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『自分を内省して出てきたものを、素直に表現する』

2020年がいよいよ終わります。なんといってもコロナ感染パンデミックにより、大変な一年になりました。でも自分自信について言えば、ここ数年精神面というか、思想的といか、スピリチュアル的というか、そういう活動が停滞していたところに、再度灯がともった感じの年になりました。コロナで外出を控えていた時期に、思うところを情報発信するようにとのメッセージが何回も降りて、「コロナ後の世界」をFacebookに連載したりしたものです。

その延長線上で、これからの「風の時代」に向かってホームページ上でこの『これから塾』を始めた次第です。2020年はそんな年になりました。

さて「これからの時代の生き方-10訓-」、今回は5番目の『自分を内省して出てきたものを、素直に表現する』です。これは、旅するスピリチュアリストあまね理樺さんが動画で語られていた言葉を参考にしました。「あるがままの生き方」として引き出された言葉だったと思います。

腑に落ちて取り上げさせていただいたのですが、前半の「自分を内省して出てきたもの」については、「気づく」「気が付く」でも述べてきたように、自分の内側にこそ大切なものがあり、それを見つめることが大切だということです。

それを「素直に表現する」とはどういうことでしょうしょうか。やはり私たちは周囲のこと、周りの人達のことなどを気にして、自分の行動を制限してしまったり、変えてしまったりします。自分の場合はこればっかりやっているタイプの人間ですが、これからの時代は自分軸で生きる時代、内側から浮かび上がってきたものを素直に行動に移していくことが大切だと思います。

自分の中には、色々な自分、色々な顔があると思います。それはレイヤーをなしていて、焦点の合わせ方によって自分が違って見えたりするものです。でも、どれも確かに自分なんですね。だからその時その時に焦点のあったことに、あんまり考え過ぎないで、素直に寄り添っていくことが必要なんだと思います。周囲を気にするよりは、気が付けばその方が周囲との歯車が上手く回っていることが多いと思います。

自分の内側を内省して出てきたものを素直に表現してみましょう。そうすると表現した先の外側と、内側の境目が薄まってくるでしょう。

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『気が付いたときに、その気が付いたことをする』

さて、もうじきグレートコンジャンクションですが、米大統領選もコロナ感染拡大もまだ大きな事象がありそうですね。一喜一憂しないで、時代の変化の大きな流れの中の出来事として冷静に受け止め、坦々とやるべきことをやって行きたいものです。

「これから塾」今回は10訓4番目の『気が付いたときに、その気が付いたことをする』についてです。前回の「気づく」と「気が付く」を比べると、今回の「気が付く」の方が日常的な反応だと思います。そして、「気が付いたときに、その気が付いたことをする」とは、気が付いたことを即やってしまう、ということに他なりません。

もう少し具体的に言うと、例えば部屋の掃除をしている時に、ふと「卵と牛乳を買っとかなきゃ」と思ったら、掃除を中断して卵と牛乳を買いにいった方がいいということです。デスクで資料作りをしている時に配偶者への言付けに気がついたら、ちょっと仕事を止めてLineを送ってしまうとか・・ 食事中に10年前の写真が頭をよぎったら、その写真を引っ張り出して見てみるとか・・

なんでもその時直ぐできることばかりではありませんが、できそうなことならその時片付けてしまった方がいいということです。自分のような高齢者の場合、何かをしていた時にそれを中断して「気が付いたこと」をすると、もともとやっていたことの方を忘れてしまって、ほったらかしになるという弊害もあるんですが! 「気が付いたこと」にはやっぱりその時にする意味がある場合が多いと思うんです。それが人生全体の流れになっていく。逆にその時にしないと失っているものがある場合があると思います。

ホオポノポノのKR女史が、子供たちが庭に持ち出したマグカップが、「早く私を片付けて!」と訴えていたのを、「直ぐに戻って片付けるわ。」と言って、その時していた洗濯などの用事を済ませてから庭に行ってみるとマグカップが割れていた、というエピソードを本に書いていました。失われたのは物だけではないということですね。

「気が付いたときに、その気が付いたことをする」、それが習慣化して生活の流れになってくると、人生の流れに淀みの時期が減ってくると思います。いつも自然に坦々と生きられるようになってきます。自分という存在を、皮膚で囲まれた肉体の中だけでなく、もっと大きな意識存在として捉えた広がりの中で、必要なことを坦々とするという感覚に繋がって、人生の流れ、リズムがシンプルに整ってくると思います。少々日常を乱される出来事が起きても、意識、心はそんなに乱れないで起きることの流れを俯瞰するようにしていられる、そんなふうに変わってくると思います。

