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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(24回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

6)経済のこれから

 政治に続いて経済のこれからについて考えてみたいと思います。経済という言葉の意味するところはいくつかありますが、ひとつには物やサービスを生産してこれを分配・提供し、一方でこれを消費する活動やその流れを意味します。更にそこに発生する対価のやりとりを社会活動と捉えたものでしょうか。現代は、市場経済、資本主義経済の時代と言っていい訳ですが、その中心的経済主体である企業について、利潤を追求するのが活動の目的だと中高生の頃(50年くらい前)に習ったことを覚えています。利潤に限らずお金に換算できる色々な指標で市場競争に打ち勝つことが、企業活動になっているように思います。企業だけでなく経済については拡大志向が生まれ、多くの国家に於いても経済成長、経済発展が目標の最上位に掲げられています。GDPの伸び率などがニュースで頻繁に取り上げられることを私達は当り前に受け止めています。本論の「はじめに」で述べたSDGsの開発目標の8番目にも「経済成長も」という目標が掲げられています。私達は経済というものが成長・発展というベクトルを持つことを当然と受け入れて疑いません。

 そして個々人のベースに於いても、「お金を稼ぐ」「お金を儲ける」「財産を増やす」と言った思いやそのための行動は、抵抗なく当たり前の常識になっています。ここに優越意識特有の比べっこ意識が加わることで、他者よりも少しでもお金を儲けてやろうという思いに駆られている人が大変多いのではないでしょうか。豊かさとか幸福の条件・尺度として、どれくらいお金に換算できる財産を持っているかが問われます。歴史的に見て、かなり長い年月に渡って私達はこうした価値観を持って生きているように思います。しかしながら、時代周期のところで述べたように、今という時代は長短色々な時代の周期が重なって転換点を迎えています。長い時代周期の転換から見て、経済が一方通行で拡大して行くものという捉え方を、見直すべき時期になっていると思います。これはサステナビリティに於いて大変重要な視点です。

 SDGsの関連で言えば、7番目の「エネルギーをみんなにクリーンに」、13番目の「気候変動に具体的な対策を」があります。こうしたテーマを具体的に進めるに当たり温室効果ガス削減策として、太陽光発電の推進に助成金が付くと、それでひと儲けしようと雑多な人達が群がって来るのが実情です。サステナビリティが金儲けの対象になってしまう訳です。サステナビリティという視点で経済を膨らませる取り組みをして、環境負荷は改善されるのでしょうか。サステナビリティを問うなら、経済は成長発展させるものという私達に長く染み付いている考え方を見直す必要があります。そういう大きな時代の転換点になっていると思います。こうした視点で「脱成長」を論じ始めた学者さん達が現れ始めました。グローバル資本主義、強欲資本主義、大量消費至上主義などがもたらす地球環境破壊、格差拡大への問題提起からSDGsも生まれた訳ですが、それでも問題が解決しないと思われるところから、改めて「価値」から問い掛けている視点が多いように感じます。

 私なりに考えると、サステナビリティとは恒久的なエネルギーの循環をベースにしたものでなくてはなりません。地球環境をベースに考えれば、いつも無償で供給され続けている太陽光が基本です。これを植物などが光合成によって他の生物たちが利用可能なエネルギーの形にしてくれています。食物連鎖でエネルギーが回ります。呼吸によって排出される炭酸ガスは光合成の原料になって循環しています。太陽から供給されたエネルギーの過剰分は、地球から宇宙に放出され、別の形の循環を生んでいるはずです。余剰分の太陽光エネルギーを有効活用することはいいことだと思います。だから太陽光を発電に利用すること自体は間違いではありません。問題はお金という価値の捉え方だと思います。色々な形で行われるエネルギー循環を、私達人類がその社会活動を回す上での価値の等価交換ための便利な道具としてお金を回して行くことは、その回転を円滑にしてくれます。お金がひとつの潤滑エネルギーの役割を担っている訳です。しかし、このお金を一方通行で増やすこと、増やしたお金をどこか特定のところにたくさん貯め込むことは、サステナブルな循環からはマイナスの要素になるはずです。比べっこされるお金の量が幸福の尺度ではなく、お金はエネルギーのひとつの指標として、循環させるものだと思うのです。今の通貨体制は近々大きな変化を繰り返しながら、最終的にはエネルギー循環のための仕組みとして新しい形になって行くのだと思います。

