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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(38回目)

3.22世紀型社会への道

3) 今やるべきこと

【私のふりかえり】(その4)

 前回911(セプテンバーイレブン)後のブッシュ発言に強い違和感を覚えたと書きましたが、世界中で報復戦争など起こしたら憎しみの連鎖が深まるばかりと思ったからです。そして色々関連した本を読んだとことから、911が仕組まれたものとしか思えないようになりました。そうした点に本論では触れませんが、関連本を読み進める内に、例えば中丸薫さんの国際金融資本、闇の世界権力関連の本などもかなり読むようになりました。そして、そうした色々な読書を通して、いい世の中に向かうために、「これは間違っている!」「そっちが間違っている!」式の「こちらが正しい!」論を振りかざしていても同じような歴史を繰り返すだけ、という思いが強くなりました。【意識の変容】(その3)の項で述べた、20代後半にマズローの欲求階層説から発想した意識の階層で、「優越意識」から「自立意識」への変容が必要という私のものの見方の根幹をリマインドされた感じです。長いこと広い意味で海外駐在員の仕事中心に人生を送る期間が続きましたが、自分の人生の本質を見直すきっかけになったのが911であったような気がします。

 2004年の初めにタイ駐在を終えて日本に戻ることになり、本社事業部の要職に就きましたが、改めて自分が共感できる分野の本などをたくさん読む日々の中で、天外伺朗さんの「マネジメント革命」に感動し、同書で評価されていた「長老型マネジメント」を自分の組織マネジメントに適用しようと思いました。結果的には「長老型マネジメント」が単なる「放任主義」になっていたと思うのですが、部下達は動きやすかったのではないかと思います。しかし、当時比較的頻繁にあった幹部プレゼンの場で社長から「やる気が全然感じられない!」という叱責を受けることになりました。結果的にその半年後に降格され間接部門に異動になったのですが、異動後3年ほどして部門の人事を担当する立場になりました。入社以来ずっと広く「ものづくり」の仕事に携わってきましたが、初めて人の育成「ひとづくり」の仕事を担当することになりました。それが自分自身の本質的な部分に響いたのかその仕事にかなりのめり込みました。職場にメンター制度を導入するために私費でMGS(現MGSアカデミー)という大学院大学に通い、チーフエグゼクティブメンターという資格を取得し、更に初代MGS学長であられたハワイ大学名誉教授吉川宗男先生の指導の元で、修士号を取得する流れになりました。60歳で修士論文を書き、Intercultural Open University FoundationにてMaster of Arts in Mentoring Studies が認定されたのが61歳になった時でした。

 ほぼその同時期に37年間務めた花王株式会社を退職し、業界団体の一般社団法人 日本衛生材料工業連合会の事務所に役員として勤務することになりました。役員とは言っても実際は総務・事務全般を担当する中間管理職で、少人数の事務員には任せられない数々の膨大な業務を自らこなす激務でした。そして3年目に大変ストレスの溜まるプロジェクトを複数並行して進める状況の中で、胃に線種細胞が見つかりました。分かり易く言えば良性のがんです。なんで63歳にもなってこんなストレス漬けの生活をして、がんまで発症しないとならないのかを自問自答し、任期を2年残して退職することを決意しました。

 一方がんについては内視鏡手術を受ける手配を進めたのですが、同時に自分で治そうと思いがんを治す瞑想を毎朝続けました。2ヶ月後に手術準備のための再検査を受けたところ、内視鏡検査でがん細胞は見つかりませんでした。主治医に治ることがあるのか確認したところ、「それはありません。初めの人間ドックの検査が誤りだったのでしょう。」との回答でした。内心「自分で治したんだよ!」とほくそ笑みました。

 そして、64歳を迎えるところで40年ちょっと続けて来た真面目な勤め人生活に終止符を打ちましたが、止めてから暫くは妻に代わって専業主婦をしながら、整体治療院を開業する準備をしていました。その10年ほど前に簡単な代替医療の資格を取得していたのですが、改めて技術を磨くセミナーに通ったり、個人事業主の届け出をしたりしていました。これが2019年のことでしたが、そうこうしている内に2020年になりコロナパンデミックが襲ってきました。改めて自分の精神世界好き、スピリチュアルな一面に灯がともったのか、自分視点の「コロナ後の世界」というコラムをフェイスブックに連載し始めました。自宅待機期間中はユーチューブを見る時間が長くなり、その中でライトランゲージチャネラーのあまね理樺さんの動画に魅かれ、ZOOMでセッションを受けたり講座などに参加したりするようになりました。

 折しも「風の時代」への転換が叫ばれる中、残りの人生を自分が思うこれからの時代に焦点を合わせて生きて行こうと決め、現在は軽井沢にて「@コミュ」を主催し、ZOOMにて講座や個人セッションを行っています。20歳の時の至高体験以来、自分の二極性のどちらかと言うと隠れた一面であったスピリチュアルな面を全面に出して、残りの人生を生きて行こうと決意したのが2020年12月でした。

