2.色々な分野で起こるであろう変化
7)金融・経済のこれから
前回の経済に続いて今回は、金融・経済のこれからを少し考えてみたいと思います。
お金、資金を融通するのが金融ということになりますが、広義には株式市場なども動かすことになり、そこから更に商品やサービスのやり取りに直接関係なく、為替相場によるお金の売買、お金に準じる金融派生商品の取引なども含まれてくるかと思います。3000年くらい前に生まれたと言われる利子という考え方、300年くらい前にできたと言われる銀行預金金利、ヘッジする意味で始まった相場の先物市場、専門家ではないので正確ではありませんが、こうしたところから生まれた、商品やサービスのやり取りとは別のところでお金やそれに準じるものを売買する市場が大きくなっています。前者の経済を実態経済とするなら、後者は金融経済、資産経済などと呼ばれるようです。私はよく、実業と虚業ということばで対比したりしますが、本来私達が生活する上で必要な物やサービスのやり取りではないところで発生しているお金やそれに準じたもののやり取りの市場が、実態経済、実物市場の規模の10倍~15倍になっているのが現代の経済の実態です。極論になりますが、私達の実際の生活の上で不要なところで10倍くらいのお金が流れている訳です。
何故そんなことになってしまっているのかですが、金融の世界に存在する、利息とか、金利と呼ばれるものから、少し考えてみたいと思います。何故金利とか利息って必要なんでしょうか。それでお金を稼ぐ商売があるからですよね。やっぱり人より儲けたい人達がこういう仕組みを作ってやっている訳です。
お金を儲けたいという意識の過熱が、時に異常に相場を吊り上げるバブルを生んで来ました。最たるものは1920年代後半にニューヨーク株式市場で起きたバブルで、これが崩壊したことによる世界恐慌は、回復に長い時間を要しました。その過程で経済学者のシルヴィオ・ゼゲルがヨーロッパの一部の地域で行った地域通貨の実験があります。自由貨幣またはスタンプ紙幣と呼ばれる仕組みです。ゼゲルは、物品は経年すれば価値が減るのは当り前、お金も本来こうあるべきだと考えたんです。そこで考えられたスタンプ紙幣とは、発行から一定期間経過する度に裏面に切手のようなスタンプを貼らないと使えない紙幣でした。使わないで置いておくと価値が目減りするお金です。この紙幣が導入されたオーストリアやドイツの一部地域では、恐慌で疲弊した経済活動が回復する実績が上がったようです。残念ながらこの自由貨幣制度が広がる前にヨーロッパではヒトラーの台頭が始まり、この活動は消えて行ったようです。
このゼゲルの活動を高く評価していたイギリスの経済学者ケインズは、1944年に第2次世界大戦後の世界の金融経済をどうするかを話し合ったブレトン・ウッズ会議に、新しい世界共通決済通貨「バンコール」を提案しました。バンコールは固定相場で国際間の決済に用い、貯めるということができない仕組みでした。貯めるということで発生する利益を由としなかったのだと思います。
残念ながらブレトン・ウッズ会議では、アメリカのホワイトが提案した米ドルを金本位制にしてこれを国際基軸通貨とする案が採択され、ブレトン・ウッズ体制の名の基に国際金融経済体制が運営されて来ました。その後、ニクソン・ショックによる金本位制の撤廃、プラザ合意による変動相場制の推進、通貨価値を支えていた石油の価値の変動など、リーマンショックに代表される何回かのバブル崩壊を経て、現代はお金がネットシステムの中を流動する数字になっているように思います。何がお金の価値を担保するのか問うても、実態の良く分からない各国の信用くらいの答しか思い浮かびません。お金を売買するマネーゲームを崩壊させないための金融緩和を繰り返し、実物の生活からかけ離れたシステムの中でやり取りされるお金の数字が、実物市場の10倍から15倍になってしまっている訳です。
やっぱり、経済が一方通行で成長するとか、お金は一方通行で増え続けるとか、そろそろそういう考え方を終了すべき時だと思います。実際に米ドル基軸通貨体制に変わる新しい国際通貨制度が色々検討されていると思いますが、国際デジタル通貨のようなものが、ブロックチェーンのようなシステムで繋がって国際金融経済が運用されれば、それの管理コストは掛かるにしても、広い意味で金融業というような業態が不要になって行く気がします。その通貨システムに金利を持ち込むべきではありません。やはりここでも優越意識から自立意識への変容が必要なのですが、超低金利で経済が回っている今の日本に、研究すべき何かがあると思うところです。
さて、金融・経済の不要な部分を断捨離したら、世界経済は驚くほどシュリンクすると思うのですが、何れ避けて通れない道ではないでしょうか。そろそろ金融・経済断捨離の時ですね。そのプロセスがどんな事態を生むのかはなかなか想像できませんが、単純に考えれば失業者の山になるでしょうから、多くの人達が次の時代のライフスタイルを考えないといけないのだと思います。個人的には失業という概念も断捨離、不要になればいいと思います。
今回はかなり歴史の説明ようになってしまいましたが、次回は別のテーマでこれからを考えたいと思います。
※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。