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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(19回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

3)コミュニケーション(その1)

 前回最後に述べましたように今回はコミュニケーションについて「これから起こるであろう変化」を見ていきますが、コミュニケーションについては色々な方向から捉えて行くことが必要だと思うので、1回で終わらないかも知れません。そして初めに、前回の「情報通信」に関する論考の延長戦上でコミュニケーションにも関係すると思われる、今話題の「ChatGPT」に代表される生成AIについて、ちょっと私見を述べてみたいと思います。

 生成AIは、ユーザーが作りたい文章やその他の成果物をコンピュータとの質問対話形式で作成してくれる人工頭脳ツールで、広い意味でひとつのプログラムソフトと呼んでいいのかと思います。簡単に使えてアウトプットさせる作成物が高水準であることから、急速に普及・活用が進んでいるようです。使った経験はなく全く専門知識もないのですが、アルゴリズムとプログラムの進化したひとつの形なのでしょうか。便利なツールとして使うにはよいかも知れません。作業効率を上げるような使い方は分かるとして、クリエイティブな活動そのものに使うのは、私達のクリエイティブビティを退化させることはないのかなと、自分としては今のところ積極的に使う気にはなりません。

 過大と課題と感じるのは、そこに使われているプログラムには製作者の意図を加えられるのではないかと思えることです。製作者が個人であっても、組織であっても、企業であっても、自分たちが有利な状況を生み出す意図を他者には分からない形で組み込むことが可能で、世界中で多くの人達が使うことでいつの間にか製作者にとって都合のいい世の中になって行ってしまう・・そんな危惧を感じます。繰り返しになりますが、製作者の意識が優越意識階層にあると、そういうことが起きかねないということです。製作者の意識が自立意識であれば、純粋に世のため人のために制作すると思うのですが、残念ながら今の世の中はまだそこから遠くかけ離れた状態だと思います。

 さて、対話型ということでChatGPTを使うことは一種のコミュニケーションかも知れませんが、自分なりにコミュニケーションの意味を考えると「何某かの媒体を通して行われる個体間の情報交換により、共通認識を形成すること」になります。

 先ず個体間の情報交換としているのは、コミュニケーションは人間に限ったものではなく、動物達でも行っているものですし、最近は植物間のコミュニケーションも明らかにされて来ています。(相手がコンピュータソフトなら、それとの情報交換になる訳ですね。) 私達人間にはコミュニケーションに使う媒体として言語が直ぐに思い浮かびますが、人間に於いても情報を得ることに言語が使われる割合は全体の7%に過ぎないと言われます。言語になる以前の視覚・聴覚・感覚で受け取る情報が大半だということで、それがコミュニケーションにもなっている訳です。身振り手振りでもコミュニケーションはできますし、阿吽の呼吸もコミュニケーションのひとつになりますね。

 動物に於いては、鳴き声の使い分けによるコミュニケーションの研究が進んで来ていますし、動作・身振り・スキンシップ・フェロモンなど、色々な方法によってコミュニケーションは行われています。植物ではホルモンのような分泌物や根のネットワークによるコミュニケーションの研究が進んでいるようです。

 図4は意識階層の説明のところで使った図ですが、潜在領域でも意識のコミュニケーションは行われていて、ここでのコミュニケーション媒体はクォンタム(量子・素粒子)になるのではないかということを示しています。これは全くの仮説ですが、量子もつれのような現象がかなり根底のところのコミュニケーションを支えているように思うのです。

 証明のできることではありませんが、次回思いつくことを少し取り上げて行きたいと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

https://note.com/qeharmony_627/n/n1c014e6dbe0c

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(18回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

2)情報通信

 「色々な分野で起こるであろう変化」の2回目は、「情報通信」の世界がこれからどうなって行くだろうかを少し考えてみたいと思います。

 私達が用いる西暦は、紀元前がBC、紀元後がADで表されますが、これはキリストの生誕以前と以後から来た略語です。インターネットが普及し始めたのは1990年代だと思いますが、未来の年表にはBI(Before Internet)、AI(After Internet)の区分が加わると言われることがあります。それくらいインターネットが私達人間社会に与えた影響が大きいと言えるでしょうか。

 私自身は90年代前半から電子メールを使い始めたのですが、海外事業に携わっていたので海外の複数の相手に瞬時にメールが送れる、資料のファイルも添付できるといった今はもう古く感じる機能で著しく業務効率が上がり、感激したものでした。