 【私のふりかえり】はこれくらいにして、次回からは【意識変容を進めるために】として、意識変容のための方法論を少し進めてみたいと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

https://note.com/qeharmony_627/n/n1c014e6dbe0c

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(37回目)

3.22世紀型社会への道

3) 今やるべきこと

【私のふりかえり】(その3)

 大学は東京農工大学農学部農芸化学科を卒業しています。就職に際して営業系の職種に就くという発想が全くありませんでした。入社した花王株式会社では、工場の技術職に始まって研究所で新製品の開発研究を担当した後、本社の事業部に移って事業としての新製品の開発業務に携わりました。小学校の卒業文集に、「大人に成ったら新しい製品を作って世の中に貢献したい。」みたいなことを書いていたので、希望が叶ったとも言えます。事業部での新製品開発業務は広い意味でマーケティングの一端であったため、技術職と営業職に跨った職人仕事のようなイメージでした。発売スケジュールに追われ、色々な部署や関連業者と交渉しながら仕事を進める商品開発の仕事は、当初大変辛くストレスの溜まる仕事でしたが、慣れて来ると世の中に自分がクリエイトした商品が出て行くというやりがいも実感できました。

 私は子供の頃から文字を読むのが遅く苦手で、本をほとんど読まない学生時代を過ごしたのですが、社会人になって通勤電車の中での読書が習慣になりました。電車に乗れば条件反射のように本を読む毎日だったので、スピードが遅いとは言えかなりの数の本を読むことになりました。その大半が精神世界、宗教、神秘思想、心理学といったジャンルで、会社の帰りに本屋さんに寄ってそういう本のコーナーに行くのも日課のようでした。

 責任感が強く真面目に仕事に取り組む一方で、自分自身の精神・意識・魂を高めて行くことを人生のテーマと捉える一面が強くあり、そのために普通に社会人として生活しながら行う在家修行のような方法論を求めていました。当時そうした方法論が書かれた本が少ない中で、26歳の時に独学で始めた密教の座行が思い通りに進まなかったことから、27歳の時にクンダリニーヨガの瞑想教室に週末に通い始めました。学術的に超能力の研究などもされていた本山博先生が開いていた教室で、そこで瞑想を指導されていた女性の先生とインパクトのある出会いがあり、内弟子となって5年半通いました。瞑想だけでなく、滝行や山岳修験道などの世界を体験する日々で、平日は会社員、週末は修行者、ヨガ教室のアシスタントインストラクターのような生活でした。当時色々普通の人ができない体験をしましたが、会社の仕事の責任が重くなり忙しさが増す中で、ヨガ教室の方も仕事が増えて行き、首が回らないような生活になって行きました。

 

 そんな折、会社からマレーシア駐在業務への異動の打診があり、二つ返事で受けてしまいました。ガンジガラメの2足の草鞋の生活から抜け出したいという思いが強かったように思います。

 海外は別世界という印象が強く、この駐在のために32歳にして初めてパスポートを作った私でしたが、駐在したマレーシアは別天地でした。「日本がそのモデルになる?」の項で少し述べたようにマレーシアはマレー人、中華人、インド人からなる複合民族国家で、英国統治下であって今でもコモンウエルス・オブ・ネイションズであることから母国語であるマレー語の他に英語が普通に使われる国です。異民族に寛容で、何処に行っても違和感なく日本人の私を受け入れてくれました。駐在(現地会社出向)業務は、MK部長としての現地会社の仕事に加え、日本から来るおびただしい数の出張者対応という仕事があり、観光代理店のような仕事も日常業務でした。公私の境目のない生活で、休みなく四六時中仕事の体制を取っている状況でした。とてつもなく忙しい毎日でしたが、日本にいた時に比べれば裁量権がかなりあり、楽しく明るい期間でした。

 6年間のマレーシア駐在を終え2年間日本に戻りましたが、この間に結婚し、同時にインドネシア駐在となり6年、そこから継続してタイに1年半駐在を続けることになりました。この間、私のもうひとつの面である精神世界の探求は、朝の短いお祈りと瞑想を形式的に続けているレベルになりました。

 改めてまた精神世界に関心が向き始めたのは2001年のことです。この時はジャカルタに駐在していましたが、ケーブルテレビでCNNの国際放送を見ることができました。9月11日仕事を終えて帰った家のテレビで、ニューヨークのワールドトレードセンターに2機目の旅客機が突っ込むシーンをライブで目の当たりにしました。そして、その後当時のブッシュ大統領が「我々は全世界で対テロリズムの報復戦争を開始する。」と宣言したことに強い違和感を覚え、それをきっかけに俗に陰謀論とか闇の世界権力、国際金融資本とか言われる類の本をたくさん読むようになりました。そうした世界の延長にスピリチュアルに通ずるものがあり、少しずつ自分のスピリチュアリティ探索が再開して行きました。

 それについては次回続けさせていただきます。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(36回目)

3.22世紀型社会への道

3) 今やるべきこと

【私のふりかえり】(その2)

