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『原子や分子よりもミクロなクォンタムを基本に生きる』(その3)

先週我が家に2匹いた愛犬の内の1匹「ゆず」(ミニチュアダックス)が、急に亡くなりました。心筋梗塞でした。保護犬のため正確ではないのですが14歳くらい、丁度小型犬の平均寿命を生きたことになります。もう1匹も保護犬でテリアミックスの「大ちゃん」ですが、7年前に2匹一緒に我が家にやってきました。名前の由来はフィギュアスケート好きのファミリー故、羽生結弦選手と高橋大輔選手から頂戴したものです。

亡くなった日にチャネリングしたところ降りてきたメッセージは、「僕はちょっと先に行くけど大丈夫だよ。一緒に暮らせてすごく良かった。幸せだった。ありがとう。」、そしてその次の日に降りてきたメッセージが「昨日すごく良かったって言ったのは、お互いに色々浄化できたっていうことだよ。」でした。

みなさん、こんなチャネリングメッセージを信じますか。クォンタムの領域ではクォンタムを媒体にしたクォンタム・コミュニケーションが成立します。情報はクォンタムの波動の干渉パターンとして、色々な形で残り、色々な形で伝わります。それをクォンタム・コミュニケーションと勝手に呼んでいます。

こんなメッセージが降りることを、信じるか信じないかは一人ひとりの自由です。でも、そんなことありえないと言って否定しまうよりは、素直に受け入れる方が心が安らぐ場合が多いと思います。多分昔の人達は、死んだ人や動物たちからメッセージをもらうことを、当たり前にやっていたのではないでしょうか。そんなことありえないと否定し始めたのは、科学の時代になってから。長く見ても300年前くらいからでしょう。ホモサピエンスの歴史にすれば30万年当たり前にやってきたことを否定してやらなくなってしまったのは、せいぜいここ300年くらいだと思います。

さて、「ゆず」からのメッセージにあった「お互いに浄化できた。」とはどういうことでしょうか。私たちには、これまで生きてきた中で体験してきた様々なことが情報として、記憶にあるなし関わらずクォンタムのミクロな波動の干渉パターンとして残っています。それは今回の人生だけでなく、何回も生まれ変わってきた過去生も含めてです。それをインド思想や仏教ではカルマと呼んだりしますが、いいこととか悪いこととかに関係なくすべてです。

「ゆず」には、薬をバナナの中に入れて与えるとき、勢い余ってよく指まで噛まれました。どうしても腹を立ててしまうことがありました。トイレットトレーニングができていなかったのでペットシートから外しまくり、1日何回掃除したか。散歩嫌いで固まって動かなくなるので、行きは抱っこして行き、帰りはしかたなくノロノロ歩く「ゆず」にペースを合わせる日々。「ゆず」はそんなこんなをどう思っていたのだろう。食べたいときに食べたいたけ食べさせてもらえない。寝ていたいのに起こされて歩かされる。遊んでほしいときにはかまってくれない。

こうしたちょっとした何気ない日々の出来事によって波動の干渉パターンが書き換わり、次に進んでいく形になることがあるのでしょう。それを「ゆず」は「お互いに浄化できた」と呼んだのではないかと思います。

車からダンボールに入れた「ゆず」の遺体を運ぶとき、散歩のときの「ゆず」の重みを思い出して涙があふれてきました。悲しみの涙を流したのは何十年振りだったろう。これも浄化なのだろう。一緒に暮らすことで、知らず知らずの内に深いところで浄化が進んでいたのでしょう。ありがとう!

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