 改めて、なぜSDGsの目標の中に経済成長が必要なのでしょうか。それが永遠に続くと思っているのでしょうか。どうしてもここに帰ってきてしまいますが、私はやはり意識階層の問題だと思うのです。人類の意識が優越意識階層にある限り根本的な問題解決はないでしょう。逆に人類の多くの意識が自立意識なれば、多くの問題は自ずと解決する方向になると思います。「価値」の話をすれば、経済は脱成長しても、文化や文明、そして私達人間の意識も当然成長すべきです。

 今回はこれくらいにして、次回もう一度経済や金融の話にするか、次のテーマに進むか、ちょっと考えてみたいと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

https://note.com/qeharmony_627/n/n1c014e6dbe0c

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(23回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

5)国や政治のこれから

 政治とは?と改めて辞書を見れば(実際にはググってみれば)、「主権者が領土・人民を統治すること」となっていますが、日本では主権在民ですから、主権者は国民ということになります。実際には多くの人達の集合体である国を治めるに当たり、権力を集中させるセンターが必要になる訳ですが、主権在民の民主主義では、立法、行政、司法という三権が独立して運営される形を取るケースがほとんどだと思います。しかし、多くの構成員が優越意識階層にあるということは、上位者に権力拡大というベクトルが生まれ、三権の分立が崩れて行く傾向を持ちます。

 日本人なので、どうしても日本の政治の話になりますが、今の体制を見ていると与党政党のトップが行政府である内閣の長になり、そこに人事権を集中して三権を動かす傾向が見られます。これに加えてメディアもコントロール下に置くことで、中央集権のような体制が主権者国民の無関心をいいことに進んで来てしまっているように感じます。これが特に顕著だったのが亡くなられた安倍さんによる政権だったでしょうか。言い方と変えれば独裁政治を目指していた観が否めなません。これも大きな時代転換の流れの中で起こる揺り戻し現象のように見えるのですが、はじめの章で述べたように、安倍さんは優越意識階層の代表選手のような方でした。多くの政治家、多くの人達が同じ意識階層にある以上、仮に理想を掲げる政党が政権を取ったにしても、何れ同様の傾向を帯びてくるのが必然のように思われます。

 やはり次の時代に進むためにはみんなの意識が変わって行かないとならないと言うことです。意識変容が進み自立意識になった人では、顕在意識・潜在意識・深層意識の統合があるレベル進みます。そうすると同様に自立意識に変容した人同士の共感領域が広がり、自然な繋がり、自然な連携が生まれるようになり、ティール型のネットワークで色々なことが回るようになります。

 そして、深層領域まで意識が統合された状態になると、世界・宇宙との繋がり方に変容が起きて、個人個人のベースで高次元宇宙と同調した生き方ができるようになると思うのです。22世紀にはこうした世の中になって行くと本気で思っているのですが、こうなると人々を治めるという概念が根本的に変わってしまうと思います。はっきり言ってしまえば、政治なんて不要になるだろうということです。共感ベースのネットワークは距離に関係なく生まれる時代になりますから、それで世の中が回るとなると、今の国というような線引きも、その意味合いや機能が大きく変わってしまうでしょう。最低限の行政機能になれば、税金なんてほぼ不要、人を罰則で縛るような法律もその必要性がどんどん減って行き、軍隊など不要、警察も役割が大きく変わる、そんな世の中を夢想しています。

 図46はそんな世界を何とか表現できないかと思って書いた図ですが、思い通りに描けたものではありません。描きたかったのは自然発生の共感ネットワークで必要な人達が繋がり、物事を決める時は高次元からのメッセージも踏まえ、それで日々の営みが進んでいく世の中です。そしてその世界は、集落の中心にご神木があったと思われる縄文やレムリア、ムーと言った時代の世界から受けるイメージと色々なところがオーバーラックしているのです。

 今の日本のように多くの人達が政治に無関心なのは良くないことです。でも、いい面を取り上げればそれでも世の中がそこそこ回っているのが日本だ、と言う見方も出来ます。そこに何だか良く分からない日本人気質があって、それが更にこれからの時代にマッチして進化して行く可能性があるのではないでしょうか。国家神道、教派神道、そして神社神道とも異なる組織性を持たない神道観のようなものがまだ日本人に残っていて、自らが直接神と繋がった観、一体感を持って生きて行く、そんな感覚が芽生える人達は増えて来るように思うのです。そうすると、他人を害する悪いことが起きるケールがどんどん少なくなります。みんなの意識のステージが上がれば、これらが寝ぼけた理想主義ではなくなる、そんな風に思いたいものです。

