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『クォンタム・エネルギーが喜ぶように生きる』

さて、「これからの時代の生き方-10訓-」いよいよ最後の10番目は、『クォンタム・エネルギーが喜ぶように生きる』です。ほとんどの人が「なんのこっちゃ?」というリアクションになるでしょう。

「エネルギーは喜びである。」とは、イギリスの詩人、幻想芸術家、神秘思想家であるウイリアム・ブレイクの言葉です。若い頃に自分がこの言葉に接したのは、コリン・ウイルソンの著作の中でしたが、何か感じるものがあったのでしょう。そんな体験を通して、考え方のベースが唯物論ならぬ唯エネルギー論になっていきました。

「科学者ではない自分の立場で考えて、有限の言葉を使って表現するならば、宇宙は「エネルギー」のありようだ、という表現になります。超ひもの振動も、膨張する巨大星雲もエネルギーであり、創造主がいるならそれも含めて、「ある」ということは様々なエネルギーのありようのひとつとして、宇宙を存在としてのエネルギーのありよう、と見てはいけないのだろうかと思います。唯エネルギー論とでも呼びましょうか。」 これは2016年に書いた論文「クォンタム・マネジメントのすすめ」の一節です。

少し長くなりますが、もう少し引用します。

「超ひも理論にいう10次元というと、4次元時空帯を超えた余剰次元をイメージしなくてはなりませんが、10次元で動き回る存在の基本構成単位である「超ひも」の集合体が宇宙であり、その余剰次元で、活動実態としては捉えにくいエネルギーの波動やスピンという活動をしている「超ひも」の広がりが、場(フィールド)として認識されることになります。ですから場(フィールド)は、絶えず活動している、動いている、変化しているエネルギーの活動が示す領域であり、固定された広がりである空間ではありません。固定された空間など宇宙には存在しません。それは私達の限られた認識能力が捉えた4次元時空帯に限定された、私達の認識でしかありません。存在するものは、活動する「ある」ものであり、「エネルギー」という言葉が、一番このイメージに近いと思うのです。

時間も同様です。私達が認識する時間とは、4次元時空帯で事象と事象の間に相対的に定義されるものです。余剰次元には、4次元時空帯のような宇宙はいっぱいあるというのが最先端の理論物理学の仮説になります。ユニバースではなくマルチバースの考え方です。そこでの存在主体である活動する「超ひも」は、活動しながらその活動の軌跡が干渉パターンとしてプールされていくと、デヴィッド・ボームは「全体性と内蔵秩序」で論じています。(文献:デヴィッド・ボーム「全体性と内臓秩序」井上忠他訳 青土社 1996年) それが場(フィールド)になります。活動しながらその全てを記憶していくという変化を毎瞬毎瞬絶えず繰り返しているのが、余剰次元を含めた宇宙なのだと思います。だからそこには私たちが想像しうるどんな情報も、微に入り細に入り初めからプールされているのです。ですから4次元時空帯を構成する時間軸情報には、余剰次元から見れば過去も未来ありません。初めから全ての情報が「既に」いつでもあるのです。

存在としてのエネルギーは、その活動領域を場(フィールド)とすれば、毎瞬毎瞬の活動の軌跡を干渉パターンとしてプールしていく仕組みを内包している訳です。アーヴィン・ラズロはこうした点について、情報場、アカシック・フィールドとして、膨大な論考を著わしています。(文献:アーヴィン・ラズロ「叡知の海 宇宙」日本教文社 2005年)

 私達の人体を構成する炭素、水素、酸素、窒素などの原子は、生体の代謝活動で5年もすると全て入れ替わると言われます。しかし、私達が自分のままでいられるのは、遺伝子、DNAなどに私達の生命体としての情報がキープされているから、と言うのがひとつの理由でしょう。しかし、クォンタムのレベルで見たらどうでしょうか。10次元の「超ひも」の振動やスピンでできているクォンタムは、原子のようにものとしては捉えられないものです。今仮に私が1メートル動いたとします。それでも私は私のままですが、一体何が動いたのでしょうか。10次元の「超ひも」がそのまま動いたのでしょうか。この点も、存在としての「超ひも」の活動である波動の干渉が、干渉パターンとしてフィールドにキープされるとすれば、それが情報として、メモリーとして維持されながら動いたと考えることができます。私というフィールドにキープされたミクロの波動の干渉パターンである情報が、私という情報をキープしたエネルギー状態のまま動いたということです。

ディーパック・チョプラは、「宇宙のパワーと自由にアクセスする方法」(文献:ディーパック・チョプラ「宇宙のパワーと自由にアクセスする方法」渡邊愛子訳、「宇宙のパワーと自由にアクセスする方法(実践編)」渡邊愛子訳 フォレスト出版 2014年)の中で、次のように述べています。

『人間の心と体は意識の一部で、考える知性の場です。心と体は、私たちの存在の毎秒ごとに、非局在的な宇宙と、エネルギーと情報を交換しているのです。ただ、私たちはそれを無意識に行っているというだけです。』

私たちは宇宙全体に繋がってエネルギーとして存在している場(フィールド)そのもので、敢えて言えばそのある部分です。それが、客観的にみた存在の姿です。私たちが私たちの肉体を自分だと思っているのは、大脳新皮質の顕在意識の活動である自我が、そのように限定的な捉え方をするからです。」

さて、これからの時代は、エネルギーの集合体である私たちが、全宇宙(マルチバース)に繋がって、そのエネルギーが喜ぶように生きる時代です。「なんのこっちゃ?」ですが、次回からもう少し分かりやすく書く努力をいたします。

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『クォンタム・エネルギーが喜ぶように生きる』」への2件のフィードバック

  1. ははぁー 笑
    Facebookに書いてあった事は同感です!この文章の最後の方はわかりました。
    こういう自分では知り得なかった事をつかぴーにわかりやすくしてもらい私達に降ろしてもらいたいです。批判で終わるのではなく“私はこう思う”と一人一人が選択し立つ事の手助けしてください(^^)
    これからもよろしくお願いします。

    1. まさよちゃん
      読んでいただき、そしてコメントいただき、ありがとうございました。
      先日のZoomお話会で、ちょっと「超ひも理論」の話を出したので、たまにはこういう内容も出してみようと思い、HPにアップしてしまいました。
      少しでも、腹に落ちる波動が伝わらないかと思っています。

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