2.色々な分野で起こるであろう変化
6)経済のこれから
政治に続いて経済のこれからについて考えてみたいと思います。経済という言葉の意味するところはいくつかありますが、ひとつには物やサービスを生産してこれを分配・提供し、一方でこれを消費する活動やその流れを意味します。更にそこに発生する対価のやりとりを社会活動と捉えたものでしょうか。現代は、市場経済、資本主義経済の時代と言っていい訳ですが、その中心的経済主体である企業について、利潤を追求するのが活動の目的だと中高生の頃(50年くらい前)に習ったことを覚えています。利潤に限らずお金に換算できる色々な指標で市場競争に打ち勝つことが、企業活動になっているように思います。企業だけでなく経済については拡大志向が生まれ、多くの国家に於いても経済成長、経済発展が目標の最上位に掲げられています。GDPの伸び率などがニュースで頻繁に取り上げられることを私達は当り前に受け止めています。本論の「はじめに」で述べたSDGsの開発目標の8番目にも「経済成長も」という目標が掲げられています。私達は経済というものが成長・発展というベクトルを持つことを当然と受け入れて疑いません。
そして個々人のベースに於いても、「お金を稼ぐ」「お金を儲ける」「財産を増やす」と言った思いやそのための行動は、抵抗なく当たり前の常識になっています。ここに優越意識特有の比べっこ意識が加わることで、他者よりも少しでもお金を儲けてやろうという思いに駆られている人が大変多いのではないでしょうか。豊かさとか幸福の条件・尺度として、どれくらいお金に換算できる財産を持っているかが問われます。歴史的に見て、かなり長い年月に渡って私達はこうした価値観を持って生きているように思います。しかしながら、時代周期のところで述べたように、今という時代は長短色々な時代の周期が重なって転換点を迎えています。長い時代周期の転換から見て、経済が一方通行で拡大して行くものという捉え方を、見直すべき時期になっていると思います。これはサステナビリティに於いて大変重要な視点です。
SDGsの関連で言えば、7番目の「エネルギーをみんなにクリーンに」、13番目の「気候変動に具体的な対策を」があります。こうしたテーマを具体的に進めるに当たり温室効果ガス削減策として、太陽光発電の推進に助成金が付くと、それでひと儲けしようと雑多な人達が群がって来るのが実情です。サステナビリティが金儲けの対象になってしまう訳です。サステナビリティという視点で経済を膨らませる取り組みをして、環境負荷は改善されるのでしょうか。サステナビリティを問うなら、経済は成長発展させるものという私達に長く染み付いている考え方を見直す必要があります。そういう大きな時代の転換点になっていると思います。こうした視点で「脱成長」を論じ始めた学者さん達が現れ始めました。グローバル資本主義、強欲資本主義、大量消費至上主義などがもたらす地球環境破壊、格差拡大への問題提起からSDGsも生まれた訳ですが、それでも問題が解決しないと思われるところから、改めて「価値」から問い掛けている視点が多いように感じます。
私なりに考えると、サステナビリティとは恒久的なエネルギーの循環をベースにしたものでなくてはなりません。地球環境をベースに考えれば、いつも無償で供給され続けている太陽光が基本です。これを植物などが光合成によって他の生物たちが利用可能なエネルギーの形にしてくれています。食物連鎖でエネルギーが回ります。呼吸によって排出される炭酸ガスは光合成の原料になって循環しています。太陽から供給されたエネルギーの過剰分は、地球から宇宙に放出され、別の形の循環を生んでいるはずです。余剰分の太陽光エネルギーを有効活用することはいいことだと思います。だから太陽光を発電に利用すること自体は間違いではありません。問題はお金という価値の捉え方だと思います。色々な形で行われるエネルギー循環を、私達人類がその社会活動を回す上での価値の等価交換ための便利な道具としてお金を回して行くことは、その回転を円滑にしてくれます。お金がひとつの潤滑エネルギーの役割を担っている訳です。しかし、このお金を一方通行で増やすこと、増やしたお金をどこか特定のところにたくさん貯め込むことは、サステナブルな循環からはマイナスの要素になるはずです。比べっこされるお金の量が幸福の尺度ではなく、お金はエネルギーのひとつの指標として、循環させるものだと思うのです。今の通貨体制は近々大きな変化を繰り返しながら、最終的にはエネルギー循環のための仕組みとして新しい形になって行くのだと思います。
改めて、なぜSDGsの目標の中に経済成長が必要なのでしょうか。それが永遠に続くと思っているのでしょうか。どうしてもここに帰ってきてしまいますが、私はやはり意識階層の問題だと思うのです。人類の意識が優越意識階層にある限り根本的な問題解決はないでしょう。逆に人類の多くの意識が自立意識なれば、多くの問題は自ずと解決する方向になると思います。「価値」の話をすれば、経済は脱成長しても、文化や文明、そして私達人間の意識も当然成長すべきです。
今回はこれくらいにして、次回もう一度経済や金融の話にするか、次のテーマに進むか、ちょっと考えてみたいと思います。
※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。