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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(13回目)

『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(13回目)

2)時代の周期(その2)

 さて、「風の時代」と「水瓶座の時代」ということで、「風の時代」について言えば「地の時代」から移行して間もないと言うことになります。その時代特性は以前にも示した図6のように語ることができます。所有→共有、モノ・お金→情報・体験、学歴・地位・肩書→能力・できること、ヒエラルキー→フラット、努力・根性→得意・やりたい、知識・記憶→感性・直観、他人軸→自分軸、見えるもの→見えないもの・・ 何となく伝わると思いますが、既にこうした変化を何某か感じている方も多いでしょう。「地の時代」は、やはり私が育った昭和の価値観のような側面が強いと思うのですが、これからは風のエレメントということで、軽く固定されずに流動する感覚が社会の至るところに現れてくるものと思います。そして、それは前章で説明してきたパラダイムシフト、意識変容にも結び付いていて、客観性重視→主観性重視について言えば、他人軸→自分軸のニュアンスに近いものになります。

 水瓶座も風のエレメントですので、2,000年間という長いスパンで見ても、世の中の底流がこのような方向の時代になるということだと思います。「水瓶座の時代」は地球の歳差運動をベースにした時代変化になりますが、同じ歳差運動をベースにした時代周期説に800年説、1,600年説があります。歳差運動の周期25,772年を16等分すると1,611年になり、この約1,600年とその半分の800年が時代の周期の単位になるという説です。「文明周期800年説」を唱えているのは村山節さんですが、6,000年以上の人類史を均等に一直線上にプトッロした年表を作ったところ、800年毎に東洋の時代と西洋の時代が入れ替わっていることに気づいたと言うものです。図26に示した通りです。

 同様の流れを歳差運動から読み解いているのが千賀一生さんの「ガイアの法則」になります。歳差運動一周の16分の1の約1,600年がひとつの文明のサイクルになるというもので、その1,600年間の前半の800年間が隆盛期、後半の800年間が衰退期になると言われています。そしてこの文明サイクルには、東回りの文明サイクルと西回りの文明サイクルがあって、ふたつのサイクルが800年ずれているために隆盛期だけ見ると、東回り文明と西回り文明が800年毎に入れ替わっていることになります。東回り周り文明を東洋の時代、西回り文明を西洋の時代とすると、村山先生の説に丁度符合します。そして千賀先生の「ガイアの法測」では、歳差運動一周の16分の1である1,600年毎の文明の中心地が、経度にして22.5度ずつ動いて行くのですが、この22.5度は1周360度の16分の1になります。そうした歳差運動に伴う文明推移の法則性を、歴史的検証を踏まえて説いています。東回りサイクルでは東に22.5度動き、西回りサイクルでは西に22.5度動いています。西暦1200年から2000年までの直近の800年間の隆盛期は西回り文明サイクル(西洋文明)で、その中心地は経度0度のロンドンでした。そして「ガイアの法則」に則れば、これからの800年は隆盛期が東回りの東洋の時代であり、その中心地は東経135度の日本の標準時、明石・淡路島の辺りになると予測されるのです。

 これは、宇宙の星々と歳差運動による地球との位置関係から来る、地球のエネルギー分布の変化によるだと思います。長い歴史が実際にそう動いて来ている以上、私達の人為的な活動でどうこうなるという話ではないと思うのです。東西で言えばこれからどんどん東洋の時代の色彩が強くなって行くと思うのですが、西洋の時代と東洋の時代を比較すると、丁度図6の「地の時代」「風の時代」の違いがしっくりくるように感じます。これは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に代表される一神教の世界観と、インド思想や仏教に代表される輪廻転生をベースにした世界観との違いのようにも感じられます。好むと好まざるとにかかわらず、宇宙の運航による星の位置関係や地球の回転運動によるガイアの法則から、こうした流れになって行くと考えることを、非科学的と言ってしまえるでしょうか。今の学校教育では非科学的と言って相手にしないかも知れませんが、私には、それは物質サイエンスという古いパラダイムにしがみついている現代教育の限界に思えます。色々な方向からいま世の中で起きていることを多角的に捉えて、総合的に、統合的にこれからの時代に向った活動を進めて行くことが求められていると思います。なかなか一般の人達には通じない話になっていますが、懲りずにこの先も続けたいと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

https://note.com/qeharmony_627/n/n1c014e6dbe0c

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(12回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

2)時代の周期(その1)

 22世紀型社会に向ってと言うことで、これまで22世紀までにどういった点が変わって行くのか、どのように変わって行く必要があるのかと言うことを3つの視点で述べてきました。ここで少し時代の周期という視点で現代という時代、これからの時代を見て行きたいと思います。

