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『風の時代を行く』まだ必要? 経済成長

~実在とバーチャルリアリティのはざまで~

まだ必要? 経済成長

 最近はテレビを一切見ない人も増えていますが、私は結構ニュース番組を見るし、ユーチューブでも話題を追ってしまう方です。最近大きなニュースが多いですね。そして、「オールドメディアの報道vsSNS発信情報」みたいな構図がよく取り上げられます。

 ずっと長い間大手メディアの偏向報道に問題意識を持っていたので、ここにSNSが切り込む姿勢は好感が持てますが、そこに氾濫する情報はその根拠、ファクトチャックなどが疑われるものも多く、受け取る側の判断が問われる気がします。個人個人の視点が尊重されますので、正しさの決めつけは避けるべきなのかと思います。

 

 最近思うことは、パラダイムとも言えるこれまでの私達の考え方の根底にあるものなのですが、「風の時代」の新しいパラダイムを見つける? 作って行く? 必要があるでしょう。

 よく感じるのは、政治家にしても、財界の重鎮にしても、評論家にしても、コメンテーターにしても、SNSのインフルエンサーにしても、多くの場合その考え方の根柢に経済発展というベクトルがあるということです。SNS発信にもお金儲けが目的なの?というものが余りに多い。そしてほとんどの国家がその経済成長を第一の目標に掲げています。この考え方は、現代の私達の根柢にあると言ってよく、ひとつの大きなパラダイムのように感じます。

 一方で地球環境や私達の生存に関わる危機感からサステナビリティ(持続可能性)が問われ、SDGs(持続可能な開発目標)が常用語になっています。ところがその17の目標の8番目には、「経済成長も」が掲げられています。飽くまでも個人意見ですが、私はミヒャエル・エンデが語ったようにエコロジーとエコノミーは両立しないものだと思っています。憶測ですが「風の町」の住民の皆さんにはそういう方が多いのではないでしょうか。

 改めて日本と言う国を見ると、世界経済が大きく成長する中で30年間取り残されてしまったことが問題視されています。人口減少、貿易収支、企業の設備投資、賃上げと物価高の関係、色々課題はあるのでしょうが、本質的な課題として個人消費が伸びない点が指摘されることが多いです。長年の不況からわずかな所得の余剰分を貯蓄に回すコンサバな姿勢?

 私は別の見方もあるのかなと最近思い始めました。数字の根拠は何もないのですが、お金に換算される個人消費は減っていても、お金に換算されない個人諸費を加えたら、別に減って無いんじゃないのという仮説です。

 

 どうでしょう。「風の町」もコミュニティですが、今増えているコミュニティにはエコビレッジのような活動も多く、なおきさんがトーク会などを良く企画される岡本よりたかさんの言う『生き抜くための「買う」から「作る」へ』のような考え方に共感される人達が増えているのではないでしょうか。特に若い人に。実際に生活に必要なある部分に、お金を使わなくて済む仕組みを作り始めている人が周りに増えているような気がします。

 脱成長(Degrowth)を掲げるムーブメントもあり、日本の学術界では斎藤幸平さん辺りがその旗手でしょうか。斎藤幸平さんはまだ37歳ですね。「風の時代」という新しい時代への転換点に、若いジェネレーションのこうした動きを感じるのは、時代の大きなパラダイムが経済的な脱成長に向かう予兆なのかなと思う次第です。そして、何となくこの流れは世界の中でも日本で先行して進んで行くような気がしてなりません。ただの直感ですが・・

 世の中で問題に成ることにその理由を詰めて行くと、「金儲け」に行き着くことがやたらと多い。みなさんはそんな風に感じませんか?「金儲け」自体は否定しませんが、これを目指して活動する時に「人よりも」という思いが知らず知らずに染み付いている気がします。この思いが集積されると経済成長になる? いや寧ろ逆で、経済成長というパラダイムが根柢にあるから「人よりも」お金持ちになりたい? これも相補的な関係ですかね。

「風の時代」は自分軸の時代! もっと軽―い流れに乗って生きる時代です。そのために「脱経済成長パラダイム」、そんなことを考えてみたいものです。

 これは大きなパラダイムが変わる時代のシフトなので、その転換期のインターバルは当然長くなるでしょう。実はこれを書いている私は今年古希を迎える老いぼれですが、日本の若い人達の動きが少しずつこうした流れを生み出して行くような気がします。

 最後に、特に政治家の皆さんに言いたい。お金の流れだけで消費を捉えていると、世の中の流れを見失うよ!と。

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