 子供の頃、そして学生時代の自分の内面を少しふりかえってみたいと思います。

 前回書きましたように小学校に上がる前までの私は、独特な内面世界を持っていて、ひとりその世界に籠るところがあったと記憶しています。それが、小学校に上がってから高校くらいまでの間は、内面世界という意味で特筆する記憶があまり出て来ません。他の子供達、友人達と比べて特に大きな違いのない普通の子供時代を過ごした記憶です。ただ小学校時代の授業中、突然 「どうして自分はここにいて、こんな教室の中でこんな先生のこんな授業を受けているんだろう。大きな宇宙の中で不思議だ。」みたいな思い駆られることがありました。そして、小学校の時に「世界の7不思議」みたいな話に関心を持ったり、中学の時に般若心経を300万回唱えると超能力が得られるという話に惹かれたり、高校の時にユリ・ゲラーブームを面白がったり、ふりかえれば超能力や超常現象に関心が強かったのかも知れません。

 高校2年の時の倫理社会の授業では、古代思想の中の老荘思想に惹かれました。そして、エコロジー・生態系的な考え方に共感しながら、チャラチャラした学生生活、学生の分際でゴルフなんかして粋がっていた自分に自己矛盾を感じていました。そんな自分の大きな転機になる体験が起きたのが、大学1年の冬でした。

 一般教養の生物の授業で選択したのが「自然とは何か?」をテーマにした講座だったのですが、その講義の中で、エンゲルスが「自然の弁証法」の中で説いている「自然とはあらゆる物質の運動形態である」という定義に遭遇しました。この言葉が妙に自分に深く突き刺さり、自然とは何かについて3ヶ月ほど堂々巡りの思考を廻らすことになりました。人間が作り出す人工物や文化・文明に対比する形で自然というものを何となく受け止めていた私でしたが、気が付けば「自然とはあらゆる物質の運動形態である」という自然について頭か支配されている状態が続きました。

 そんなある晩、自分の部屋で考えを巡らせていた時に突然その状態が起こりました。宇宙の隅々までが澄み切って見渡せるような感覚になったのです。その時に思い浮かべていたことは、頭でっかちになるという定向進化を続ける人類は、何れ滅びるのが必然だということでした。そうだ、人類が滅びるは必然なんだと思った瞬間、宇宙の全てが受け入れられたのだと思います。それまでは、漠然と人類は滅んではいけない、それを回避しようとすることは当然としていたものが、滅びるなら滅びればいいじゃないか、それこそが自然じゃないかと思ったのでした。そして宇宙の中に生まれた私達は、正に自然の流れの中にあり、そこから外れようがない、私達も自然そのものなんだと思いました。だから私達もあらゆる物質の運動形態なのだと。それまで人工物だと思っていた鉛筆もノートも家も車も大都市も、みんな自然という範疇から外れたものではないと思い、抱えていた自己矛盾が氷解しました。この体験から一週間くらい、気分が晴れやかで、冬だというのに体がホカホカしていたことを記憶しています。

 その一年後、手塚治虫の「火の鳥(鳳凰編)」を読んでいて、主人公の我王が悟りを開くシーンで同様の感覚が蘇りました。そして更にその一年後くらいから、オカルト思想の本や密教の本を読み始めていました。大学3年の時には、ゴルフ部のキャプテンとして国公立大学が集まる大会で優勝した夏に、出羽三山に山伏の修行に行って滝に打たれたりしていました。2,3年前なら自己矛盾を感じていたことでしょう。

 そして大学卒業後普通に就職して社会人になることに、多少の抵抗感があったと記憶しています。それでも時代背景もあり、当然のように就活をして就職した会社が花王株式会社(就職した時は花王石鹸株式会社)で、37年間定年まで勤めることになりました。

 社会人時代のふりかえりを、また次回続けたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(35回目)

3.22世紀型社会への道

3)今やるべきこと

 さて、『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』ですが、ここからは「今やるべきこと」をまとめて行きたいと思います。その前に少し趣向を変えて【私のふりかえり】として、私塚田晃が何故今このような文章を書くに至っているのか、少し自伝的なものを書いてみたくなりました。トーンが大分変りますが、何回かお付き合いください。

【私のふりかえり】(その1)

 私は昭和30年、1955年の生まれです。もの心ついた3,4歳の頃は、戦争、敗戦が少し遠くなったとは言え、まだまだ人々の話題に上る時代でした。当時ひとりで遊んでいる時間が長かった気がします。「ハネジン(羽人)」と名付けた少し年上の存在がいました。現実の存在ではありません。強くて、上の方から見守ってくれているスーパーマン的な存在でした。声には出さずに毎日会話をしていたような記憶があります。それから、良くうつ伏せに寝て、腕の上に目を押し付けるようにしていました。そうすると色々な光が見えて来て、「ドクガンソウケムリ」と名付けた黄土色の縞模様の煙がもくもく沸いて来て、その切れ目からネオンのような光が見えてくるのを、眼球をできるだけ動かさないようにして見ていました。懲りずにやっていました。また夜寝床に入ってから寝付く前のウトウトしている時に、空を飛んでいる夢を見ました。いつも同じ低いビル街や川の上を飛んで行って、最後に摩天楼の交差点の上空で飛ぶのを止め、ゆらゆら下に落ちていくのでした。地上近くになると車が行き交う中をゆっくり落ちて、突然ドスンという衝撃と共に目が覚めました。これらは年齢が進めば不思議に思えることですが、当時は普通に、当たり前に思っていました。

