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『生態系雑感』(その2:体内生態系について)

さて「これから塾」、今回はサブタイトル「体内生態系について」として、私たちが体の中で普段一緒に生活しているお友達である虫(寄生虫)や細菌のお話です。

お腹の中にカイチュウとかギョウチュウとかサナダムシを飼っている人は、アトピーとか花粉症といった免疫疾患、アレルギー疾患にならないことが知られています。カイチュウ、ギョウチュウ、サナダムシなどは寄生虫と呼ばれていますが、普通にしていればそんなに悪いことをする訳ではなく、逆に人間の健康維持に役立っている面があります。アトピーとか花粉症とかは、私たちが大きな生態系の営みや人間という生命の全体性を正しく理解することなく、偏った清潔感とか衛生感による医療活動を進めてきた結果、広まってしまった現代病のように思えます。

こうした原生動物門・有櫛動物門・扁形動物門・線形動物門・鉤頭動物門・紐形動物門・環形動物門・節足動物門・舌形動物門などに属する寄生虫は、必ずしも寄生しているだけでなく、私たちと共生している面も多々あるということです。私たち生物は、他の生物たちと共生関係の上に進化してきている面がたくさんある訳であり、健康に生きていればその共生関係は当たり前に成立している訳です。人類の歴史を見ると300年くらい前から科学・技術が急速に進歩・発展する中で、寄生生物の寄生の部分が発見されて、100%害をなすものとして寄生虫のレッテルを貼られ、駆除されてきた面があります。

更に共生という視点で見直さないといけないのが、常在菌といわれる細菌たちです。私たちは体の表面も含む体内に、添付した図に示されているくらいの数の常在菌を宿しています。その数100兆匹~1,000兆匹です。圧倒的な数の細菌が存在しているのは腸ですが、腸は脳に次いで神経細胞が分布している器官で第2の脳と言われ、脳と腸の間には脳腸相関があると言われます。発生学的に進化の系統を遡れば、ミミズのように脳を持たない環形動物や腔腸動物などでは、腸に様々な生体全体への司令塔の機能が集まっているようです。そして、昆虫類などの腹側神経系動物では、腸の端っこが分化する形で生殖活動の指令を担うようになり、それが脳に発達したようです。そしてミミズであっても腸では腸内細菌と共生しており、そうした進化の延長線上に我々もいるということです。

腸内細菌の役割は多岐に渡り、食べ物の消化促進だけでなく、免疫力、脳内ホルモンの前駆体の生産、メンタル面の安定などに係っています。腸内細菌は腸にある神経細胞だけでなく、脳幹など脳の深いところとダイレクトにコミュニケーションを取っているとしか思えないのです。そしてそのコミュニケーションに要する時間は、通常私たちが大脳新皮質で行っている、考えたり、感じたりする活動の100万倍は優に超えるスピードと思われます。

最近は、腸内細菌だけでなく、子宮内の細菌が受精卵の着床に寄与しているという研究報告がたくさん発表されています。赤ちゃんはいたるところをベロベロ舐めまわす行動を取りますが、それは色々な細菌を体内に取り込んで、その中から自分に合った菌を選択し、健康な腸内フローラや子宮内フローラを形成する本能的行動と思われます。バッチイ・バッチイなどといって除菌グッズで除菌してしまっては、人は健全な体内細菌群を持てないまま育ってしまう可能性が高いのです。妊娠できない女性が増えている理由も、この辺にあるような気がします。

未知の部分に謙虚になることなく、既知の情報をすべてと思い込んで一方的な行動を起こすことは、厳に慎みたいものです。直近の例ではコロナワクチンですが、メッセンジャーRNAを操作した薬物の副反応は、孫子の代の遺伝子異常となって現れてくる可能性を否定できないと思います。そんなワクチンよりも腸内細菌に頑張ってもらって、免疫力を上げましょうよ。

先日MGSアカデミーにて、吉田有先生の「メンタリング&仏教」の講義を受けましたが、先生は毎朝トイレで感謝するとおっしゃっていました。特に「大」が出たときは合掌されるとか! 実は自分もウンチが出たときは、ありがとうと感謝してから流すようにしています。ウンチの70~80%は水分ですが、残りの固形物の半分以上が活躍してくれた腸内細菌の死骸なんです。

科学的知見というものは、ひとつ未知の分野が解明されると必ずその周辺に新たな未知のものが複数発見され、未知の分野が拡大されていくものです。そのことに私たちは謙虚でなくてはなりません。私たちは宇宙についてほとんど何も知らないと言っていいほどの知識レベルでしかありません。そのことを謙虚に受け止め、宇宙には無限といっていい可能性があることを素直に受け入れるべきです。「傷口を化膿させていたのは細菌だった。細菌は害をなすものだ。だから駆除してしまえ。皆殺しにしてしまえ。」 極端な言い方ですが、こうした短絡的な発想で、私たちは科学的発展のプロセスにおいて、間違いをたくさん犯してきていないでしょうか? 細菌は私たちの友達であり、人と細菌は共生関係にあり、一緒に人生を歩んでいるパートナーです。みなさんもウンチに感謝しましょう!