 2000年代前半に会社の事業部で未来プロジェクトを担当していたのですが、誰でもパソコンでテレビ会議に簡単に参加できるようになり、在宅勤務や最寄り駅のサテライトオフィスが普及する、と言うビジョンを描きました。何のことはない、今ではZOOMで簡単にできるようになりました。

 インターネットの普及によって、物流システムや金融システム、決済システムも大きく変わり、ブロックチェーンのようなシステムに乗り遅れた観のある日本は、色々なことが後手後手に回り、経済成長にも影響が出ている印象があります。

 こうしたツールとしての利便性の面だけでなく、インターネットによって人と人との距離感に色々な変化が生まれたと思います。ZOOMなどを使って海外の人との顔を見せながらの交流が当たり前になっていて、外国の人であっても翻訳ソフトを使うことでコミュニケーションがかなり簡単になっています。

 パラダイムのシフトに伴う技術革新も更に進むでしょうから、国境を越え、人種や民族を超え、世界の距離は縮まって行くでしょう。クォンタム領域に技術革新が進むと、情報機器と身体との融合のような世界ができてきて、いつ何処にいてもそのまま情報網に繫がれるような方向になるかも知れません。マルチ機能のスマホが今よりもっと体の一部に近い形で使えるイメージでしょうか。同時に新技術をハッキング、情報戦争などに利用する人達もいるでしょうから、技術革新に伴う善用と悪用のイタチごっこもまだまだ続いて行くことになるでしょう。

 もう一つ大きな問題があります。情報ネットワークで世界中が瞬時に繫がることが可能であることから、影響力の強いメディアが流す情報が世界を席巻することになります。発信者の意図が情報の形になって世界中に流され、それが繰り返されることで受け取る人々のものの見方、捉え方が方向付けられてしまうことが避けられません。意図的な情報操作、洗脳と言ってもいいことが公然と行われる可能性があり、実際にそうしたメディア活動に世界が支配されている面が否めません。

 本物とフェイクの見分けが全く付かない情報操作、AI技術の乱用、技術革新に伴って生じる新たなフィールド、新たな問題などに対して、「早急なルール作りが求められる。」と良く言われます。しかし、問題を起こす人達も、技術革新を進める人達も、ルールを作る人達も、みんながみんな優越意識階層にいたら、根本的な問題解決はあり得ません。優越意識階層の人達は、どうしても自分達が有利になること、自分達の金儲け、自分達の権力拡大に発想が直結してしまうのです。特に情報・メディアの世界は、既にそれがかなり深刻な状況に成っていると感じます。

 ここに於いても、どうしても意識の変容が求められます。みんなが自立意識に変容して行くことがこうした問題解決の必要条件であり、多くの人達の意識変容が実現できれば、それはほとんど十分条件になって行くものと思います。意識の変容だけが根本的な問題解決への道だと思うのです。

 そして、この意識変容はコミュニケーションのあり方も変えて行くと思うのですが、次回はその辺のところを考えてみたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(18回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

 これまで第1章の扱いで、「今 世の中で起きていること、進む方向」について色々な角度から見てきました。ここから第2章として「色々な分野で起こるであろう変化」として、変化の各論に入りたいと思います。色々な分野ということで、全方位的に述べる構えを見せながら、でも自分が思いつくとことを述べるところに落ち着くと思います。思いついた分野としては、科学、情報通信、コミュニケーション、組織体(国・社会・エリア・ネットワーク)、政治、経済、宗教、教育、健康(医療・薬事)などになります。

 これまで書いて来たものの繰り返しになる部分もあるかも知れませんが、これら分野について、新しいパラダイムへの転換をベースにした少し具体的な未来像を描けないものかと思います。順番は思いついたものからになるかも知れません。科学全般

