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『風の時代を行く』客観性って何?

~実在とバーチャルリアリティのはざまで~

 前回の「自分軸パラダイム」の続きになりますが、今回は少し「客観性」というものを私なりに見つめてみたいと思います。

客観性って何?

 私達は生まれた後に、どうやって知覚や認識の能力を育んでいくのでしょうか。オギャーと生まれた時、私達ははっきりものを見る視覚を持っていませんがが、その時私達は何を見ているのでしょうか? どんな風に見えているのでしょうか? 

 一般には焦点を合わせることができずぼんやりと、色も白黒に近い視覚のように言われます。私のイメージですが、私達が目を瞑った瞼に見えるような世界を、赤ちゃんは目を開いている時も見ているのではないかと思います。

 その後1歳になるくらいまでの間に、機能として視覚能力がどんどん高まるプロセスで、赤ちゃんは周囲の人達、特にお母さんから「これはお花よ。赤いお花きれい、きれい」「あら、ちっちゃいワンちゃんかわいいね。お耳が黒いのね」なんていう教育を受けながら、その視覚能力を確かなものにして行くのでしょう。この言葉の学習と知覚が結びついて行く能力が1歳くらいから急速に高まって行くようです。そうした成長のプロセスで言葉と知覚を統合しながら、自分が捉えている世界、外界に客観性の概念が植え付けられて行くのだと思います。

 これが社会活動をするベースになって行くんですね。この共通の認識、客観性が生きるベースにないと、人間社会で生きて行くことは難しいでしょう。そこで改めて客観性についてChatGPTに聞いてみると、次のような回答でした。

・個人の価値観や先入観に依存しないこと

・誰が見ても同じ結論に至ること

・証拠やデータに基づくこと

・再現性があること(同じ条件なら同じ結果になる)

そして客観性を担保するために必要なことが

・エビデンス(証拠)に基づく

・複数の視点を取り入れる

・検証可能性を確保する

・ルールや基準を明確にする

・バイアスを排除する

とのことで、分かり易くまとめてくれて助かります。

 この「客観性」について自分なりに思うのは、私達人間が社会生活を送る上のルールなのかなと言うことです。円滑にトラブルことなく多くの人の中で活動する中で守るべき取り決めのようなもの? 法律はその象徴ですかね。

 例えば共通の物差しについてですが、1日を日の出から次の日の出までとするとか、1年を季節の一巡にするとかから時間を計り、それを更に地球の自転とか公転とかの天体運行にする取り決めにして、皆に共通な客観的な数値にします。そしてより正確な共通の軸にするために、今ではセシウム133原子の遷移に対応する放射周期から1秒を定義したりしていますが、今後更に誤差の少ない光格子時計への変更が予定されているようです。このように私たちは共通の軸を定義して、より客観性が担保できる数値化などを繰り返して私達の社会を作って来ました。

 現代という時代を見ると、改めて実証主義とも言える考え方が生き方のベースに潜んでいるように思えます。「証拠あるの?」「証明できるの?」「再現性は?」みたいな感じでしょうか。そのベースに客観性は不可欠ですよね。

 ただ、もともと日々の活動にこうした実証性を強く求めていなかった時代から、ことさらこれが求められるようになったのは、300~400年くらい前のことではないかと思います。その辺りが、様々な宗教観で生きていた時代から科学的知見をベースにした生き方の時代への変わり目ですね。その過程では、コペルニクスの地動説だとか、ニュートンの力学だとか、ダーウィンの進化論だとかが出て来て、実証できる世界観を重視する時代に時間を掛けて進んで行った感じです。そして、今の私達はこの科学的なことが正しい、実証できることが正しい、と言うものの見方に染まり切っています。

 実証主義とか客観性は現代を生きる私達の生き方のベースに浸み込んでいると思い、それを私は「物質サイエンスパラダイム」と呼んでいます。それは現代の社会生活を送る上で必要なものでしょう。特に客観性の物差しは、これがないと大変不便になるのは確かです。

 その上で敢えて言うのですが、これからの「風の時代」は前回の「みんな何をみているの?」で書いたように、私達はそれぞれ独自の知覚で世界を捉えて、その情報を自分の中で解析して描いた独自の世界観の中で生きているんだということを、どこかで分かって置く必要があると思うんです。主観的な視点がとても大切だということを。

 「地」のように固まっていて動くことがほとんどない世界から、これから「風」のように自由に飛び回る世界に世界観が変わって行く時代の流れで、ものごとの捉え方を自分軸でフレキシブルにして行きたいものです。

 また長くなりそうなので、今回はこの辺にします。

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