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GWと緊急事態宣言下の営業について

日頃の愛顧に感謝申し上げます。

ヒーリング・サロン「QEハーモニー」は、5月1日~4日は休業させていただきます。

また緊急事態宣言発出を受け、4月27日(火)、5月11日(火)は、Zoomによるクォンタム・ヒーリングのみ、予約を受付させていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

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『生態系雑感』(その1)

我が家は駅近のマンションの4階なのですが、ベランダに出ると100メートルほど先に駅のホームの端が見え、少し前からその駅の付近にトンビがつがいで巣を作っているらしく、よく優雅に1羽か2羽で舞っています。そんな姿を間近に見るのが好きで、よくベランダからボケーっと眺めています。自然にライトランゲージが出てきたりします。

駅なので鳩はたくさんいるし、駅前通りの桜並木には季節になると大量のムクドリが群がり、トンビ達は食料には事欠かないのでしょう。自分にとっては一方的に友達になりたいトンビ君達なのですが、ペットに被害が出ているようです。長いリールで愛犬の散歩をしていたおばあさんが、そのワンちゃんを連れ去られてしまったとか、家から数分のところの河原では、猫も連れ去られたとか。こんな被害を受けて、鷹匠を呼んで鷹でトンビを追い出すことになったそうです。上手くいくのでしょうか。

思うのですが、例えば人間の赤ちゃんがやられたら大被害ですが、飼い犬や飼い猫がやられたらやっぱり被害ですよね。鳩やムクドリのヒナがやられたのは、人間にとっては被害にはならないでしょうか? 人によっては可哀そうという気持ちになるでしょうが、鳩は糞害、ムクドリは騒音被害をもたらす存在でもあります。

往々にして人は自分の都合でものごとを判断してしまうものですが、そう思うかどうか、気づくかどうかは別として、人間のエゴが前面に出る形で生態系に接していると、人類にとっては喜ばしくないことがいろいろ起きて来るのではないかと思います。ウイルスの反応もいい例ですね。

いいも悪いも素直に受け入れる。それが調和へのキーのように思います。自分が犠牲者に思える場合も、どこまでそれを素直に受け入れられるか。生態系の中で行われる弱肉強食の食物連鎖では、やられる側も喜んでいるように思えることがあります。趣味のひとつが無農薬の野菜作りなのですが、野菜についた害虫は遠慮なく殺しています。彼らは喜んでいる! そんな訳ないか。

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『愛について』

若いころ、「愛」ってよく分からなかったんです。

精神世界の探索を色々な活動でするようになって、「愛とは?」と聞かれたときの回答を用意するようにしたのですが、それは「すべてを受け入れること」というものでした。これは愛についてのひとつの答えとしては、当たっている言葉だと思います。

毎朝神棚の前に立って、お祈りに始まって立ったまま瞑想に入って行くのが日課なのですが、瞑想時によくインスピレーションが湧いてくることがあって、気になったときは瞑想を中断してメモを取るようにしてきました。最近はチャネリングに近い感じでメッセージをもらいに行くこともあり、3月頃から「愛」についてのメッセージが何回か降りてきました。

以下はその時取ったメモそのままです。

2021.3.10

シリウスに自分のサイキック能力と2極性について聞いてみたら降りて来たメッセージ

「もう、クレアオーディエンスは与えているじゃない。両極を繋ぐのも愛。自己愛。」

2021.3.14

ハイヤーセルフから

「超ひもの愛だよ。」

2021.3.18

ガイドから

「全体も部分も全部愛で繋がっている。全部愛。すべての部分が愛で繋がっている。」

2021.3.22

ガイドから

「瞬間の中に永遠がある。最ミクロが最マクロに繋がる。全部愛。」

2021.3.27

ハイヤーセルフから?

「大きく広がって繋がるのは愛でしょ。

みんな繋がるのは愛でしょ。

ヒーリングでクライアントと繋がるのも、みんな愛でしょ。」

2021.4.1

ハイヤーセルフに、ブロックを解除するのは? と確認すると、

「自分を愛しなさい。愛ってなんだか教えたでしょ。繋がり!

自分の中で繋がってないところがある。それがブロックでしょ!

