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『何かをしているときは、そのしていることになりきる』

コロナの感染者数が結構急に減っていることに驚いているのですが、東京の緊急事態宣言が解除になったら、火曜日の麹町のヒーリングサロンを再開しようと思います。それと一緒になるか(?)、ZOOMを使った遠隔ヒーリングを始める準備を進めています。

さて、「これからの時代の生き方-10訓-」の8番目は、『何かをしているときは、そのしていることになりきる』です。

37,8年前の話になりますが、通っていた瞑想道場での教えに「超作」という言葉がありました。

何かをしている時に、そのしている行為になりきるというものです。掃除をしている時は、掃除をしている行為になりきる。漫画を読んでいる時は、漫画を読んでいるという行為になりきる。味噌汁を飲んでいる時は、味噌汁を飲んでいるという行為になりきる、というものです。集中して行うというのとは微妙にニュアンスが違って、瞑想のマインドフルネスに近いでしょうか。禅にも歩きながら行う経行(きんひん)と呼ばれる禅行があり、同じような意識状態を作るもののように思えます。いまここで行っている行為になりきっちゃう、というものです。

瞑想は、一般の人が意識を変容させレベルを上げていくために具体的に取り組むものとして、誰にでも薦められるものだと思います。ただ、変容の仕方、進み方は人それぞれなので、他の人と比べっこするのは禁物です。この「何かをしているときは、そのしていることになりきる」も、生活全般で意識を変容・成長させることを、知らず知らずに安定的に即すものとしてお薦めです。

最近は、平易にやりやすく多面的な効果のあるマインドフルネスのような瞑想が普及していますが、もっと広まって人類レベルでの意識変容が進まないものかと思います。昔は、瞑想ひとつするのも瞑想「行」と呼んだりして、「ちゃんとしたグル(指導者)についてやりなさい。」と言われたものです。魔境に落ちるとか、よからぬものに憑依されるとか、結構脅されたし、実際いろいろなケースを目にし、体験もしました。大きな悪い事例としては、オーム真理教なんかもありましたね。

今は、地球レベルで波導というか地場というか、環境が変わっていて、そうした危険性は著しく減っているように思います。でも、改めて瞑想というと、毎日座ってそれを続けるには、一種の覚悟のようなものが必要でしょう。なので、座った瞑想でなくても、「何かをしているときは、余計なことは考えずに、そのしていることになりきる。」みたいなことを、実生活のなかで心掛けられないでしょうか。そんなふうに心掛けても、気がつくと直ぐに余計なことを考え始めているのが私たちの常ですが、思い出したらまた「何かをしているときは、そのしていることになりきる」を繰り返していると、「あれ、最近昔より随分気持ちにゆとりができてるな。」なんてふと気づいたりするものです。

小さな一人ひとりのちょっとした気の持ち方が、これからの世界を大きく変えていくのだと思います。

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