次元、余剰次元の存在とのコンタクトが可能になる人が増えることから、物事の判断で迷い悩むことが基本的に無くなって行くでしょう。
ちょっと目に浮かんだことを述べましたが、これは理想論に過ぎるでしょうか。私は70年近く生きていて、この70年の変化を身を持って味わってきました。幼児期を過ごした家は、ガランとした畳の部屋がふすまを開けば2つ繋がる構造。ちょっとした整理たんすと大きなラジオが置いてある以外は、お膳と座布団だけ。寝る時はそれを壁に立てかけて布団を敷く。ガランとして効率的な空間でした。毎朝はたきとほうきで掃除をしていましたが、ほこりが積もるところはそれほど無かったと思います。幼稚園の時にテレビがやって来て、小学校の時は、今年は掃除機、今年は冷蔵庫という具合にひとつずつ家に電気製品が増えて行ったことを覚えています。野菜の皮とか魚の骨とか、そういう物以外ゴミがほとんど出ない生活でした。
僅か60何年前の話です。もの凄い変化です。22世紀までまだ80年近くあります。これから何が起こるでしょうか。自分が描いている世界になるには、先ず皆の意識変容が必要です。リープと言っていいレベルの意識変容ですが、そうなれば22世紀が素晴らしい世界になることは、間違いないと思います。
今回はこれくらいにして、次回は日本が22世紀型社会のモデルになって行く可能性を考えてみたいと思います。
※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。