)科学全般

 先ず科学全般がどのように変化して行くかから、考察を始めたいと思います。

 一言で言うと、パラダイムシフトとして散々言及してきたように、物質サイエンスからクォンタムサイエンスにベースが転換して行くのだと思います。物理学としてだけでなく、既に量子コンピュータや量子脳理論など、研究の始まっている分野は多いと思いますが、現状として物理学についても解明されているものが極々僅かであり、他の分野への応用となると更に限られた扱いになっているのが実情でしょう。特に量子もつれのような現象が、私達にどのような影響を及ぼしているのか全く分からない中で、それが存在のベースにある法則だとすれば、色々な分野の垣根を超えた捉え方が必要になると思います。現代は科学に於いても学問的な細分化が進んでいますが、分野をクロスオーバーさせたり、全体をホリスティックに見たりする学問領域が必須に思えます。ひとつひとつの現象や活動が、広い意味で周囲とどのような関わりがあり、どのような影響を与えているのかと言ったことが重要な視点になって、積極的に活用することも必要になります。

 そうした中で、これまでの科学の基本姿勢である、証明する、再現性を得るという考え方を、手放さざるを得なくなると思います。これはかなりの抵抗感を伴うことだと思いますが、量子・クォンタムを基本に研究を進めれば、必然的にそうなるのが本来の宇宙でしょう。これは、客観性重視・主観性重視の問題にもなりますが、私達はこうして生きて生活している限り、客観的な共通軸を持たざるを得ません。そして、科学というより「科学技術」という言葉で表現される世界が、客観性をベースにした発展を進めて行く領域になると思います。その世界では、証明、再現性は必須科目で、少しでも多く人達に共通の新しい価値あるものが提供できるように研究を進めることは重要だと思います。それは多分「科学技術」と呼ぶべきものでしょう。

 純粋な科学的探求は勿論進むでしょうが、全部正解、間違いなし、と言った世界観の宇宙の中にあっては、例えば科学と哲学の見分け付かなくなって行くような発展方向ではないかと思います。

 やっていいこと、悪いことの判断基準とか倫理観が、高次の宇宙にゆだねられるような世界観にならないと、当面混乱は続くでしょう。例えば、遺伝子をいじくることへの是非、原子を壊す技術への是非、進化した機械に人間・生命を任せることへの是非、色々あると思いますが、私達の意識が優越意識から自立意識に変容して行けば、大半の問題は自ずと解決するように思います。

 これからの科学については、余り具体的なビジョンが描けないので、今回はこれくらいにします。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(17回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

4)今 世の中で起きていること(その3)

 今回は「今 世の中で起きていること」の3回目になりますが、スピリチュアルブームについて、感じるところを述べてみたいと思います。

 実感として今間違いなくスピリチュアル志向の人が増えている思といます。数値指標がないのですが、かなり増えているのではなでしょうか。その割にはメディアがあまり取り上げないなぁとも思います。物質サイエンス・パラダイムから見ると、まだ無視したい世界なのでしょうか。

 最近のブームの特徴として感じることは、圧倒的に女性が多いということです。年齢は様々ですね。「風の時代」などの捉え方からしても、これからは女性性や母性が表に出てくる時代であり、当然と言えば当然です。スピリチュアルブームのスピリチュアルって何なのかと改めて私なりに考えてみると、これまでの行き過ぎた物質サイエンス・パラダイムからの転換期に、物質(分子や原子)の法則を超えた目に見えない何かの存在を認めて、これを受け入れることでしょうか。この目に見えない存在が、私達より高次の存在であることが多く、それが神仏であったり、天使とか精霊とか妖精だったり、宇宙的な存在だったりするのだと思います。そして、従来の伝統的な宗教とか、集団組織型の新興宗教ともちょっと違って、もう少し軽いノリのもののように感じます。哲学者の島崎隆さんは、論文の中でスピリチュアルについて「個々人が何か目に見えない不思議なもの、超越的なものと、一定のリアリティをもってつながっているという感覚のこと」と書かれています。こんな感じでしょうかね。

 加えて私が結構好きな部類ですが、物質(分子や原子)よりミクロな量子論的物理学を追求するとスピリチュアルとの境界線が無くなってしまうような流れがあると思います。最先端の学者さんに多いパターンです。これまでこの小論の中で色々な角度から述べてきていることですが、今まだ物質サイエンスの考え方から抜けられない人達が、前時代の少数グループになって行く流れの過渡期なのでしょう。しかし、ある意味まだ時間のかかる過渡期であるために、スピリチュアルという言葉で雑多なものが扱われていて、その扱われ方に気になるケースも見られます。端的に言うと、パラダイムの転換に合わせて必要になる意識の変容がなされないまま、優越意識階層の人達がスピリチュアルに参入しているケースが多いため、スピリチュアルと言う衣を着て、周りと比べっこしながら金儲けをしたがる人達も見受けられ、それが結構多い気がします。

