
~実在とバーチャルリアリティのはざまで~
「風の時代」を思う時、そこには新しいパラダイムができて行くんだろうなと思います。それくらい大きな時代の転換が今進んでいるのだと感じます。
前回のコラムでそのパラダイムのひとつを「脱経済成長パラダイム」としてみました。これから時間を掛けて、みんなの根底のものの見方がそういう方向に変化して行くだろうという私の個人的な仮説です。
もう少し「風の時代」のパラダイムに成って行くものがあると思うのですが、よく「風の時代」は「自分軸の時代」と言われます。この自分軸というのが結構これから大切で、これがひとつのパラダイムのようなものになって行くのかも知れません。
そんなことを少し考えてみたいのですが、色々な方向に続きそうなテーマで、何回か書くことに成りそうです。
みんな何を見ているの?
立春ですね。本格的な春はこれからですが花の季節の始まりです。犬の散歩に行ったら河原の公園にチューリップが見事に咲いていた、なんてことが昔ありました。今は犬を飼っていませんが。
さて突然ですが、犬は人と同じようにチューリップを見ているのでしょうか? 同じように見えているのでしょうか? 試しに生成AIを使って人が見ているチューリップと、犬が見ているチューリップを描いてもらいました。(笑)でもなかなかこちらの意図が伝わらなくていい画像が出てきませんでした。そこで、人が見ているチューリップ、犬が見ているチューリップ、それに加えて蝶々が見ているチューリップを勝手に想像して作ってみたのが下の絵です。

いい加減に描いたものですが、示したかったのは同じ花を見ても人と犬と蝶々では三者三様に違って見えているはずだという点です。ほとんどの方にこの点は支持されると思います。例えば蝶々に関しては紫外線を見る能力があることが分かっています。
ここで私には次の疑問が浮かんでしまうのですが、人間ならみんな同じように見ているのだろうか?というものです。そんなことはないですよね。例えば、ド近眼の人と遠視の人に花は同じように見えないですよね。
そしてこれに留まらず更に次の疑問が沸きます。どれが本物の花の姿なんだろうか?という疑問です。誰か答えられる人はいますか。
くどくど書いてしまいましたが、視覚でものを捉えて見える姿は個体間で全部違うということですね。みんなそれぞれ独自の視覚でものを見ている。これ凄く重要なことだと思うのですが、普段私達はみんながみんな同じように物を見て、捉えていると思っていないでしょうか?
もの見るという行為は、それぞれ自分の視覚能力で情報を捉えて、その情報を頭の中で解析して、その解析した結果を頭の中のスクリーンに像として描いているものです。
先ず、この情報を捉える能力が個体間で違います。次に捉えた情報を解析する能力が個体間で違います。それを視覚の像として描き出す能力も個体間で違います。みんなそれぞれ違って見ていることは当り前です。
ところが、この当たり前を当たり前と思わずに、みんな同じようにものを見ていると思い込んで普段私達は生きているんですね。
実は私達が捉えている世界は、何に限らず私達がそれぞれの知覚能力で捉えた情報を、私達の内側で解析して描いている像に他になりません。そしてその像は私達の内側にあります。外側ではありません。この内側に描き上げている固有の像の世界から、私達は生まれてから死ぬまで一歩も出ることなく過ごしているのです。それがみんなに共通の客観的な世界だと信じて!
結構強烈なことを書いてしまいましたが、皆様はどう思われるでしょうか。飽くまでも個人的な見方なんですが、私達は自分で捉えて解析して、自分でそれを描いた世界の中で生きていることを腹落ちさせることがとても大切だと思うんです。「風の時代」「自分軸の時代」はそれが求められると。
これからの時代は、この客観的と思い込んでいる視点に、もう一度これは自分独自の視点なんじゃない!と念押しをしていくこと(一種のメタ認知)が必要になると思います。自分自身の視点、すなわち主観的な視点を重視して生きて行くことが大切だと思うのですが、長くなりそうなので次回に続けようと思います。