 時代の周期説というものが色々ありますが、それらには占星術的な星の運航に基づいているものが多いです。今一番耳にするのは「風の時代」でしょうか。これは、木星と土星が大接近するグレートコンジャンクションという天体現象が、黄道の12星座宮の内、地・水・火・風のどのエレメントの星座宮で起き続ける時期か、というところから来ています。牡羊座・獅子座・射手座が火のエレメント、牡牛座・乙女座・山羊座が地のエレメント、双子座・天秤座・水瓶座が風のエレメント、蟹座・蠍座・魚座が水のエレメントになりますが、これまで200年ほどの間ほとんど地のエネメントの星座宮で起きて来たグランドコンジャンクションが、2020年12月22日に水瓶座で起きて以降、これから240年間ほどは風の星座級で起き続けるため、「風の時代」に入ったと言われるものです。

 これとは別に現代は「水瓶座の時代」に入ったとも言われますが、これは全く別の天体現象をベースにしています。地球には歳差運動という回転があります。自転しながら太陽の周りを公転している地球が、この公転している黄道面に対して、毎日一周している自転の回転軸が、約23.4度傾いています。そしてこの回転軸が黄道面に対して自転・公転とは反対回りに極めてゆっくり回っているのですが、この回転運動を歳差運動と言います。コマが少し傾いて回っている時、その軸が回転とは反対方向にゆっくり回る現象と同じことが、地球でも起きているということです。そしてこの歳差運動で軸が1回転する周期は25,772年という長い時間になります。その昔、春分点を牡羊座0度として12等分された星座表で、この2,000年ちょっとの間、春分点は魚座にありました。2,000年ちょっとと言うのは、歳差運動周期の25,772年を12等分した約2,150年になります。春分点が魚座から水瓶座に移ったタイミングは色々説があるようですが、西暦2000年を少し過ぎた時期になり、「水瓶座の時代」に入ったと言われています。

 占星術ではこうした星の位置関係を読み解きする訳ですが、そのベースは統計的な経験則から来ているように考えられます。複雑な星の位置関係というのは、分かり易く見てもその重力の影響を地球が受けていると思えるのですが、クォンタムサイエンスというパラダイムに則れば、重力、そして量子のもつれは私達の身体にも、意識にも、地球の自然にも、社会にも影響を及ぼしていても不思議ではありません。不思議ではありませんが、残念ながら現代の科学水準ではまだ解明できない領域になります。

 重力について言えば、物理学で扱う力の中で、最も解明が遅れている力になります。それは、物理学で扱う4つの力、「強い力」「電磁力」「弱い力」「重力」の中で、「重力」が桁外れに弱い力であることに関係しています。量子論では、重力を伝達する素粒子をグラビトンと呼んでいます。最近のブレーン宇宙論、多元宇宙論などでは、この重力を伝えるグラビトンは、私達の3次元宇宙(4次元時空体)を飛び出して5次元を介してパラレル宇宙を行き来しているように語られます。グラビトン(重力)の本体が私達の宇宙より高次の次元にあるから、私達の宇宙では極端に弱い力になっているのでしょうか。こうした高次から来るものも含めた重力がもたらす影響を、複雑な星の位置関係がひとつの指標となって読み取れる部分があるのかも知れません。その星達の運航は色々な回転運動の組み合わせであるため、色々な周期・サイクルが時代の推移に反映されることがあるのでしょう。今後クォンタムサイエンスが進化することで、私達全ての存在のありようについて、もっともっと深い読み解きができるようになることを期待しています。

 今回も少し分かり難い話になってきたのでこの辺にして、次回また続けたいと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(11回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀に向って変えて行くこと

【価値観の前提となる視点の変化】(その2)

 私達は普段ものごとを捉える時に、自分の方から捉えています。当たり前ですが少し広げて言えば、人間である私達は人間として捉えて世界はこうなんだと思い込んで生きています。更に拡大して、世界は私が見ている通り、これが世界なんだ、そう思うことに疑いを持ちません。それでいいんですげれど、それは主観的世界だという自覚を持つことが大切です。ほとんどの人が普段この自覚を持っていません。本当は主観的に世界を見ていることをベースにして、その上で人とコミュニケーション、意思疎通するための共有概念を作って行く、そうであるべきだと思います。

 多くの人達が存在する社会において、客観的と思える共通の軸が存在することによって、私達は他者との円滑な関係性を築き易くなります。だから現在の人間社会では、客観的と思える共通の軸があるのだと思い込むようにするための社会体制や教育体系ができ上っています。前回、法律のことを「客観性の取り決めの最たるもの」と表現しましたが、あくまでも取り決めとして客観性を作っている訳です。しかしこれは万人に通用する客観性ではありません。それが証拠には、政治の世界などを見ていても法解釈の争いが絶えない訳です。