 今回はかなり荒唐無稽な話になってしまいました。懲りずに次回は経済に起こるであろう変化について考えてみたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(22回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

4)これからの組織

 コミュニケーションの在りようが変わって行くことで、組織の在り方も変化するはずです。社会の発展段階と共にこれまでも組織は進化してきたと思いますが、最新の組織形態のひとつであるティール組織を提唱しているフレデリック・ラルーは、社会の発展段階に合わせて組織が、衝動型→順応型→達成型→多元型と進化して来て、今最新の進化型であるティール組織に変わって行こうとしているとしています。

 衝動型は力の強いものがその力により構成員達を従えるオオカミの群のような組織で、ここに階級として絶対的なヒエラルキーが導入されると次の順応型になります。このヒエラルキー組織に各構成員の目標設定やそれに伴う実力主義・成果主義が導入されたのが次の達成型です。民間企業を見ていると、ワンマン社長をトップにしたヒエラルキーがイエスマンで固められた構造が続くことでもたらされる業績不振から、この順応型に進んだところが多いように思います。これに対して政治政党などは、未だに胡麻をするイエスマンで組織が固められる衝動型や順応型に見え、時代から大きく取り残された組織形態を呈しているように思えます。この後取り上げるティール組織は、意識が自立意識へと変容、成長することで形作られる自然発生的な組織だと思うのですが、この人間的意識の成長から、最も遠いところにいるのが政治家の人達のように見えます。残念なことです。

 達成型に話を戻しますが、極端な成果主義が組織に導入されると組織員の間の競争が激化し、心身に不調を来すメンバーが増え、その結果組織全体が疲弊するようなケースが眼立つようになります。日本でも2000年頃にこうした大企業が増えた記憶があります。一方で物資は満ち足りて昔に比べれば生活にゆとりのある人達も増えたことから、仕事に対する価値観が多様化し、それを受け入れる方向に進んだ組織が多元型でしょうか。組織内での権限移譲が図られ、個人、人間関係、ライフスタイルなどが尊重されるようになりました。

 そして、大きな時代転換に合わせて前回までに述べて来たようなコミュニケーションの在り方にも変化が進むことで、組織もこれまでのような枠組みに捉われない形に進化して行くものと思われます。そのひとつの象徴がティール組織ということになります。これは、きちっとした組織という形が、あるんだかないんだか分からないまま仕事がきちんと回っていくイメージでしょうか。繋がったメンバー間の暗黙の自発的連携で動いて行くイメージです。ですから生体機能型の組織とか、生態系のような組織と言っていいでしょう。

 さて、コロナ渦で一気に普及が進んだZOOMに代表されるオンラインのミーティングや集まりがあります。私も多用しています。こうした繋がり、活動から生まれるネットワークが色々な形で生まれる世の中になりました。こうしたネットワークが重なり合って多重に存在できて、それで世の中が回って行くのがこれからの時代のひとつの形でしょう。私が企業に勤めていた時代は、副業を持つということは就業規則で制限されていましたし、勝手に作った仕事への倫理観で自分から避けていたように思います。コロナによる在宅勤務で、こうした感覚は一段と変化したのではないでしょうか。リンダ・グラットンの「ワーク・シフト」や「ライフ・シフト」は、こうした変化の広がりを予見していたように思えます。

 こうした自然発生的なネットワークは、距離に関係なくエリアや国境を越えて生まれます。そして、大変重要なポイントになりますが、こうした新しいタイプの連携が、継続的に上手く機能するかどうかは、メンバーが自立意識に変容しているかどうかがキーになると思うのです。メンバーのマジョリティが優越意識階層にあると、自分が有利になりたいというメンバーの動きから起こる摩擦で、ティール型は機能しなくなるでしょう。こうした色々な変化変容が相補的にパラレルに進んでいく・・ そうした時代の転換を体験していく時期なのだと思います。量子もつれという現象は宇宙のベースであり常時起きている訳ですが、意識が自立するほどに自然にその法則に乗っかれるようになるのだと思います。だから必要なところで勝手に繋がって当たり前に上手く回るネットワークができて行きます。