さて、少し眠くなったのでそろそろ寝る準備をしましょうか。

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『既存の知識に捕らわれず、内側から湧いてくる気づきを優先する』

さて、「これから塾」今回は10訓3番目の『既存の知識に捕らわれず、内側から湧いてくる気づきを優先する』です。

初めに「知識」についてですが、知識とは主に外部の情報を学習してそれが記憶に定着したしたものです。この知識を得る活動を、私たちは脳の中で人間の脳と言われる大脳新皮質で行っています。意識としては、通常私たちが何か思ったり考えたりする顕在意識の領域になります。知識とは、枠組みを見直すなどある程度自分で意識して扱わない限り、絶えず変動する宇宙の中にあって、固定された情報になります。

これに対して「気づき」は、私たちの内側から浮かび上がってくるものです。内側とは潜在意識や深層意識の領域で、係る脳の部位としては、ざっくりと捉えるなら、潜在意識が哺乳類の脳と言われる大脳辺縁系、深層意識が爬虫類の脳と言われる脳幹になります。意識領域の大きさの比較としては、顕在意識が5~10%くらいで、潜在意識・深層意識が90~95%くらいとよく言われますが、情報の処理能力としては、潜在意識が顕在意識の100万倍くらいのスピードで絶えず情報を処理していると言われます。そこにはその情報処理スピードに見合った膨大な潜在記憶・深層記憶が存在していると言えます。また深層意識は集合無意識の領域に繋がっていますから、内側と外側の境目がなくなります。

「気づき」とは、そうした領域から浮かび上がってくる必要な情報を、顕在意識が捉える行為です。「気づき」とは、浮かび上がってくる必要な情報に理屈抜きに反応するという仕組みである点が重要だと思います。

そして、これからは人により形は様々だと思いますが、顕在意識と潜在意識・深層意識の統合が進む時代になると思います。固定された知識体系に縛られた生き方から、絶えず変動するけた違いに膨大な情報の中から浮かび上がってくる自分に取って必要なものをベースにした生き方に、自然に変わって行くのだろうと思います。

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-これから塾 番外編- 『コロナ後の世界』

大きな変動の年となった2020年も残すところひと月になりました。なんといっても今年は新型コロナウイルス(Covid19)による感染症がパンデミックとなり、今また世界で感染拡大が始まっています。

そんな中4月2日から9月5日までの間に、9回に渡って『コロナ後の世界』というコラムをフェイスブックに書き、私見を述べました。以下にそれぞれの回ごとにリンクをはりましたので、興味のある方はご一読いただければ幸いです。

『これから塾』番外編です。

コロナ後の世界 [1](2020.4.20)

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(リーマンショック後の2009年に、金融崩壊についてまとめた大変長い文章です。興味のある方のみお読みいただければと思います。)

コロナ後の世界 [2](2020.5.2)

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(アフターコロナを論じる視点について整理しました。)

コロナ後の世界 [3](2020.5.5)

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(自立意識への変容についてまとめました。)

コロナ後の世界 [4](2020/5/12)

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(環境問題の視点で書きました。)

コロナ後の世界[5](2020.5.27)

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(国という境界線のあり方についてまとめました。)

コロナ後の世界[6](2020.6.16)

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(陰謀論についてフィクションを書きました。)

コロナ後の世界[7](2020.7.23)

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(軽井沢病院総合診療科医長 稲葉敏郎先生の『いのちの全体性を取り戻す』というコラムを転載させていただきました。)

コロナ後の世界[8](2020.7.31)

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(フィールド、エネルギー、パラダイム・シフトなどについて書いています。)

コロナ後の世界[9](2020.9.5)

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(組織論として「ティール組織」を紹介しています。)

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『焦らずゆったりマイペースで生きる』

前回「これからの時代の生き方-10訓-」の1番目『起こることはすべて自分にとって必要なことと思って生きる』について述べさせていただきましたが、この「起こることは自分にとって必要なこと」という点については、カルマ論等の視点でもう少し別の機会に補足したいところです。

今回は10訓2番目の『焦らずゆったりマイペースで生きる』を取り上げさせていただきます。

ゆったり、マイペースというのは時間軸の話になります。そうすると、改めて時間ってなんなのか考える必要があります。時間ってなんなのでしょうか?