 2年保育の幼稚園に入ったのですが、暫くして6人毎のグループに席が分けられ、同じグループにいた気の強い女の子に私一人だけいじめられました。「この子イヤだから、みんなでそっぽ向きましょう。」みたいな感じで除け者にされたんですね。気の弱かった私は幼稚園に行くのが嫌になり、母親にこのことを相談すべきかどうかで悩み、最終的に母に打ち明けて母が幼稚園の先生に話してくれ、周に2,3回はグループ席ではないレイアウトになりました。そういう日は救われた気分になりました。これは60年以上前の話ですが、ギリギリ不登園にはなりませんでした。68歳になった今、当時を総括すると自分が普通に人に馴染めない何かを持っていたのかも知れません。

 小学校に上がる前年の年末にそれまで住んでいた中野区の借家から、小平市(当時はまだ町だった)に引っ越しました。3学期は幼稚園に通わずに過ごせたことが嬉しかったのを覚えています。その頃の小平は見渡す限り一面の畑で道はほとんど砂利道、その名の通り平らな土地なので、遠くに雪を被った秩父連山が綺麗に見える世界でした。

 小学校に上がって初めの内は、人見知りしてモジモジしていたと思うのですが、慣れて来るとハキハキよく発言をし、学級委員に選ばれました。勉強がピカイチできた訳ではありませんが、できるように見えたようです。分け隔てなくクラスのみんなと友達になり楽しい学校生活で、家に帰れば異学年交じり合って三角ベース野球をやっていました。小学校高学年になると野球がサッカーに変わっていました。

 小学校3年の時に第18回オリンピックが東京で開催され、毎日テレビに見入りました。前半は金メダルを5つ取ったレスリングに憧れ、後半は同じく金メダルを5つ取った体操に憧れ、「体操の選手になってオリンピックに出るんだ!」と思ったものです。そして、閉会式で聖火が消えて行くシーンにオリンピックが終わっちゃうんだ!と悲しくなり、涙を流したところを家族に笑われたのを覚えています。

 小学校1年の時から毎年学級委員をやり、6年の時は児童会長になりました。それほど勉強ができないのに何故か学級委員に選ばれてしまうことは、中学1年の上期まで続きました。その中1の時に「もうこういうのやだな。」と思い、それ以降クラスの代表になることはパッタリ無くなったのですが、何故そんな風に思ったのかが思い出せません。

 身体能力、運動神経が良かった訳ではありませんがスポーツが好きで、中学ではサッカー部、高校では卓球部に所属しました。大して上達はしませんでしたが、球感のようなものが育ったようで、大学ではゴルフ部の主将を務め、ゴルフだけはかなりのレベルに上達したと思っています。もう随分やっていませんが・・・

 今回は息抜きのような回顧録になってしまいましたがこの辺にして、次回は学生の頃の精神面を少し掘り起こしてみたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(34回目)

2.22世紀型社会への道

2)日本がモデルになる?(その2)

 これから22世紀に向かって行く世の中の流れの中で、経済は成長発展させるもの、人と比べてお金持ちになることが幸せなこと、たくさんお金を稼ぐことのできる人が優秀、多くの人達が当たり前に持っているこうした感覚を無くして行く必要があると思っています。そして、もしかすると日本がそうした感覚を先行して築いていく国になるのではないかと思うのです。

 東西冷戦が終結し、そしてインターネットが世の中に出始めてそろそろ30年、この間これまで経済発展のスピードが遅かった開発途上国も含めて多くの国がGDPを伸ばす中、日本はバブル崩壊後ほとんど横ばいの状態を続けて来ました。日本でこの期間政権のかじ取りをして来た自由民主党が、官僚と一緒になってやって来た政治・行政は失敗だったと言っていいと思うのですが、それでも多くの国民が政権を変えようと声を上げずに自分達の生活水準を受け入れて生きているのだと思います。ある意味「足るを知る」意識感覚をどこかに持っている国民なのでしょう。後ろ向きにこの特性を使うのではなく、前向きに使っていけないかなと思うところです。そのためには、やっぱり自立意識への変容がキーになる訳ですが、日本人が持っているこの特性が、これから波状的に襲い掛かってくるのではないかと思われる様々な世界的な危機の中で、その対応に於いて輝きを増していくように思うのです。そうした中で世界の範となる日本人の中で意識変容が先行して進んで行き、その中から新時代の新しいタイプのリーダー達が生れて来る気がします。

