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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(12回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

2)時代の周期(その1)

 22世紀型社会に向ってと言うことで、これまで22世紀までにどういった点が変わって行くのか、どのように変わって行く必要があるのかと言うことを3つの視点で述べてきました。ここで少し時代の周期という視点で現代という時代、これからの時代を見て行きたいと思います。

 時代の周期説というものが色々ありますが、それらには占星術的な星の運航に基づいているものが多いです。今一番耳にするのは「風の時代」でしょうか。これは、木星と土星が大接近するグレートコンジャンクションという天体現象が、黄道の12星座宮の内、地・水・火・風のどのエレメントの星座宮で起き続ける時期か、というところから来ています。牡羊座・獅子座・射手座が火のエレメント、牡牛座・乙女座・山羊座が地のエレメント、双子座・天秤座・水瓶座が風のエレメント、蟹座・蠍座・魚座が水のエレメントになりますが、これまで200年ほどの間ほとんど地のエネメントの星座宮で起きて来たグランドコンジャンクションが、2020年12月22日に水瓶座で起きて以降、これから240年間ほどは風の星座級で起き続けるため、「風の時代」に入ったと言われるものです。

 これとは別に現代は「水瓶座の時代」に入ったとも言われますが、これは全く別の天体現象をベースにしています。地球には歳差運動という回転があります。自転しながら太陽の周りを公転している地球が、この公転している黄道面に対して、毎日一周している自転の回転軸が、約23.4度傾いています。そしてこの回転軸が黄道面に対して自転・公転とは反対回りに極めてゆっくり回っているのですが、この回転運動を歳差運動と言います。コマが少し傾いて回っている時、その軸が回転とは反対方向にゆっくり回る現象と同じことが、地球でも起きているということです。そしてこの歳差運動で軸が1回転する周期は25,772年という長い時間になります。その昔、春分点を牡羊座0度として12等分された星座表で、この2,000年ちょっとの間、春分点は魚座にありました。2,000年ちょっとと言うのは、歳差運動周期の25,772年を12等分した約2,150年になります。春分点が魚座から水瓶座に移ったタイミングは色々説があるようですが、西暦2000年を少し過ぎた時期になり、「水瓶座の時代」に入ったと言われています。

 占星術ではこうした星の位置関係を読み解きする訳ですが、そのベースは統計的な経験則から来ているように考えられます。複雑な星の位置関係というのは、分かり易く見てもその重力の影響を地球が受けていると思えるのですが、クォンタムサイエンスというパラダイムに則れば、重力、そして量子のもつれは私達の身体にも、意識にも、地球の自然にも、社会にも影響を及ぼしていても不思議ではありません。不思議ではありませんが、残念ながら現代の科学水準ではまだ解明できない領域になります。

 重力について言えば、物理学で扱う力の中で、最も解明が遅れている力になります。それは、物理学で扱う4つの力、「強い力」「電磁力」「弱い力」「重力」の中で、「重力」が桁外れに弱い力であることに関係しています。量子論では、重力を伝達する素粒子をグラビトンと呼んでいます。最近のブレーン宇宙論、多元宇宙論などでは、この重力を伝えるグラビトンは、私達の3次元宇宙(4次元時空体)を飛び出して5次元を介してパラレル宇宙を行き来しているように語られます。グラビトン(重力)の本体が私達の宇宙より高次の次元にあるから、私達の宇宙では極端に弱い力になっているのでしょうか。こうした高次から来るものも含めた重力がもたらす影響を、複雑な星の位置関係がひとつの指標となって読み取れる部分があるのかも知れません。その星達の運航は色々な回転運動の組み合わせであるため、色々な周期・サイクルが時代の推移に反映されることがあるのでしょう。今後クォンタムサイエンスが進化することで、私達全ての存在のありようについて、もっともっと深い読み解きができるようになることを期待しています。

 今回も少し分かり難い話になってきたのでこの辺にして、次回また続けたいと思います。

※『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』は、週1回くらいのペースで書き足しています。バラバラした投稿になっていますが、初めから順番に読みたい方は、note のサイトを見ていただくと、頭から読める投稿にしてあります。

https://note.com/qeharmony_627/n/n1c014e6dbe0c

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(11回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀に向って変えて行くこと

【価値観の前提となる視点の変化】(その2)

 私達は普段ものごとを捉える時に、自分の方から捉えています。当たり前ですが少し広げて言えば、人間である私達は人間として捉えて世界はこうなんだと思い込んで生きています。更に拡大して、世界は私が見ている通り、これが世界なんだ、そう思うことに疑いを持ちません。それでいいんですげれど、それは主観的世界だという自覚を持つことが大切です。ほとんどの人が普段この自覚を持っていません。本当は主観的に世界を見ていることをベースにして、その上で人とコミュニケーション、意思疎通するための共有概念を作って行く、そうであるべきだと思います。