私たち地球人類は、1日を日の出から次の日の出までとするとか、1年を季節の一巡にするとかから時間を計り、それを更に地球の自転とか公転とかの天体運行にすることで、より正確な共通の時間軸を作ってきました。今ではセシウム133原子の遷移に対応する放射周期から1秒を定義していますが、今後更に誤差の少ない光格子時計への変更が予定されているようです。こうして私たちは時間軸を定義していますが、時間というものそのものがあるのかと問えば、絶対的なものとしての時間は存在しない、ということになります。アインシュタインは、時間を事象と事象の間に相対的に求められるものとしています。時間というものを定義することはできますが、時間というものそのものが絶対的な存在として存在はしていない、ということです。それも私たちに考えられるのは私たちが住んでいる3次元空間に時間軸を加えた4次元時空帯の中の話で、5次元以上の余剰次元では、時間のとらえ方は全く別物になるでしょう。時間って、みんなにいつでも共通に流れて行くものとして存在している訳じゃないんですね。

時間に関する話が長くなってしまいました。共通の尺度としての時間軸を持つことは私たちの日常生活において便利ですが、時間の感じ方は人によって異なりますし、同じ人でもその時の状況によって時間の感じ方は大きく異なるものです。そして、これからの時代ではゆったりマイペースで生きることを勧める理由は、これからは、共通時間を割り当てられた中で、一緒に勉強を始めたり、一斉に仕事に行ったりという時代ではなくなって行くからです。

周りに行動を合わせる時には、多かれ少なかれストレスを感じる人が多いでしょう。デスク仕事が思いの外早く片付いた時、余った時間は寝ちゃってたって、好きなジャンルのネットサーフィンしてたっていい訳だけど、周りを気にして仕事をしているふりをしているなんてことはありませんか。でも在宅勤務なら、オンラインミーティングでもない限り、時間の使い方はかなり自由ですよね。家で仕事をしていると仕事以外のことでストレスを感じることはあるかも知れませんが、仕事のストレスが減りませんか。

私たちはみんなクォンタムの集合体ですが、集合の仕方はそれぞれ異なります。それによって一人ひとりが持つリズムや振動もそれぞれです。自分に合わないリズムで活動していると疲れるものですが、周りを気にしないで自分時間を生きることに慣れてくると、肩こりや頭の重さなども取れて、体調がよくなると思います。また、いい気づきやひらめきも増えてきます。ゆったりマイペースで生きるとは、自分軸の時間で生きることです。過去や未来に捕らわれることなく、今この瞬間をマイペースで進むことを続けていくことです。そうすると、不思議なことに必要な周囲との連携もそれまでより上手く行っていることに気づきます。それはいいリズム同士のシンクロが起きるからでしょう。

自分は日ごろ人のことを気にして焦って行動することが多いので、この言葉は自分への戒めのようなものです。何事も焦らずゆったりマイペースで行きましょう。時間に関連して過去や未来いついては、10訓6番目の『将来のこと、過去のこと、他の人にとらわれない』のところで色々述べられればと思います。

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『起こることはすべて自分にとって必要なこと』

コロナ第3波と呼んでいいのか、また感染が広がっています。菅総理大臣が「コロナとの戦いに勝つ」みたいな言い方をしていましたが、もっとコロナを自然に受け止めないと、終息はなかなか見えてこない気がします。人為的な対抗をすればするほどそれを超える事態が続くのではないでしょうか。

さて、「これからの時代の生き方-10訓-」について、ひとつひとつ自分がどうしてそれを取り上げたのかを述べていきたいと思います。

1番目の『起こることはすべて自分にとって必要なことと思って生きる』ですが、その大前提として、自分は魂の生まれ変わりを当たり前の存在法則としています。生まれ変わりについての説明をここではいたしませんが、死生学研究で学位をお持ちの加藤直哉先生の著書『人は死んだらどうなるのか』(三和書房)を推薦図書として上げさせていただきます。(加藤先生は、西洋医学、東洋医学、心理学、催眠療法、補完代替医療をホリスティックに取り入れた「こもれびの診療所」の院長先生ですが、幸福の研究家、恋愛研究家、和食研究家など多彩な顔をお持ちで、自分とはメンター繋がりで交流させていただいております。)

魂の生まれ変わりを前提にするとその目的を問いたくなりますが、やはり魂は自らの成長のために生まれ変わるのだと思います。この世(現象界)に生れ落ちる時、魂はその軌跡の記憶を次なる成長の学習のために消されると言われます。一度無垢の状態に戻って生まれてくる訳です。それはこの世の物質的な法則の中で魂が成長を目指すことに必要なひとつのステップと言えますが、同時に自分が無垢の状態から今生の成長に必用な学習ができる環境をプログラムして生まれてきます。だから、「起きることはすべて自分にとって(魂の成長のために)必要なこと」な訳です。