 そして、ネットワークが当たり前のように国境を超えるようになると、今の国、国家というものに与えられている意味や機能、制度、国際関係などは大きく見直さざるを得なくなるでしょう。既存のルールに関係なく、自然にできる良いネットワークがどんどん増えてしまうからです。次回は国を一番の基準にして行われている現代の政治が、これからどうなって行くかを少し考えてみたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(21回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

3)コミュニケーション(その3)

 今回はコミュニケーションに起きる変化の3回目ですが、人間におけるクォンタム領域のコミュニケーションについて見て行きたいと思います。

 私達人間に於いてコミュニケーションと言えば言語によるものが直ぐに思い浮かびますが、メラビアンの法則によれば、言語情報が7%、言語以外の聴覚情報が38%、同じく視覚情報が55%のウェイトになると言われています。これは言語ではなくても聴覚で捉えられる音、視覚で捉えられる像になりますから、物質サイエンス的に証明できるタイプの話になります。例えば言葉をまだ使うことができない赤ちゃんであっても、周囲の人達と声や表情、しぐさでコミュニケーションしていることを疑う人はいないでしょう。こうしたコミュニケーションは大人になっても当たり前に使っているものです。例えば目くばせなど・・ そしてその比率が93%になります。

 それとは別に、以心伝心、阿吽の呼吸、虫の知らせなど、五感を超えた領域で行われていると思える情報交換に、このように名前が付いて受け継がれているということは、多くの人がそうしたことを感じた経験があるということでしょう。こうした情報交流・コミュニケーションの媒体が量子(クォンタム)なのだろうと思うのですが、繰り返し述べて来ているように、量子もつれのような距離に関係なく2つの量子間に起こる同時反応はまだほとんど解明されておらず、それが私達の日頃の活動に持つ意味も全く分かりません。でも、以心伝心、阿吽の呼吸、虫の知らせなどのベースに量子もつれがあるとすれば、現象を単なる偶然として扱わずに済みませんか。

 これは人間の間だけの話ではなく、例えば私達の体の中には100兆匹とも言われる常在菌が存在していますが、私達はこうした体内の細菌達とも常時コミュニケーションしながら活動しているひとつの生態系ではないかと思います。そこには間違いなく共生関係があり、活動を共にしていると思えるのです。代謝やその他必要な生理機能を私達の体・神経系は体内細菌達とコミュニケーションしながら行っているものと思えますが、悪いものを食べてしまった時などに体と腸内細菌が連携して素早く下痢を起こして排出してしまうと言ったことも一例だと思います。私はいつも排便したときに、腸内細菌の死骸の塊でもある便に「ありがとう」と感謝してから水に流していますが、これをするだけで腸内細菌達と良好な関係が保てて、健康に大いに貢献してくれていると思っています。60代後半ですが、医者いらず薬いらずの生活を続けています。

 話は変わりますが、私には「光のことば」とか「宇宙語」と言われるライトランゲージをしゃべる能力があります。ライトランゲージは色々なものが持つ固有の波動を、人間が発声できる音に置き換えているものと思ってください。言葉に置き換えられる意味を持つものもありますし、エネルギー状態を整えるような効果を持つ波動である場合もあります。ライトランゲージを使って、生物、非生物を問わず様々なものとコミュニケーションすることも可能です。と言っても信じられない方が多いと思いますが、ここでも量子もつれによるクォンタム領域の情報伝達の可能性を考えれば、決して不思議なことではないと思います。本来クォンタムレベルのコミュニケーションには言葉も不要であり、今後は科学的な研究がそうした方向にも進んで行くことを期待するものです。

クォンタムレベルのコミュニケーションを日常的に使えるようになると私達の世界観が変わります。宇宙中とコミュニケーションしながら生きられるようになるからです。多くの人達がそれを体現できるようになることが、次の時代へのひとつのキーであるような気がします。

 誇大妄想と取られかねない話になり始めてしまったところで、次回はコミュニケーションに関連するテーマとして、組織の在り方がどうのように変わって行くのかを取り上げてみたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(20回目)

2.色々な分野で起こるであろう変化

3)コミュニケーション(その2)