フィジカルも、メンタルも、スピリチュアルも・・」

こんなメッセージをベースにして、「愛」について考えてみました。

「超ひも理論」で捉えれば、全宇宙(マルチバース)は最小構成単位である10次元の「超ひも」の活動の集合体な訳です。無限といっていい数の最ミクロの「超ひも」が集まって、その総体が最マクロのマルチバースである訳です。そして、ひとつひとつの「超ひも」というエネルギーの、振動したりスピンしたりする活動には、すべての「超ひも」に繋がって連携している活動があり、このひとつひとつの「超ひも」が連携して総体をなしている最マクロの宇宙(マルチバース)の総体としての活動を、ワンネスと捉えることができます。

そしてこの「超ひも」というエネルギーの活動の内、繋がる部分のエネルギー活動を「愛」というのだと思うんです。だから、「宇宙の根源の愛のエネルギー」という呼び方をしたりします。

宇宙が、何もない無の状態からビッグバンで発生したと仮定すれば、発生した宇宙エネルギーの総和は、いつもゼロになるように爆発して発生しているはずです。だから、陽があれば陰があり、プラスがあればそれに見合うマイナスが必ずあります。そしてこの陰と陽、プラスとマイナスの間に働く繋がりも全部「愛」なんですね。だから、繋がる作用は全部「愛」、敵対する国同士も、嫁と姑も、犬と猿もみんな「愛」で繋がっています。それだけでなく、自分の中にも色々な面があり、欠点があり、長所があり、それもみんな「愛」で繋がっている、私たちは愛すべき存在なんです。

こんな風に「愛」をすべてに繋がるエネルギーと捉えられると、世界観が変わらないでしょうか。そんな風に思える人が増えると、対立という関係が変化して、世界がもっと調和に向かうことでしょう。

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『クォンタム・エネルギーが喜ぶように生きる』

さて、「これからの時代の生き方-10訓-」いよいよ最後の10番目は、『クォンタム・エネルギーが喜ぶように生きる』です。ほとんどの人が「なんのこっちゃ?」というリアクションになるでしょう。

「エネルギーは喜びである。」とは、イギリスの詩人、幻想芸術家、神秘思想家であるウイリアム・ブレイクの言葉です。若い頃に自分がこの言葉に接したのは、コリン・ウイルソンの著作の中でしたが、何か感じるものがあったのでしょう。そんな体験を通して、考え方のベースが唯物論ならぬ唯エネルギー論になっていきました。

「科学者ではない自分の立場で考えて、有限の言葉を使って表現するならば、宇宙は「エネルギー」のありようだ、という表現になります。超ひもの振動も、膨張する巨大星雲もエネルギーであり、創造主がいるならそれも含めて、「ある」ということは様々なエネルギーのありようのひとつとして、宇宙を存在としてのエネルギーのありよう、と見てはいけないのだろうかと思います。唯エネルギー論とでも呼びましょうか。」 これは2016年に書いた論文「クォンタム・マネジメントのすすめ」の一節です。

少し長くなりますが、もう少し引用します。

「超ひも理論にいう10次元というと、4次元時空帯を超えた余剰次元をイメージしなくてはなりませんが、10次元で動き回る存在の基本構成単位である「超ひも」の集合体が宇宙であり、その余剰次元で、活動実態としては捉えにくいエネルギーの波動やスピンという活動をしている「超ひも」の広がりが、場(フィールド)として認識されることになります。ですから場(フィールド)は、絶えず活動している、動いている、変化しているエネルギーの活動が示す領域であり、固定された広がりである空間ではありません。固定された空間など宇宙には存在しません。それは私達の限られた認識能力が捉えた4次元時空帯に限定された、私達の認識でしかありません。存在するものは、活動する「ある」ものであり、「エネルギー」という言葉が、一番このイメージに近いと思うのです。

時間も同様です。私達が認識する時間とは、4次元時空帯で事象と事象の間に相対的に定義されるものです。余剰次元には、4次元時空帯のような宇宙はいっぱいあるというのが最先端の理論物理学の仮説になります。ユニバースではなくマルチバースの考え方です。そこでの存在主体である活動する「超ひも」は、活動しながらその活動の軌跡が干渉パターンとしてプールされていくと、デヴィッド・ボームは「全体性と内蔵秩序」で論じています。(文献:デヴィッド・ボーム「全体性と内臓秩序」井上忠他訳 青土社 1996年) それが場(フィールド)になります。活動しながらその全てを記憶していくという変化を毎瞬毎瞬絶えず繰り返しているのが、余剰次元を含めた宇宙なのだと思います。だからそこには私たちが想像しうるどんな情報も、微に入り細に入り初めからプールされているのです。ですから4次元時空帯を構成する時間軸情報には、余剰次元から見れば過去も未来ありません。初めから全ての情報が「既に」いつでもあるのです。