 多くの人達が存在する社会において、客観的と思える共通の軸が存在することによって、私達は他者との円滑な関係性を築き易くなります。だから現在の人間社会では、客観的と思える共通の軸があるのだと思い込むようにするための社会体制や教育体系ができ上っています。前回、法律のことを「客観性の取り決めの最たるもの」と表現しましたが、あくまでも取り決めとして客観性を作っている訳です。しかしこれは万人に通用する客観性ではありません。それが証拠には、政治の世界などを見ていても法解釈の争いが絶えない訳です。

 優越意識階層に人がいる限り、個人にせよ、グループにせよ、国にせよ、自分達を正当化する基準を作る努力を重ねることになります。そしてこの基準が通じ合わないもの達の間には争いが生まれます。実際に世界では正当性を主張し合う戦争が起きています。本当は主観でしかないものを客観と思い込んで、影響の及ぶ範囲を広げて行こうとする社会システムができ上っているからです。

 だから、それぞれがバラバラと作った本当は客観的とは言えない客観的基準を、全て冷静に包括的に俯瞰して見る姿勢が必要です。これが自立意識への変容のはじめの一歩です。そしてこれができた時、みんながお互いの主観性を認め合える世界が生まれるのです。

 「世界とは、外にある原型を自分が捉えて自分の中に描いているもの」、それをどこまで深く納得できるか・・ それがその人の存在性を示すレベル感になります。この視点を多くの人に浸透させるには、現代の教育を相当見直す必要があります。それを進めるリーダーが現れて教育改革が段階的に進むとして、社会全体に自立意識が浸透するには2~3世代入れ替わるくらいの時間が必要でしょう。こうした社会の実現が22世紀になると言っている所以です。例えば、不登校の子供が増えることなどが起こるべくして起きている状況に問題意識を持って、新しいタイプの教育活動を始められている方々は確実に増えているようです。でも、こうした動きが教育制度という形になるまでには、まだまだ時間が掛かると思うのです。

 その間、既に大人と言える年齢になっている人達は、意識を自立させるために何事よらず俯瞰してみる視点を持つ努力をして行く・・ そこから始めることはできないでしょうか。その時私達は判断の基準をどこに求めたらいいでしょうか。次元を超えた宇宙に求めるのはどうでしょうか。私達から世界や宇宙を見るのではなく、宇宙から見たら私達はどんなふうに見えるのか? あるいはクォンタムから見たら、「超ひも」から見たら私達はどのように見えるのか? そんなふうに想いを廻らす。そんな時間を持つことも、時にはあってもよいのではないでしょうか。

 大分話が飛躍して、書いている本人にも分かり難い文章になってしまいました。今回はこの辺にいたします。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(10回目)

1.今 世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀に向って変えて行くこと

【価値観の前提となる視点の変化】(その1)

 パラダイムシフト「クォンタムサイエンス」についてもう少し書こうと思っていたのですが、更にマニアックな内容になりそうなので、次の【価値観の前提となる視点の変化】に進むことにします。

 私が今書いているような内容の研修やワークショップをした時に、参加者によくリンゴやバナナの絵を描くワークをしてもらっています。自分が捉えてものを表現できるように簡潔に書いてもらった後、「それでは今度はあなたの横にトンボがいると思って、トンボにはどのように見えるかをイメージして書いてみてください。」と言ってもう1枚書いてもらいます。そうすると100%に近い人が別の絵を描くので、次に別々の絵を描いた理由を聞くと「トンボは小さいから」とか「トンボは複眼だからたくさん見えている」とか、色々な答えが返ってきます。ほとんどの人が、人とトンボでは見え方が違うのだと感じている訳です。

 そこで次に「どちらが本物だと思います?」と聞くと、ちょっと考えた後「どっちも本物」「どちらも本物ではない」などの答えが返ってきます。これは正解も不正解もない質問なのですね。見え方はそれぞれだと言うことを、理屈っぽく説明すればみんな分かってくれます。別にトンボでなくても、近視の人と遠視の人が並んでいれば、リンゴの見え方は絶対に違うはずです。でも私達はみんながみんなそこにあるものを同じように見ていて、その同じものがちゃんとそこにあるのが現実だというルールを暗黙の内に作ってそれに従って生きています。

 ここで視覚というもののメカニズムを考えれば、リンゴと呼ばれるものに当たった電磁波の内、赤と呼ばれる色に感じ取れる波長帯の反射光を眼球のレンズから取り込んで、網膜、外側漆状体、視覚中枢、視覚神経細胞などを通して解析された情報を、脳みその中にある超高性能3Dスクリーンに映し出したものです。自分の脳が解析した情報を脳の中に映し出している像が視覚であって、本当にそこにあるもの=視覚ではないんです。そしてこの像は当然近視の人と遠視の人では別物ですし、トンボなら私達が見ることができない紫外線の色まで1万個以上の複眼を使って捉えて、全く別の像を描いているはずです。