 昨年からアメリカのFRBが高金利政策に舵を切り、多くの国がこれに追随していますが未だに日本は低金利政策を継続しています。世界的な経済・金融崩壊を防ぐために日本が量的緩和政策の最後の砦になっている、日本国家の財政赤字が大き過ぎて金利を上げられない、色々理由はあるでしょうが日本国民は低金利に慣れきっています。米ドル基軸通貨体制が遠からず崩れて行く中で、ブロックチェーンを使った新しい世界共通の金融システムがきっとできて行くでしょう。根拠のない予感ですが、預けて置けばお金が増えるという仕組みの時代が終わって行くと思います。この流れにも、低金利政策の続く日本がスムーズに乗って行くような気がします。政府は資産所得倍増などと言って国民にも金融投資を煽っていますが、元々日本では他国に比べてハイリスクハイリターンの投資に手を染める人達は圧倒的に少ないですよね。それが他国に比べれば被害が少なく済むような事態を日本に生み続け、改めて日本人が注目されるような状況が生まれるのではないでしょうか。

 もうひとつ現在の日本が抱える大きな問題として少子高齢化があります。最近異次元の少子化対策などと言っていますが、亡くなった安倍元総理大臣がアベノミクスを打ち出した時に、私は「今日本の最大の課題は少子化で、フランスの政策に見習うべきだ。」というようなコラムを書きました。そう言えば自民党の女性局員御一行が今年になってフランスに少子化対策を勉強に行って来たらしいですね。しかし、10年前にそれを主張した私は、今では考えがガラッと変わっています。進む少子高齢化は、その先の世の中のための地球の意思のように感じるのです。それが一早く日本で進んでいるのだと。

 経済発展という価値観が無くなれば、人口は増える必要はありません。サステナビリティという視点に立てば、丁度いいところに均衡しているのが理想です。世界にはハードな手法で人口削減をもくろむ人達も間違いなくいるようです。少子高齢化の先にソフトな形で縮小均衡を迎える可能性の高い日本は、この問題でも世界の範となるような気がしています。勿論、縮小均衡に至るまでの道のりは楽なものではなく、人口に占める高齢者の比率が高まるピークをどのように乗り越えて行くのか、大きな試練が待っています。例えば、年金にしても医療体制・医療費にしても相当な変革を迫られる大きな社会問題になる日はそんなに先のことではないでしょう。意識の変容を進めながら大胆な改革が必要ですが、「健康・医療のこれから」のところで述べたように、「自分の力で生きるだけ生きて、それが出来なくなった時が死ぬ時」という当たり前のことが腑に落ちれば、医療・医療費の問題はほとんど無くなってしまうと思います。そういう意識変容をこれから並行して進める必要があります。

 そこに一早く進んで行くのが日本のような気がしています。これから世の中で一段と予測不能な危機的状況が何回も生れて行く中で、気が付くと日本がそうした状況を自然体で克服して行く流れが、世界に示されて行くのだと思います。

 次回からは、第3章「22世紀型社会への道」の最後の項として「今やるべきこと」を書き進めたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(33回目)

3.22世紀型社会への道

2)日本がモデルになる?(その1)

 東日本大震災の時の被災者・日本人の間で自然発生的に起こった連携活動は、世界のどこでも見られるものはない気がします。これから、世界規模の様々な危機の際に、ああした日本人特性が試される機会が何回も来るのかも知れません。今年は関東大震災から100年目ということで、テレビの特集番組なども多かった気がしますが、関東大震災の後には朝鮮系の人達や中国系の人達の殺害、物資の略奪なども起きていたようで、東日本大震災の後とは、様相が違っていたように感じます。2011年と言えば既に「水瓶座の時代」、そうした変化がベースにあるのかも知れません。

 渡辺京二さんの「逝きし世の面影」に描かれる江戸時代の日本の庶民生活や文化は、明治維新期に日本を訪れた一部の欧米人から見て、かなり理想的に見えたようです。道教や仏教に言う「足るを知る」や、儒教的な「仁義礼智信」の世界が上手く溶け合って、「自立意識」的な社会を生み出していた面があるのかと、私には思えます。それが明治維新で国が欧米化する流れで、「優越意識」が全面に出る日本社会に変わったのかなと。単純過ぎる見方かも知れませんが。

 それが少しずつまた変わり始めているように感じる背景には、日本民族の言語脳の使い方が関係しているように思います。角田理論と言われる、角田忠信先生の研究によるところですが、MRIによる脳の機能解析により否定されてきた角田理論が、最近MRIの改善により再び評価されることになって来たようです。母音を長く発音する言葉の多い日本語を生まれた時から身に着けた日本人と、子音発音主体の他の言語を身に着けた人々とでは、言語処理脳と虫の音などの音の処理脳の使い方が違っているのです。言語脳は一般的に左脳が主体になりますが、日本人が母音の長い日本語と虫の音をこの左脳主体で処理し、雑音を右脳で処理するのに対し、日本語以外の言語民族では、母音の伸びる音に近い虫の音などが雑音として右脳で処理されます。

 一般的に左脳が論理脳、右脳が感性脳と言われ、私見になりますが、日本人は日本語の発音特性から、感性に関わるある部分の機能が論理脳の左脳に統合されているのではないかと思うのです。この論理と感性の部分統合が左脳の中で起こっているところに、日本人の特性があるのではないでしょうか。