実際には魂の軌跡を完全に忘れた状態でこの世で過ごすときに起きる出来事は、自分の思いとは独立したことと思える場合がほとんどです。私たちは、日々自分を取り巻く世界で起きる出来事を、自分と無関係の自分の以外の人やものによって起こされたことだったり、自分が少しだけ自分以外の人やものに係って起きたことだったり、と捉えてしまいます。でも、本当は自分が見るもの、聞くもの、感じるものすべて自分がプログラムしているものと思っていい訳ですが、その原理とか法則は、またの機会にしてここでは触れないことにします。

それでは何故『起こることはすべて自分にとって必要なことと思って生きる』ことが必要なのでしょうか。そのひとつのメリットですが、実際に起きることを必要なことと捉えるだけで、感情や心の乱れが、かなりコントロールできるようになります。怒りの感情にこれを使うとそのままアンガーマネジメントになります。

自分自身の例ですが、車のハンドルを握ると、結構自分の思い通りに運転してくれない周囲の車に腹を立てる方です。制限時速以下でノロノロ走る車が前にいたりすると、今ならあおり運転に分類されるかも知れないくらい、ぴったりくっついてプレッシャーを掛けたりしてきました。

でも、ここで「これは自分にとって必要なこと」と思えると、「ハイハイ、まっ いいか」と思えるようになります。

電車の中で隣にドスンと座った客がいきなり組んだ足をこっちに投げ出してきたりすると、「このやろ、はり倒したろか!」なんてよく思いますが、この時「これは自分にとって必要なこと」と思えると、「あんた、いい演技してくれてありがとう!」に変わります。

仕事キャンセルの3連発なんて時も、「ちょっとゆとりが必要なのかもしれない」と自分を顧みる余裕が生まれたりします。

これからの時代は、ひとことで言えば「自分軸で生きる時代」です。『起こることはすべて自分にとって必要なことと思って生きる』ことができると、気が付くと日々のブレ幅がぐっと減って、安定した毎日を送れるようになっているものです。

コロナパンデミックも、これからの時代を思うと、自分には必要なことに思えます。

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これから塾を始めます

今時代が大きく変わろうとしています。そう感じている人も多いと思います。

変わって行くこれからの時代はどんな時代になっていくのか。これから始まる時代をどのように生きていったらいいのか。そんなことを一緒に考えていけないかと思い、『これから塾』を開塾します。来るものは拒まず、去る者は後を追わず、誰でも参加できる塾にしようと思います。当面は、このホームページに投稿していきますが、テーマを決めたZOOMお話会なども始められればと思います。

第1回目投稿になりますが、時代がどのように変わって行くのかはゆっくり論じていくとして、先ず自分なりに思うこれからの時代の生き方を10訓にしてみました。

《これからの時代の生き方 -10訓-》

  1) 起こることすべて自分にとって必要なことと思って生きる

  2) 焦らずゆったりマイペースで生きる

  3) 既存の知識に捕らわれず、内側から湧いてくる気づきを優先する

  4) 気が付いたときに、その気が付いたことをする

  5) 自分を内省して出てきたものを、素直に表現する

  6) 将来のこと、過去のこと、他の人にとらわれない

  7) 自然や周囲の環境を観察し、メッセージを受け取る

  8) 何かをしているときは、そのしていることになりきる

  9) 原子や分子よりもミクロなクォンタムを基本に生きる

10) クォンタム・エネルギーが喜ぶように生きる

努力目標のような10訓ですが、どうしてこのような10項目が出てきたのかを、次回以降で述べていけたらと思います。ご意見、ご質問などありましたら、コメントいただけると嬉しいです。

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これから塾とは

 今、時代が大きく変わろうとしている変動期にあって、そのことに気づいている人達で、これからの時代のあり方を共に考え、学習していく集まりです。これからの時代を明るく元気に生きていくことを一緒に考えていきます。

 私、QEハーモニー代表の塚田晃が、

  ・ホームページへのコラム配信

  ・ZOOMお話会

  ・集合ワークショップ

  ・リトリート・ツアー

などを主催します。

 特に誰かがリーダーというとではなく、来るもは拒まず、去る者は後を追わず、皆で共に作っていく場にします。

 そうした活動の中で、形が変遷していくことを是とします。