 優越意識階層に人がいる限り、個人にせよ、グループにせよ、国にせよ、自分達を正当化する基準を作る努力を重ねることになります。そしてこの基準が通じ合わないもの達の間には争いが生まれます。実際に世界では正当性を主張し合う戦争が起きています。本当は主観でしかないものを客観と思い込んで、影響の及ぶ範囲を広げて行こうとする社会システムができ上っているからです。

 だから、それぞれがバラバラと作った本当は客観的とは言えない客観的基準を、全て冷静に包括的に俯瞰して見る姿勢が必要です。これが自立意識への変容のはじめの一歩です。そしてこれができた時、みんながお互いの主観性を認め合える世界が生まれるのです。

 「世界とは、外にある原型を自分が捉えて自分の中に描いているもの」、それをどこまで深く納得できるか・・ それがその人の存在性を示すレベル感になります。この視点を多くの人に浸透させるには、現代の教育を相当見直す必要があります。それを進めるリーダーが現れて教育改革が段階的に進むとして、社会全体に自立意識が浸透するには2~3世代入れ替わるくらいの時間が必要でしょう。こうした社会の実現が22世紀になると言っている所以です。例えば、不登校の子供が増えることなどが起こるべくして起きている状況に問題意識を持って、新しいタイプの教育活動を始められている方々は確実に増えているようです。でも、こうした動きが教育制度という形になるまでには、まだまだ時間が掛かると思うのです。

 その間、既に大人と言える年齢になっている人達は、意識を自立させるために何事よらず俯瞰してみる視点を持つ努力をして行く・・ そこから始めることはできないでしょうか。その時私達は判断の基準をどこに求めたらいいでしょうか。次元を超えた宇宙に求めるのはどうでしょうか。私達から世界や宇宙を見るのではなく、宇宙から見たら私達はどんなふうに見えるのか? あるいはクォンタムから見たら、「超ひも」から見たら私達はどのように見えるのか? そんなふうに想いを廻らす。そんな時間を持つことも、時にはあってもよいのではないでしょうか。

 大分話が飛躍して、書いている本人にも分かり難い文章になってしまいました。今回はこの辺にいたします。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(10回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀に向って変えて行くこと

【価値観の前提となる視点の変化】(その1)

 パラダイムシフト「クォンタムサイエンス」についてもう少し書こうと思っていたのですが、更にマニアックな内容になりそうなので、次の【価値観の前提となる視点の変化】に進むことにします。

 私が今書いているような内容の研修やワークショップをした時に、参加者によくリンゴやバナナの絵を描くワークをしてもらっています。自分が捉えてものを表現できるように簡潔に書いてもらった後、「それでは今度はあなたの横にトンボがいると思って、トンボにはどのように見えるかをイメージして書いてみてください。」と言ってもう1枚書いてもらいます。そうすると100%に近い人が別の絵を描くので、次に別々の絵を描いた理由を聞くと「トンボは小さいから」とか「トンボは複眼だからたくさん見えている」とか、色々な答えが返ってきます。ほとんどの人が、人とトンボでは見え方が違うのだと感じている訳です。

 そこで次に「どちらが本物だと思います?」と聞くと、ちょっと考えた後「どっちも本物」「どちらも本物ではない」などの答えが返ってきます。これは正解も不正解もない質問なのですね。見え方はそれぞれだと言うことを、理屈っぽく説明すればみんな分かってくれます。別にトンボでなくても、近視の人と遠視の人が並んでいれば、リンゴの見え方は絶対に違うはずです。でも私達はみんながみんなそこにあるものを同じように見ていて、その同じものがちゃんとそこにあるのが現実だというルールを暗黙の内に作ってそれに従って生きています。

 ここで視覚というもののメカニズムを考えれば、リンゴと呼ばれるものに当たった電磁波の内、赤と呼ばれる色に感じ取れる波長帯の反射光を眼球のレンズから取り込んで、網膜、外側漆状体、視覚中枢、視覚神経細胞などを通して解析された情報を、脳みその中にある超高性能3Dスクリーンに映し出したものです。自分の脳が解析した情報を脳の中に映し出している像が視覚であって、本当にそこにあるもの=視覚ではないんです。そしてこの像は当然近視の人と遠視の人では別物ですし、トンボなら私達が見ることができない紫外線の色まで1万個以上の複眼を使って捉えて、全く別の像を描いているはずです。

 一気に話は飛躍しますが、私達が捉えている世界とは、私達が感覚器官を使って捉えた情報を私達の内側で解析し、私達それぞれの内側に築き上げた世界像に他なりません。この世界像は人の数だけあります。これを主観と呼ぶなら、世界には主観しかないことになります。これは事実です。でもそれでは困ることがたくさん出て来る・・ だから私達は私達の外側にみんなが共通に捉えている世界が実際にそこにあるという暗黙のルールを作って、それに従って生きています。2メートル先に赤いリンゴがあるなら、私達が捉えている視覚は共通で、それは頭の中の像ではなく外側の世界そのもので、例えトンボであっても皆同じ外側2メートルにあるリンゴを現実世界として捉えている。それを当然と思い込んで、私達は普段生活しているはずです。これをきっと客観性と言うのでしょう。