 私は会社員時代、アジアへの駐在勤務が長かったのですが、日本人と他の国の人達との仕事のやり方の違いに直面することがよくありました。特に最初に駐在したマレーシアは複合民族国家と言われ、マレー人、中華系民族、インド系民族が一緒に暮らす国でした。それぞれの民族特性を肌で感じましたが、それ以上に日本人の特殊性も実感しました。よく言われることですが、日本では、会議などで明確に結論が確認されず、やることの役割分担を決めなくても、みんな自分のやることをちゃんと理解して上手く仕事が回って行くことが通常です。それでも分からないことはメンバー間で勝手連絡を取って、「これどっちでやる?」「今回はこっちでやっとくよ。」みたいなやり取りで、上手く仕事が進んで行ったりします。後に欧米の方達とも一緒に仕事をする機会がありましたが、日本以外ではこのやり方は通用しません。全員で決まった結論を確認し、それぞれの役割分担を明確にしないと、誰も何もやっていないと言うようなことが当たり前に起きます。担当業務には詳細なジョブディスクリプション(職務記述書)がないと、仕事を適当にやるだけのメンバーが出てきます。日本人には教えられたものではないのに「阿吽の呼吸」のような感性があって、それが日本語の言語特性から来ているものではないかと感じています。

 そして直感でしかありませんが、この日本人の左脳に見られる統合機能が、これからの時代の地球の波動環境に向いているように思うのです。日本人のそうした脳の使い方の特性が、知らず知らずの内に、宇宙的なレベルで地球を取り巻くこれからの時代の波動環境に、日本人が先行して馴染んで行き易い状況を生んで行くのではないかと思います。これから異常気象や地震・噴火などの大きな自然災害、人間社会に於ける様々な紛争など、私達の日常生活に大きな支障を来す事態が益々増える時期になって行くでしょう。そんな中で、東日本大震災後の日本人の自然発生的な対応が、世界の範となるような機会が増えるのではないでしょうか。

以上日本人の民族特性からこれからの時代への展望を見てきましたが、次回は本論の「はじめに」で触れた社会情勢の面から、これからの時代に日本が世界のモデルに成って行く可能性をレビューしてみたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(32回目)

3.22世紀型社会への道

 第3章は「22世紀型社会への道」として、22世紀の世の中をイメージして見たり、日本がこれからそのモデルになっていく可能性を考えたり、今を生きる私達がどのようにして行けばいいのかなどを紹介して行きたいと思います。

 先ずは22世紀の世の中をイメージしてみます。

1)22世紀夢想

 「水瓶座の時代」や1600年周期説など歳差運動周期から考えると、これから千年以上続く時代の長期サイクルは、縄文時代とかレムリアやムーの時代の特性が蘇ってくる面が強いと感じます。これまでの時代のように物質的繁栄を求め、そのためには収奪も厭わないという意識感覚が後退して、全体の調和・統合を図る意識が当たり前になって行くと思います。ただそれは何千年か昔の世の中の姿に戻るというのではなく、これまでの何千年かの時代、特にここ百年2百年の物質文明の急激な発展を踏まえ、それを超えて行く姿になるでしょう。自立意識への変容が新しい時代の前提になりますが、自分を優位にする奪い合いの争いが激減することから経済的な発展という考え方が薄れ、普通にサステナブルな時代になって行くだろうと思います。

 多様な生き方を認め合う中で、共通項の多い人達が自然にコミュニティを形成する場合が多いでしょう。LOHASな人達のコミュニティは増えると思いますが、一方でバーチャルな世界で先進性を求め続けて行く人達の集まりもあるでしょう。フリーエネルギーが実用化されていて、AI、ロボットが自らを管理しながらエネルギー、インフラ、生活必需品を作り出す産業体制が整って行きます。自分にカスタマイズされたものが欲しい場合は、進化した3Dプリンターなどで手軽に作れるようになっています。人の移動も物流もドローンが主流で、衛星システムで目的地への移動がトラブルなく行われているでしょう。

 生活の充足感が当たり前に得られることから、誰も金儲けをする必要は無く、経済という言葉がほとんど使われなくなっているでしょう。お金は価値を交換する際の手段になりますが、その意味も薄れて行くように思います。労働と言われるものをAI、ロボットが自己制御しながらやってくれることから、普通に生きて行くためにあくせく働く必要がなくなり、やりたいこと、楽しいこと、ワクワクすること、創造的なことをすることが当たり前になっています。多くの人が自立意識になることの延長線上で、高次元、余剰次元の存在とのコンタクトが可能になる人が増えることから、物事の判断で迷い悩むことが基本的に無くなって行くでしょう。

 ちょっと目に浮かんだことを述べましたが、これは理想論に過ぎるでしょうか。私は70年近く生きていて、この70年の変化を身を持って味わってきました。幼児期を過ごした家は、ガランとした畳の部屋がふすまを開けば2つ繋がる構造。ちょっとした整理たんすと大きなラジオが置いてある以外は、お膳と座布団だけ。寝る時はそれを壁に立てかけて布団を敷く。ガランとして効率的な空間でした。毎朝はたきとほうきで掃除をしていましたが、ほこりが積もるところはそれほど無かったと思います。幼稚園の時にテレビがやって来て、小学校の時は、今年は掃除機、今年は冷蔵庫という具合にひとつずつ家に電気製品が増えて行ったことを覚えています。野菜の皮とか魚の骨とか、そういう物以外ゴミがほとんど出ない生活でした。