 一気に話は飛躍しますが、私達が捉えている世界とは、私達が感覚器官を使って捉えた情報を私達の内側で解析し、私達それぞれの内側に築き上げた世界像に他なりません。この世界像は人の数だけあります。これを主観と呼ぶなら、世界には主観しかないことになります。これは事実です。でもそれでは困ることがたくさん出て来る・・ だから私達は私達の外側にみんなが共通に捉えている世界が実際にそこにあるという暗黙のルールを作って、それに従って生きています。2メートル先に赤いリンゴがあるなら、私達が捉えている視覚は共通で、それは頭の中の像ではなく外側の世界そのもので、例えトンボであっても皆同じ外側2メートルにあるリンゴを現実世界として捉えている。それを当然と思い込んで、私達は普段生活しているはずです。これをきっと客観性と言うのでしょう。

 私達は生まれた時からこの客観性をベースした教育を受けて育ちます。お母さんから「これはお花よ。ワンワンかわいいね。」と教わり、他の周囲の人達からも同様に共通認識を植え付けられます。これによってコミュニケーションが可能になる訳です。ですからこうした教育はとても大切なことです。でも、正解はひとつで、それと違ったことを言うと「それは間違い!」と言われてダメ出しされる、今の社会はそういうことが行き過ぎていると感じてしまうのですが、いかがでしょうか。本来ものの捉え方が一人ひとり違う以上、その違いを認め合うことも大切なはずです。客観性と主観性のバランスが大切なのに、客観的と言われるものが重視される世の中に成り過ぎていないでしょうか。

 それには理由があります。私達のほとんどが、【意識の変容】のところでお話しした「優越意識」の階層に、今はまだ居るからです。何でも比べっこして自分が正しいと主張する人達が、客観性のない主観性重視の世の中で活動すれば、そこは自分勝手が横行する無法地帯になってしまいます。だから客観性の取り決めの最たるものである法律も必要なんです。私達の本来の姿である主観性を重視した世の中を築こうとすると、それに合わせて私達の意識が「自立意識」に変容して行くことが必要になります。そして、そういう大きな時代の変わり目に今私達は入ってきていると思うのです。

 今回もややこしくなってしまったのでこの辺にして、次回もう少し掘り下げてみたいと思います。

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『22世紀型社会に向って -日本がそのモデルになって行く-』(9回目)

1.今世の中で起きていること、進む方向

1)22世紀に向って変えて行くこと

【パラダイムシフト】(その3)

 前回最後に量子もつれの拡大解釈として「みんな繋がっている。宇宙中と同時に連携して動く仕組を私達自身が無限に内包している。」と書きましたが、これだけ聞いてもナンノコッチャでしょう。最近の研究では量子の集合体の間でも量子もつれが起こることが確認されているようです。宇宙の起源を考えれば、ペア化しているクォンタムはそこら中に無限にある訳で、私達の体の中でも、体の中と外のものとの間でも、遠い宇宙の彼方でも、「量子もつれ」という同時現象は無数に起きているはずです。

 宇宙とは本来そうしたミクロの同時反応で繋がって動いていて、私達はその本当に限られた一部の断面だけを切り取って、それが世界だと思い込んで生きているのではないでしょうか。空想物語のように聞こえるかもしれませんが、東京大学カブリ数物連携宇宙機構機構長の大栗博司博士の研究チームが発表した論文では、宇宙の最外層には宇宙のあらゆるデータの書かれた層があり、その情報と量子もつれによってできたホログラフィックな像が私達であり、私達の世界だと考察されています。最先端の学術世界でこんな研究が発表されている訳です。私達の現実は、実は宇宙的メタバースだ! というような世界観ですね。

 私達は世界には何もない入れ物のような空間があって、その中に私が居たり、あなたが居たり、ビルがあったり、山があったり、それらのものが個別にバラバラ存在していると、当たり前に思って生活していますが、宇宙にはクォンタム、更にそれを形作っている「超ひも」という振動エネルギー体のないところはありません。空間もそうしたエネルギーで埋め尽くされている訳です。そしてこのエネルギー間には、もつれのような同時現象が距離に関係なく常時起きていて、それで宇宙は成り立っている、そんな風に思えてなりません。

 言葉にすれば「宇宙中がいつも繋がって同時に動いている。」ということです。これが宇宙の姿なら、私達の日頃のものの捉え方、考え方も見直した方がいいことが色々出てくると思うんです。それが新しいパラダイムになるのではないかと・・

 最近、植物達が彼等の方法でコミュニケーションして助け合って生きていることが分かってきました。そうだとしたら、木の切り方にも配慮は必要なはずです。個別のモノとしては扱えないと思うんです。同じ料理でも心の込め方で味が変わったりします。そこには物質としての調味料の加減だとか、火加減だけでは説明できないもっとミクロな連携反応があるのではないでしょうか。「物質サイエンス」の世の中になってから、私達はそうした大切なことをたくさん忘れてしまったような気がします。「物質サイエンス」を踏まえて更にその先に進むこれからの時代に、よりミクロなサイエンスが色々な提案をしてくれるように思います。「クォンタムサイエンス」をもっともっと当たり前に、身近に、生活の中に取り込んで行けないでしょうか。

 という訳で、また次回に続けたいと思います。