 私達は生まれた時からこの客観性をベースした教育を受けて育ちます。お母さんから「これはお花よ。ワンワンかわいいね。」と教わり、他の周囲の人達からも同様に共通認識を植え付けられます。これによってコミュニケーションが可能になる訳です。ですからこうした教育はとても大切なことです。でも、正解はひとつで、それと違ったことを言うと「それは間違い!」と言われてダメ出しされる、今の社会はそういうことが行き過ぎていると感じてしまうのですが、いかがでしょうか。本来ものの捉え方が一人ひとり違う以上、その違いを認め合うことも大切なはずです。客観性と主観性のバランスが大切なのに、客観的と言われるものが重視される世の中に成り過ぎていないでしょうか。

 それには理由があります。私達のほとんどが、【意識の変容】のところでお話しした「優越意識」の階層に、今はまだ居るからです。何でも比べっこして自分が正しいと主張する人達が、客観性のない主観性重視の世の中で活動すれば、そこは自分勝手が横行する無法地帯になってしまいます。だから客観性の取り決めの最たるものである法律も必要なんです。私達の本来の姿である主観性を重視した世の中を築こうとすると、それに合わせて私達の意識が「自立意識」に変容して行くことが必要になります。そして、そういう大きな時代の変わり目に今私達は入ってきていると思うのです。

 今回もややこしくなってしまったのでこの辺にして、次回もう少し掘り下げてみたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(9回目)

1.今世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀に向って変えて行くこと

【パラダイムシフト】(その3)

 前回最後に量子もつれの拡大解釈として「みんな繋がっている。宇宙中と同時に連携して動く仕組を私達自身が無限に内包している。」と書きましたが、これだけ聞いてもナンノコッチャでしょう。最近の研究では量子の集合体の間でも量子もつれが起こることが確認されているようです。宇宙の起源を考えれば、ペア化しているクォンタムはそこら中に無限にある訳で、私達の体の中でも、体の中と外のものとの間でも、遠い宇宙の彼方でも、「量子もつれ」という同時現象は無数に起きているはずです。

 宇宙とは本来そうしたミクロの同時反応で繋がって動いていて、私達はその本当に限られた一部の断面だけを切り取って、それが世界だと思い込んで生きているのではないでしょうか。空想物語のように聞こえるかもしれませんが、東京大学カブリ数物連携宇宙機構機構長の大栗博司博士の研究チームが発表した論文では、宇宙の最外層には宇宙のあらゆるデータの書かれた層があり、その情報と量子もつれによってできたホログラフィックな像が私達であり、私達の世界だと考察されています。最先端の学術世界でこんな研究が発表されている訳です。私達の現実は、実は宇宙的メタバースだ! というような世界観ですね。

 私達は世界には何もない入れ物のような空間があって、その中に私が居たり、あなたが居たり、ビルがあったり、山があったり、それらのものが個別にバラバラ存在していると、当たり前に思って生活していますが、宇宙にはクォンタム、更にそれを形作っている「超ひも」という振動エネルギー体のないところはありません。空間もそうしたエネルギーで埋め尽くされている訳です。そしてこのエネルギー間には、もつれのような同時現象が距離に関係なく常時起きていて、それで宇宙は成り立っている、そんな風に思えてなりません。

 言葉にすれば「宇宙中がいつも繋がって同時に動いている。」ということです。これが宇宙の姿なら、私達の日頃のものの捉え方、考え方も見直した方がいいことが色々出てくると思うんです。それが新しいパラダイムになるのではないかと・・

 最近、植物達が彼等の方法でコミュニケーションして助け合って生きていることが分かってきました。そうだとしたら、木の切り方にも配慮は必要なはずです。個別のモノとしては扱えないと思うんです。同じ料理でも心の込め方で味が変わったりします。そこには物質としての調味料の加減だとか、火加減だけでは説明できないもっとミクロな連携反応があるのではないでしょうか。「物質サイエンス」の世の中になってから、私達はそうした大切なことをたくさん忘れてしまったような気がします。「物質サイエンス」を踏まえて更にその先に進むこれからの時代に、よりミクロなサイエンスが色々な提案をしてくれるように思います。「クォンタムサイエンス」をもっともっと当たり前に、身近に、生活の中に取り込んで行けないでしょうか。

 という訳で、また次回に続けたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(8回目)

1.今世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀ってどんな世の中? 

【パラダイムシフト】(その2)

 本論のひとつのテーマをサステナビリティとしていますが、以前LOHASという言葉が話題になりました。LOHASはLifestyles of Health and Sustainabilityの頭文字ですが、オーガニックな食べ物、心と体のバランスを整える活動(ヨガ、瞑想)、代替医療を含む人間としての全体性を考えた医療、クリーンなエネルギーや資源の循環、そんなことを意識したライフスタイルを心掛けることでしょうか。いいコンセプトだと思ったのですが、言葉の使われ方が曖昧だったことや、直ぐに金儲けに結び付ける人達が雑多に参入したことなどもあって、言葉としてのLOHASは余り聞かれなくなりました。

 しかし、最近ライフスタイルとしては正にLOHASじゃないのと言う人達が急速に増えている気がします。殊にコロナ発生以降、都心を離れて地方に住み、こうしたライフスタイルを意識した生活を始められている方が多いのではないでしょうか。そう言う私も1年半ほど前から、生活のベースを東京から軽井沢の森の中に移したひとりです。 まだまだマジョリティではありませんが、こうした人達は、今この時代にどんなことを思ってライフスタイルを変え始めているのでしょうか。言葉にするのは難しいかも知れませんが、こうした変化からこの先の時代のパラダイムが考えられないものかと思います。

 こうした方向性を持つ人達の底流には、私達を取り巻く現象が単独の物質化学反応の集まりというだけでは説明できないものであり、もっと複合的な・生態系的なもの、肌で感じられるもの、目に見えないものを大切にしないといけない、そうした感覚が流れているように思えます。

 それをパラダイムとして捉えようとした時に、20世紀になった頃から探究が始まった量子力学、素粒子物理学の世界が思い浮かびます。世界を構成する最小単位と思っていた原子を物理学者が更に細かく内側を見に行ったら、原子は量子・素粒子というもので構成されていることがわかりました。このミクロな構成物を物理量として見ると量子になり、粒として捉えると素粒子という言葉が使われます。両者は同じものを捉えていると思うのですが、ここでは量子の英語であるクォンタムを使わせていただきます。そして、このクォンタムの性質、挙動がそれまでの原子や分子、それらから作られている物質とは、全くことなる不可思議なものだったのです。

 見ていない時は波として飛び回っているのに、観察しようと見に行くと突然粒になる。運動状態を捉えようとすると何処にあるのか分からなくなり、何処にあるのか見つけると運動状態が決められなくなる。素人が一般人に伝えようとすると、こんな感じになるでしょうか。私達が当然と思って捉えているモノに対する概念が通用しない掴みどころのないモノで、実は私達は出来ているのだと言うことになります。

 そして最近色々なところで引用される「量子もつれ」という性質があります。特殊な結晶を通過させるとひとつのクォンタムが2つに分かれるのですが、この2つのペアとしての性質が私達の常識的な理解を超えた挙動をすることが、実験によって明らかになっています。普段クォンタムは色々な動きを合わせ持って特定できない運動をしていますが、観察者が見るとその時に運動が決まる性質を持っています。回転運動を例にすれば、普段は上向き回転と下向き回転を合わせ持って特定できないものが、見に行くと突然回転の方向が決まった姿を現すという性質です。そして2つに分かれたペアのクォンタムが持つ「量子もつれ」とは、ペアの片方を観測してその回転方向が決まると、もう一方のクォンタムが同時に逆向きに回転する姿を現すと言うものです。それだけなく、このペアのクォンタム間に起こる現象は、ペアの距離をいくら離して行っても同時起きることが実験的に確認されています。地上と人工衛星の間でも実験は行われました。この現象は同時反応で、物理学的にこれ以上早い速度はないと言われる光速に縛られないことになります。

 日々新しい研究が進んでいる分野ですが、私はこうしたクォンタムの性質をこれからの時代のパラダイムに結び付けていきたいと思っています。「量子もつれ」を拡大解釈すれば、「みんな繋がっている。宇宙中と同時に連携して動く仕組を私達自身が無限に内包している。」ということになります。LOHASな人達は、知らず知らずにそれを感じ取って生きているのではないでしょうか。

 今回も難しい話になってしまいましたが、これくらいにして次回に続けたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(7回目)

1.今世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀ってどんな世の中? 

【パラダイムシフト】(その1)

 22世紀に向った時代・世の中の転換には、パラダイムのシフトが重要な要素になると思います。パラダイムという言葉を最初に使ったのは、科学史家のトーマス・クーンで科学用語として「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの」としています。20世紀中頃のことですが、その後「パラダイム」は広く拡大して使われるようになり、ものごとを捉える時のその「捉え方・考え方の枠組み」「その時代の規範となるような思想や価値観」を示す言葉として使われるようになっています。

 そして広い意味でいうパラダイムについて、世の中でそれが変わっていくことを「パラダイムシフト」と呼びます。この大きな意味でのパラダイムシフトが今起こっている最中だと思うのですが、300~400年前にも大きなパラダイムシフトがありました。その時のシフト期間はかなり長いものだったと思います。

 400年くらい前までの世の中というのは、人々が生きていく上でのその生き方、考え方、物事の見方のベースが、神様の教えとか、仏様の教えとか、王様が絶対的な権力を持っている王国であればその王様の御達しといった規範にありました。キリスト教の世界であれば聖書、イスラム教の国であればコーラン、仏教国であれば仏教経典になります。普段の生活、子供達への教育の中にそうした教えが息づいていました。それより前の時代のアニミズムやシャーマニズム、汎神論なども含めて、こうしたパラダイムをここでは「絶対者の規範」と呼ぶことにします。

 それが400年くらい前から起きたいくつかの事象によって、時間を掛けて変わって行くことになります。その代表的な事象は、コペルニクスの地動説、ガリレオ・ガリレイの黒点観測と宗教裁判、ニュートンの古典力学、デカルトの哲学、ダーウィンの進化論などです。神や仏の教えではなく、今日私達が言うところの「科学的に証明できるものが正しい」という考え方ですね。敢えて逆の言い方をすれば「証明できない神など存在しない」という見方に繋がります。こうした見方、考え方が私達の生活、生き方のベースになっているのが現代の世の中で、そのパラダイムを私は「物資サイエンス」と呼んでいますが、実証主義(パトリオティズム)の方がニュアンス的に当たっているかも知れません。

 ダーウィンの「種の起源」は160年くらい前の話ですから、世の中全体が変わって行くのに300年くらいの時間が掛かった訳ですが、現代の私達のほとんどが「物質科学的に証明できるものが正しい」という考えをベースに持って生きて、日々生活しているように思います。

 教育が完全にそうしたものになっていることが、私達の科学信仰とも言うべきパラダイムをより強固なものにしています。教育ですから教える内容が学問になる訳ですが、その系統を人文科学、社会科学、自然科学に分類する方法が浸透しています。人文科学の中には、文学や美術・音楽なども含まれる場合が多く、学問である以上科学という冠を被せる必要があるということなのでしょうか。挙句の果てに、音楽や美術でも答えの決まったペーパーテストをして点数を付けたりしています。こうしたことの根底に「物質サイエンス」パラダイムとしての唯物的な思想が流れているような気がしてなりません。

 学校教育のみならず、社会教育、家庭教育もそうなっている場合が多いですから、実生活の中で私達のものを見る、判断する基準が何でもこのパラダイムになっている、そんな世の中であることが、私達が物質的な満足感を得ることを目的化することを助長していないでしょうか。なんでもかんでも数値化してその数値を増やすことに喜びを感じる、その最たるものがお金で数値としてのお金を増やすことに生涯を費やす・・ 資本主義の発展などという言葉で多くの人達はそんな風に方向付けられている・・ その根底に「物質サイエンス」パラダイムがあるのだと思います。

 そうした時代が行き詰って来ているのか、時代転換の兆しを感じている方が増えているというのは本論の「はじめに」で述べた通りです。それはパラダイムがシフトしているということでもあると思うのですが、ではこれからの時代のパラダイムをどのように捉えたらいいのか? 次回からそんな話に入って行きたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(6回目)

1.今世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀ってどんな世の中? 

【意識の変容】(その4)

 現代社会は優越意識に支配されていると思うのですが、この意識は優劣、良し悪し、善悪、高低、正誤などの基準軸を持って何でも比較し、基本的に自分を上位に位置づけようとする意識です。正誤で言えば自分が正しく、正義と悪で言えば自分が正義であるということを前提にする意識になります。最近「風の時代」という言葉が良く使われますが、これまでの時代を「地の時代」とすれば、その時代を象徴する意識といえるでしょう。昭和的と言ってもいいかも知れません。

 私は昭和の時代に育った人間ですが、ひとつ年上に昨年凶弾に倒れた元総理大臣の阿部晋三さんがいます。私が図7の資料を作ったのは2021年の秋で、この資料を使って「時代の転換と意識の変容」という動画をYouTubeに公開したのは昨年4月でした。この時安倍さんはまだ生きていらっしゃったのですが、「地の時代」「優越意識」の象徴として描いてしまいました。国会で118回嘘をついても、嘘をついている自分こそ正しいと疑わないような意識です。