 僅か60何年前の話です。もの凄い変化です。22世紀までまだ80年近くあります。これから何が起こるでしょうか。自分が描いている世界になるには、先ず皆の意識変容が必要です。リープと言っていいレベルの意識変容ですが、そうなれば22世紀が素晴らしい世界になることは、間違いないと思います。

 今回はこれくらいにして、次回は日本が22世紀型社会のモデルになって行く可能性を考えてみたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(31回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

10)教育のこれから(その2)

 今の世の中のグローバリズムについては、いくつかの項で述べて来ましたが、大小さまざまなヒエラルキー構造が重なり合った現代社会に於いて、一番上に立つ人達がメディアの情報や各種のエンターテイメントなどを操って、人々を管理し易い状態にしています。もっと大きく捉えてしまえば、民主主義も資本主義もそのための道具のように思えます。そして、教育は人々を管理し易い状態に留め置くための最も重要なツールのひとつと言えるでしょう。

 日本では明治以降教育がヨハン・フィヒテの教育学をベースに行われ、国家に忠誠を尽くすような人間に育てることが、教育の主眼になっていたように思います。これには江戸時代に広まっていた儒教的な言葉が、言葉として巧みに利用された気がします。敗戦後国家主義的な教育は見直されたとは言え、高度経済成長を支えたような優等生を育てるために、フィヒテの教育思想が基本的に受け継がれて来ています。

 例えば「いい子でいなさい」とか「人に迷惑をかけないように」とか「目上の人を敬いなさい」とか、これらは間違いとは言えませんが、自分の魂に従ってのびのび生きる上での制限因子になることが多々あります。こうした訓戒のような言葉が乳幼児の段階から知的教育として植え付けられてしまうと、それが潜在領域に落とし込まれて後々行動を起こす時の前提として発動してしまうようになります。自ら制約を作ってその中でしか生きられない人生になってしまう可能性が高まります。集団帰属意識階層の人間になり易いということです。

 一方、この乳幼児の時期から高レベルの学問教育が行われ、「優秀に! 優秀に!」と育てられると、知的能力が高く、上昇志向の強い人間になる可能性が高くなります。エリート教育と言っていいと思いますが、知識は豊富、それを操る能力に長けていて、入試など試験に強く、社会の中で重要なポジションに就くことになります。政治家、学術会の重鎮、大きな企業のトップ、評論家、最近では人が思いつかない一見スゴイと思えるコメントを繰り返すコメンテーター等に多く見られるタイプでしょうか。優越意識階層の典型になりますが、本来人間に求められる統合的なバランスを欠いている人が多いように思います。

 敗戦後の日本の教育は、国家主義教育への反省から一人ひとりの人間性を開花させる教育への転換を色々試みて来たようですが、結局エリート支配階層の人達が管理し易い人間を育てる教育から抜け出せていないようです。これはこれまでの時代が優越意識の支配する時代であったことの現れです。みんなが自立意識の時代に変わって行く今、教育も自立意識人間が育つものに変わって行く必要があります。教育学としてみれば、ジャン・ジャック・ルソーに始まりデューイ、シュタイナー、モンテッソーリ、ニイル等に受け継がれている教育は、生れ出た後の人間の発育成長プロセスに則っているものに思えます。日本でも斎藤公子さんや藤森平司さんの乳幼児教育がこれに当たるでしょうか。

 そして、私達には潜在領域の意識があります。得体の知れないものをたくさん抱えています。子供達への教育に於いてそうしたことに無自覚で、表面の意識の優等生を作ろうとすると、その子に後々大きな問題が生じるケースが多々あります。勿論人それぞれであり、誰もが同じようになることはなく、それぞれの違いには前世の影響もあります。これからの教育は本来こうしたことまで認めて行うべきものであり、そうしたことを体験的に身に着けている人が指導者になるべきです。

 潜在意識を通り抜けた深層領域には、10の200乗倍くらいの情報に満ち溢れた世界が広がっているものと思っています。そこにアクセスできれば、外から与える教育は社会生活を支障なく行う最低限のものでいい訳です。必要なものは全部自らの内側に潜んでいます。それを正しく引き出すことができる人間に育つように教育全般を見直すべきでしょう。先ず脳や身体の発達段階を踏まえた教育プログラムが必要です。そして、乳幼児の時期は多様な人達に囲まれた生活環境を作ることが大切です。例えば、母子家庭で母親とベビーシッター以外の人には接することがないような環境では、子供は健全に育ちません。一方で核家族化した社会を大家族社会に戻すことは実際のところ不可能でしょう。そうだとしたら、保育機関の在り方に工夫が必要です。

 もう一つ、増加している不登校の問題があります。これはこれからの時代を生きる魂達が、今の古い学校教育制度に馴染めないことの現れではないでしょうか。不登校児対策としてフリースクールが増えていますが、保育園、幼稚園、小学校、中学校くらいまでを全部フリースクールのようにしてしまうくらいの改革が必要? 何十年か先には、それが空想ではなくなっているような気がします。