 さて、今回はコミュニケーションに起こる変化の2回目として、動物達の不思議な生態について少し見て行きたいと思います。

 先ず、昆虫や爬虫類、両生類、魚類などによく見られる擬態や保護色です。例えばタコですが、海底を移動しながら瞬時に体の色や表面の形状を周囲に合わせて行きます。これは、周囲を目で見て、「ああ、ここは灰色とブルーと濃い茶色が混じった色で、ごつごつした岩場だ。」などと頭で判断してから指令を出して体内反応を起こし、周囲に体の色や形状を合わせて変えて行く・・ などという悠長なことをしているようには見えません。動きながらどんどん変わって行きます。仮説ですが、体表細胞の中の量子と周囲の外界を構成するものの中の量子がもつれ現象で同調して得られる情報が、自動的にと言っていい仕組みで体表の変化になってしまう生態を持っているのはないでしょうか。量子もつれを追跡するレベルに私達の科学はまだ達していないので証明が不可能な仮説ですが、こうしたことが起きているとすれば、これをクォンタムなコミュニケーションの一例にしていいのではないかと思います。

 もう一つ鳥や魚の群の行動があります。鳥や魚の群が瞬時に方向転換する様子やその映像をご覧になったことがあると思います。揃って泳いている多数の魚の群が、突然揃って向きを変える・・ 彼らはどんなコミュニケーションをしているのかと不思議に思いませんか。多くの個体数の群全体が一斉に方向を変えるので不思議なのですが、ひとつの研究結果として、

1.「衝突回避」仲間との距離が近い場合、ぶつからないように進行方向を変えようとする

2.「並走」仲間との距離がちょうど良い場合、距離を一定に保つために並走しようとする  (速度を合わせようとする)

3.「接近」仲間との距離が遠い場合、近づこうとする

の3つのプログラムがその動物種の脳の中にあれば、この群の動きが起きるとしているものがあります。コンピュータの画面上に魚の群を描いて一匹一匹にこのプログラムを組み込んで、どれか一匹を動かすと、本物の魚の群のような動きをするそうです。しかし、自然界では全く動きを確認できない位置関係にある魚同士が同じタイミングで動いている様子が見られることから、この3つのプログラムによるとする説に反対する研究者もいるようです。私はここでもクォンタムの同時連携があるように感じてしまいます。繋がって一緒に動く仕組みがあって、この繋がりをクォンタムコミュニケーションと言っていいのではないかと思います。

 加えてもう一つ、「働きアリの法則」があります。これは、働きアリの活動を良く観察していると、よく働くアリ20%、普通に働くアリ60%、怠けて働かないアリ20%に分かれると言うものです。そしてこの働きアリ達の一部をどんな比率でもいいから取り出して別の場所に移すと、その働きアリ達がまた、よく働くアリ20%、普通に働くアリ60%、怠けて働かないアリ20%に分かれるのです。彼らはどんなコミュニケーションをしているのでしょうか。「俺さっきまでたくさん働いてたから、今度はちょっと休ませてくれよ。」なんていう相談をしているとは到底思えません。何某か全体が連携してひとつになって活動する意識のようなものがあると思えてしまいます。その連携にクォンタムのレベルのコミュニケーションが存在しているのではないでしょうか。

 以上、少しだけ分かりやすい事例を上げてみましたが、私達は自分達の思考法でこうした現象について考えてしまいます。しかし、宇宙のベースに全く想像の及ばない仕組み・繋がりがあって、実はそれをベースに私達も当たり前に活動していると思うのです。その仕組み・繋がりのひとつをクォンタムコミュニケーションと呼べないかと思います。そして私達もその宇宙の仕組みの上に居る訳ですから、本来積極的に使う能力を持っているのだと思います。これは人間の脳である大脳新皮質による顕在レベルの認識機能では管轄外かも知れませんが、潜在的な意識の部分では当たり前に機能して使っているもののように思えます。そうなるとコミュニケーションのありようが相当変わってしまいます。これから量子の様々な研究が進むことで、こうした新しいコミュニケーションのありようがもっと目に見えて現れて来るのではないかと思いますが、みなさんはどう感じられるでしょうか。

 次回は人間に於いても、五感を超えたところでこうしたコミュニケーションが行われているのではないか、というところをもう少し考えて見たいと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

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