 これ以上安倍さんの批判は控えますが、現代人の70%くらいはこの優越意識を主に使って生きているように思います。残りの30%のほとんどがその前の段階である集団帰属意識中心に生きていて、これからの時代の意識となるべき自立意識で生きている人は、まだまだ僅かのようです。資料ではその象徴をオードリー・タンさんにしました。35歳の若さで台湾のデジタル担当大臣に抜擢されたオードリー・タンさんは、ご自身がトランスジェンダーです。「自由への手紙」という本のカバーにある「誰かが決めた正しさにはもう合わせなくていい」という言葉は、自立意識の象徴と言ってよく、 正しいとか正しくないとかいう基準そのものが無意味であり、みんなそのままでいいということですね。そのままの自分はみんなそれぞれ違う訳ですが、その違いを認めて違うままでいいという意識です。

 優越意識がマジョリティの時代が現代まで続いてきているが故に、今も地球上では「正しい」と「正しい」のぶつかり合いが絶えません。優越意識同士の戦いの土俵が、地球上の人間社会を覆っていると言っていいでしょう。

 戦争に於いても、お互いに自分達が正しい、自分達が正義と主張して戦う訳ですが、これを自立意識で見れば、それぞれが違う主張をしているだけということになります。注意したいのは、世の中を評論する評論家、批評家、専門家と呼ばれるような人達も、そのほとんどが優越意識を持って自分が正しいという前提で批評していることです。

 自立意識の人は、「私は私、あなたはあなた。そこにあるのは違いです。」という視点でものを見るので、「正しい」という主張のぶつかり合いは起きません。自立意識の人達の集まりの中では、争い事は起きないんです。自立意識を使っている状態と優越意識を使っている状態では、脳の使い方が違っているように思えます。これはまた章を改めて考えたいテーマになりますが、優越意識の人が自立意識を持つために初めにすることは、物事を俯瞰してみる努力をすることだと思います。俯瞰して見える見え方も当然人それぞれ、様々ですが、先ず俯瞰して見る努力をする、ここから始めることが大切だと思います。

 図9のように、優越意識同士のぶつかり合いの土俵である世界を俯瞰して見るとどのように見えるのか。メディアなどに流れる情報だけを鵜呑みにしないで、「優越意識→自立意識」という今時代に求められる変容を進めるために、先ずそこから始められないでしょうか。

 【意識の変容】の話が長くなりましたが、次回からは22世紀型社会に向って必要になる変化として、【パラダイムシフト】について見て行きたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(5回目)

1.今世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀ってどんな世の中? 

【意識の変容】(その3)

 今の世の中に求められる意識変容について、今回は顕在意識、潜在意識、深層意識という一般的に捉えられている意識階層とは、少し違った角度から意識階層を見て行きたいと思います。

 アブラハム・マズローは人間性心理学の祖とされますが、「欲求階層説」が大変有名です。私は文系理理系で言えば理系の人間なのですが、会社員時代に入社5年目くらいからマーケティングを担当するようになりました。少しは勉強しようと読んだマーケティングに本によくこのマズローの欲求階層説が引用されていました。当時から既に趣味的(?)に精神世界とか神秘思想といった類の本もたくさん読んでいましたが、こうした本の中にもマズローの欲求階層説を引用しているものがありました。図5に欲求階層説を示します。

 生理的欲求、安全・安定の欲求、社会的(帰属の)欲求、自尊の欲求(承認欲求)、自己実現の欲求がピラミッドのように階層をなしていて、上に行くほど上位の欲求になるという説になります。人間がこの階層に分かれているというより、皆が持っているこれらの欲求のどこを主にフォーカスしているかで生き方が分かれると言った感じでしょうか。同様の欲求を選択理論として体系化した心理学者のウィリアム・グラッサーは、階層性を否定しています。

 私はこの欲求階層説に接した時に、これはそのまま意識の階層になるのではないかと思いました。それを言葉にしたのが図の左側になります。生存意識、種族維持意識、集団帰属意識、優越意識、自立意識の5階層になります。生存意識と集団帰属意識は、自らが生きるために努力する、自分の種族を維持するために努力する、という全ての生物の本質とも言うべき本能になります。その本能も深層領域の意識と捉えていいと思っています。3番目の集団帰属意識は群を形成する動物特有のものと思っていましたが、最近の研究では植物にもこうした連携があることが分かって来ています。集団に与する活動を支えている意識ですね。

 4番目の優越意識と5番目の自立意識が本論で扱う意識変容の本丸になります。人間の様な高等動物では、その社会の中で優位なポジションを築くという意識が上位意識として出てきます。それが優越意識で、色々な関係性を比較した上で優劣などの序列の軸を持つことが前提になります。その軸は、優劣であったり、高低であったり、良し悪しであったり、善悪であったりするのですが、とにかく比べっこをして序列を作り、自分がその中で上昇して行くという志向性を持つ意識になります。

 優越意識が比べっことして高い低いという位置づけをしたり、善悪、正義と悪などの二極で世の中、物事を捉えたりするのに対して、5番目の自立意識では比べることによって認識される違いに優劣や高低や良し悪しを付けることなく、違いを違いとしてそのまま認める意識になります。二極に分かれているものを二極としてそのまま受け止めます。