 かなりセンシティブな話になりますが、よく取り上げられる「引き寄せの法則」を例に、少し私見を述べたいと思います。スピリチュアル系の方は、潜在意識の活用法などもテーマにされることが多いですが、そのひとつに願望実現を目的にした「引き寄せの法則」があります。潜在領域の意識に達成したいことを意図として刻み込むことで、それが現実化すると言ったイメージでしょうか。量子レベルの法則を考えれば、これは当然起こりうることで、実際にそれを体験されている人も多く、その体験を踏まえて指導的な立場になっている方も多いでしょう。

 ちょっと考えてみたいテーマなので、かなり割り切って単純化した図34を書いてみました。本当はこんなに単純な話ではありませんが、単純化したこの図のポイントは、優越意識と自立意識に階層を分けてまとめているところです。図の中に「現生利益(げんせいりやく)」という言葉があります。現世利益は仏教用語で、信仰心をもって活動・修行などをした結果この世で得られるご利益・恵みと言った意味です。引き寄せの法則は、ミクロな物理法則に則っているために、そのポイントを外さなければ求めたものが何某かの形でこの世で得られることになります。引き寄せの法則による現世利益です。

 さて、スピリチュアル系の人は、魂が生まれ変わることも受け入れている方が多いと思います。それが一個魂の輪廻転生と見るにしても、魂がくっついたり別れたり、変容したりすることもあると捉えるにしても、生まれ変わりを繰り返すという変容を通して、私達は成長というベクトルを持ち続けるものだと思います。カルマ論の話は章を改めてしたいと思いますが、引き寄せの法則を下手に使うと、今回の生涯がそれでハッピーに過ごせたとしても、生まれ変わって行く魂の先の歩みに於いて、カルマとして解消しないとならないものを増やしてしまう可能性があると思うのです。現世利益として得られたものが、優越意識の人が他の人と比べっこしながら得た成果物である場合、それは今生で死ぬときに手放すものである場合が多いと思います。成果物は手放しますが、それをなした執着のようなメモリーがカルマと成って死んだ後も残ってしまうというイメージです。ケースバイケースであり単純ではありませんが、自分を優位に置きたがる優越意識階層の人がその願望に引き寄せの法則を使った場合、カルマを増やす可能性が出て来てしまうと思うのです。

 図35は超ひも理論からカルマを説明しようとして以前作った図です。最も広義にカルマを捉えると、超ひも波動の干渉パターンになり、それがあるから存在が存在として認識されて存在することになります。干渉パターンが無ければエネルギー波動はあっても存在として認識できない状態で、存在が存在して行く究極のゴールがそこだと思います。言い換えればカルマを全部解いて行くということです。

 私達存在には毎瞬毎瞬次の瞬間に進む方向の自由度が与えられていますが、この自由度は極めて僅かで、自由に進めずに塞がれている方向がカルマになります。毎瞬毎瞬の自由度の選択次第でカルマは減り、自由度が上がって行きますが、選択を間違えると自由度が減る、カルマが増える方向に進むことになります。引き寄せの法則は、使い方を間違えるとカルマを増やすことになると思えてなりません。

 最近量子論から引き寄せの法則を語る人も増えていますが、確かに引き寄せの法則は量子レベルの物理法則としてドライに働くと思います。結果が伴うケースは多いでしょう。一方で意識の持ち方の世界は、生まれ変わりを超えたカルマにも成りうる訳です。引き寄せの法則そのものやそれを使うことが問題ではありません。それを使う意識が優越意識をベースにした欲望のレベルにあると、カルマを増やすことになりかねないということです。こうした点に触れていないケースが多く見受けられるので、これが最近のスピリチュアルブームの中で、ちょっと危惧する点です。今回の人生での価値観の問題であり、人それぞれでいいと思いますが、私は干渉パターンを減らして自由度を上げて行くことが、存在として存在して行く時の目指すべきベクトルだと思っています。意識の自立している人の場合は、引き寄せの対象・成果もこの方向に乗っかるケースが多いと感じられ、先ずは意識の自立を目指そう!と思う次第です。

 今回は大分辛口になりました。次回はどうなりますか。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

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