存在としてのエネルギーは、その活動領域を場(フィールド)とすれば、毎瞬毎瞬の活動の軌跡を干渉パターンとしてプールしていく仕組みを内包している訳です。アーヴィン・ラズロはこうした点について、情報場、アカシック・フィールドとして、膨大な論考を著わしています。(文献:アーヴィン・ラズロ「叡知の海 宇宙」日本教文社 2005年)

 私達の人体を構成する炭素、水素、酸素、窒素などの原子は、生体の代謝活動で5年もすると全て入れ替わると言われます。しかし、私達が自分のままでいられるのは、遺伝子、DNAなどに私達の生命体としての情報がキープされているから、と言うのがひとつの理由でしょう。しかし、クォンタムのレベルで見たらどうでしょうか。10次元の「超ひも」の振動やスピンでできているクォンタムは、原子のようにものとしては捉えられないものです。今仮に私が1メートル動いたとします。それでも私は私のままですが、一体何が動いたのでしょうか。10次元の「超ひも」がそのまま動いたのでしょうか。この点も、存在としての「超ひも」の活動である波動の干渉が、干渉パターンとしてフィールドにキープされるとすれば、それが情報として、メモリーとして維持されながら動いたと考えることができます。私というフィールドにキープされたミクロの波動の干渉パターンである情報が、私という情報をキープしたエネルギー状態のまま動いたということです。

ディーパック・チョプラは、「宇宙のパワーと自由にアクセスする方法」(文献:ディーパック・チョプラ「宇宙のパワーと自由にアクセスする方法」渡邊愛子訳、「宇宙のパワーと自由にアクセスする方法(実践編)」渡邊愛子訳 フォレスト出版 2014年)の中で、次のように述べています。

『人間の心と体は意識の一部で、考える知性の場です。心と体は、私たちの存在の毎秒ごとに、非局在的な宇宙と、エネルギーと情報を交換しているのです。ただ、私たちはそれを無意識に行っているというだけです。』

私たちは宇宙全体に繋がってエネルギーとして存在している場(フィールド)そのもので、敢えて言えばそのある部分です。それが、客観的にみた存在の姿です。私たちが私たちの肉体を自分だと思っているのは、大脳新皮質の顕在意識の活動である自我が、そのように限定的な捉え方をするからです。」

さて、これからの時代は、エネルギーの集合体である私たちが、全宇宙(マルチバース)に繋がって、そのエネルギーが喜ぶように生きる時代です。「なんのこっちゃ?」ですが、次回からもう少し分かりやすく書く努力をいたします。

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これからの時代の生き方-10訓- 番外編 『女性性の時代へ』

世界経済フォーラムによる男女平等ランキングで、日本は156ヶ国中120位とのことで、さもありなんですが、先日も少し書いたように、女性の時代とも言えるこれからの800年期で日本が世界の中心になって行くのだとすると、これから何が起こるのでしょう。この点について、ちょっと思いついたことを書いてみます。

先日、「今の自民党政権の衰退と共に、今の政治とか経済とかの構造、体制そのものが徐々に衰退して行き、誰かがそれに取って代わるというのではなく、別の新しい形が目芽吹いてくるのだと思います。」と書きましたが、人間社会を機能・成立させている今の政治とか経済とかいう活動がなくてもちゃんと世の中が回って行くように、だんだん変わって行くと思うんです。必要な人との間には、勝手にネットワークができて、勝手に上手くものごとが進んでしまうようになるでしょう。お金はスムーズに世の中を回すための潤滑油くらいの感じでしょうか。

具体的に何かを決めたり、選んだりしてものごとを進めて行くとき、政治だとか経済だとか法律だとかに変わって、チャネリングとかシャーマニズムとかで余剰次元、高次の世界と繋がって、そこから受け取るメッセージを生かしながらものごとを進めて行くのが、これから当たり前になって行くように思います。まだ時間は掛るだろとうけど・・

昨年末から「風の時代」に入ったとも言われますが、これから誰でもスピリチュアリティが当たり前に求められる時代になるのではないでしょうか。今、スターシードとかライトワーカーとか、そういうスピリチュアリティをベースにした世界を求める人達がどんどん増えてきていると思います。自分は、スーパーチャネラーであるあまね理樺さんの「銀河の学校」に入学していろいろな学びを体験しているところですが、今そうした世界でできる友人の95%が女性なんです。こうした感覚、能力は圧倒的に女性が優れています。そして全くの推測ですが、日本の女性は世界的にもこうした能力の高い方が多いのではないかと思います。 だから、日本の旧態依然とした政治や経済や社会で女性の地位が上がらないのは寧ろ当然であり、世の中の仕組みがこれから変わって行く中で、女性の役割に急激な逆転現象が起きて来るのではないかと思います。

みんなスピリチュアルの時代になって、女性達がはつらつと活躍する、そんな未来が目に浮かびます。女性というよりは、女性性、母性、実際のジェンダーには限らない話ですね。