 本来の人間性を開花させる教育については、天外伺朗さんが「教育の完全自由化宣言」と「「生きる力」の強い子を育てる」の2冊に膨大な論考を分かり易くまとめられているので、ご一読をお薦めします。

 第2章の「色々な分野で起こるであろう変化」はここで終わり、次回からは22世紀の姿を少し描けないかと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

https://note.com/qeharmony_627/n/n1c014e6dbe0c

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(30回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

10)教育のこれから(その1)

 今回は「教育のこれから」というテーマで考えてみたいと思います。

 先ず、本論のタイトルが「22世紀型社会に向かって」となっている理由というか背景ですが、短い周期の時代転換やすごく長い周期の時代転換が今同時に起きている端境期にあって、その端境期が長いものもあるという事です。そういう長い周期の時代転換に於いてある程度新しい時代の形が整ってくるのが、なんだかんだ22世紀になってしまうかなと感じるものです。新しい時代に向かって少しずつ教育に変化・改革が進みながら、その上で3世代くらい入れ替わらないと新しい形が定着しないのではないかという直感になります。一気に変わるはずはありませんが、時代転換の流れと相補的に教育の在り方が変わって行くことがとても大切だと思います。逆に言うと、今の世の中に露呈されている多くの問題の根底に、今の教育の在り方の問題があると言えます。

 本論では【価値観の前提となる視点の変化】 として「客観性重視→主観性重視」を述べて来ましたが、これからの教育は、一言で言えば「主観は全て正解」という前提への方向転換になります。私達は、客観性=正解という暗黙のルールを作ってきました。皆が共通した軸を持ってものごとを判断することは、社会的な生活の上で欠かせません。でもそれは社会生活を円滑にする上でのひとつのルールに過ぎないということを、頭の中に叩き込んでおく必要性を感じます。あくまでも宇宙は全て主観の集まりという前提を持って置くことです。

 この3次元現象界、物質世界で生きる利便性としの客観性という軸を優越意識の一部支配者達が利用して、被支配者達を管理し易くする手段として客観性教育が使われている一面はないでしょうか。私達はこれまでいい成績を取ったものが高く評価される世の中で、客観的なものが正解という概念を植え付けられてきました。そして、優越意識が支配する世の中で、客観的にいい成績を取ったものが、社会的に優位な地位を得て行くという原則ができ上がりました。幼稚園に上がる前から決められた回答を多く出せるものが評価される教育が行われ、その基準で評価されるものが社会的に高い地位に登り、その上層部の人達がこのやり方を繰り返す世の中になりました。エリート教育と言っていいでしょうか。歴史的に見れば、2千年と言った長い期間に渡って高等教育が施される階層では、こうした教育が続けられて来ているように思います。

 一方で、私達ホモサピエンスに於ける発達・成長は、大家族の中でそこに居る多様な人達の真似をすることで育まれる、それを30万年やって来たんです。それが教育の基本でした。動物としての私達は、卵子が受精して以降「個体発生は系統発生を繰り返す」という発達を母体の中で進めます。単細胞生物から始まる進化の歴史を母体の中で繰り返して、人間の赤ちゃんの体まで進化したところで生まれて来ます。こうしたメモリーが受精卵のDNAの中に残っている訳です。生れ出た赤ん坊は、人間として体の動きができるように発育し、その後言語を含む感性コミュニケーションができるように成長し、その上で人間としての知的活動ができるように成長して行きます。この2千年くらいの間もエリート・知識階級以外は概ねこの発育成長の流れに則って来ていたと思うのです。それが、ある程度レベルの高い教育が一般に普及すようになった近代は、教育の均質化が図られ、低年齢の時期から知識教育が植え付けられるようになって来てしまいました。

 そして、現代はそれが更にエスカレートしていると思いますが、私達の体の中でこの知識を操る部位は大脳新皮質になります。私達の中枢神経の中心である脳は、大きく分けると爬虫類の脳と言われる古い脳である脳幹、哺乳類の脳と言われる大脳辺縁系、そして人間の脳と言われる大脳新皮質からできています。受精卵から進化の歴史をたどった後、生れ出た後の脳の発育も古い脳から順番に進んで行きます。本来教育というものは、その自然な身体的発育に即して行われるべきなのですが、現代の教育は全般的に身体的な機能を司る爬虫類の脳を健全に成長させるべき乳幼児の時期から、人間の脳である大脳新皮質への教育をしてしまっているのです。エリート教育ではこれが更に顕著になります。その結果、知的能力には優れているけれど、危険回避や感性全般を含む人間としての能力全体のバランスを崩してしまっている人が、大変増えてしまっていると思うのです。

 長くなりそうなので今回はこの辺りにして、次回は一部エリートという人達が現在の教育を自分達のために利用して来た実情や、時代転換に沿ったこれからの教育の在り方に話を繋げていきたいと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

https://note.com/qeharmony_627/n/n1c014e6dbe0c