 優越意識も自立意識も誰もが持っているものだと思いますが、この二つの意識には脳などの使い方も含めて大きな違いがあり、どちらにフォーカスを当てて生きているのかで、人々の人間性に階層を生んでしまうような違いを感じます。そして現代社会は、優越意識→自立意識の変容が求められる時代に入っていると思うのですが、次回は優越意識に支配されていると思われる今の時代を、もう少し掘り下げて見てみたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(4回目)

1.今世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀ってどんな世の中? (その3)

 意識の前提になる認識について述べてきましたが、意識の階層とこの認識との関係を関連する項目も含めて少し見ていきたいと思います。図4は、意識の階層と認識など関連する項目を整理した表になります。分類する意味で境界線を線引きして表にしていますが、明確に分けられるものではないことをお断りしておきます。

 ここでは意識の階層を、顕在意識、潜在意識、深層意識・集合無意識・超意識、普遍意識・純粋意識の4つの階層に分けています。それぞれの意識を細かく定義するのは難しいですが、最後の普遍意識・純粋意識は、人間としての個を超えたトランスパーソナルな領域の意識として位置付けています。集合無意識や超意識についても個を超えている面を持っていると思います。

 先ず、分かり易くするために目に見える部位から割り切って見れば、大脳新皮質が顕在意識の主な活動野になります。ここでは、脳の神経細胞間を神経伝達物質によって電荷などが伝えられることで、情報が伝わって行きます。そうした反応が複雑に形成されることで、認識が形成されるのだと思います。私達は限られた範囲の波長の光子(フォトン)の波動(電磁波)を視覚で捉えますが、顕在意識は基本的に物質(分子・原子)反応の世界の意識になります。この意識の活動として、知性、理性、思考、判断などが上げられます。私達がコントロールしながら行っている活動という面が強いです。

 チンパンジーやゴリラなどの高等な類人猿、イルカやクジラなどの高等な海洋哺乳類は、自覚する顕在意識をあるレベル持っているように思いますが証明はできません。私達人類の顕在意識が発達したことは、大脳新皮質にある言語野の発達と関係が深いように思えます。私達の言語コミュニケーション能力が著しく発達したことが、同時に自覚するという行為を言語表現できることになったことに深く関係しているのだと思います。

 顕在意識の大脳新皮質に対して、潜在意識の主な活動野は少し古い哺乳類の脳と言われる大脳辺縁系で、勿論単純に区分けできるのもではないでしょうから、大脳新皮質や脳幹も関わっているでしょう。認識やコミュニケーション媒体としては、顕在意識と同様に分子・原子も勿論あるでしょうが、ここでは後章で詳しく述べる「量子のもつれ(クォンタム・エンタングルメント)」のような現象が、潜在意識の活動のベースにあるように思えてなりません。現代科学では、まだまだ証明しようのないことです。よって、認識にしてもコミュニケーションにしても潜在意識の活動を支える媒体は量子・素粒子(クォンタム)が含まれます。正当な脳科学の立場からは異論があるかも知れませんが、まだ物理学の世界でも新しい事実がどんどん見つかってくる段階の量子もつれのような現象について、この領域で持つ役割が少しずつでも分かってくるのはまだまだこれからでしょう。よってここで述べている内容は直観によるものです。潜在意識は感情や感性、そしてこの直観にも結び付いていると思います。潜在意識には生まれてからの全ての記憶も残っているように思えます。

 更に深層意識の領域になると、より古い爬虫類の脳と言われる脳幹や身体全体が活動野になると思うのですが、私達が普段意識することなく動いている全ての身体活動、不随意機能などを支えているものと思われます。そして、この深層領域は、自分の外にある色々なものや生物たちとも量子のもつれ現象で連携して活動していることが、今後少しずつ分かってくるような気がしています。私達人間は、日常生活が極端に顕在意識の活動に偏っているのですが、他の生物達は当たり前のこととして潜在・深層領域の繋がりを使って生きているのではないでしょうか。

 現代社会に於いて私達は、その社会的活動のほとんどを顕在意識、大脳新皮質に頼った形で日々生活しているように思えます。そこには社会の体制に加え、乳幼児期から始まる教育全般も影響しているように思えます。そうしたことが、現代社会をひとつの時代の末期症状に導いているように思えてなりません。もっと潜在領域、深層領域まで脳全体を統合したような生き方が求められる時代に変わって行く必要があるでしょう。

  トランスパーソナルな普遍意識・純粋意識については、また章を替えて取り上げられればと思います。今回もまたややこしくなってしまいましたがこの辺にして、次回は別の見方で意識階層を捉えてみたいと思います。